HOME > 仕事のご依頼 > 2-手段=どうすればいいか >

言葉をきれいに

ま、
わたしも関西人のはしくれですから、
>アホちゃうか
とか、
>ええかげんにせえ
とか

いうまでもなく、
>なにをごちゃごちゃわけのわからんこと言うとんねん
とか、
>あのガキいっぺんしばいたろか
>おまえなに考えとんねんボケ
‥‥等々、
いわゆる吉本新喜劇ライクというか上方落語チックというか、
平均的な日本人よりもかなり乱暴な言葉づかいが身に染みております。
関西弁というよりも、
日本でいちばん汚い方言として称讃を浴びる播州弁ネイティブですから、
かなりヤバいんですね。
「いちばんきたない方言」等でGoogle検索してみてください。
ショックを通り越して笑ってしまいましたけど。)

ふつうにしゃべってるだけで、
じゅうぶんパワハラの嫌疑がかけられますから、
マジにヤバいです。
重々自覚して鋭意矯正中です‥‥っていうのはウソですけど、
申し訳ございませんっていう懺悔の気持ちはほんとうです。
そんなわたしがですね、
きれいな言葉をつかいましょうなんて言うとですね、
>どの口が言うてけつかるんねん!
って、
まわりから一斉に罵声が飛んできそうでコワいんですけれどもですね、
ここでいうところの
きれい/きたない
は、
関西弁のアホ、ボケ、カス‥‥
あるいは播州弁のダボ‥‥
っていう単語レベルのきれい/きたないっていうのと、
ちょっと質がちがいますね。
たとえば‥‥
関西人がしばしば口にする
>どついたろか
には、
ほんとうに相手をグーで殴ろうなんていう意図はないでしょ?
まあ‥‥でも、
あらゆる体罰が絶対悪とされる昨今、
愛情から出たものとそうでないもののあいだに客観的な線引きができない以上、
やはり、
吉本新喜劇ライクなボキャブラリーは、
すべて取り締まりの対象か。
よほど気心の知れた者ばかりの集まり以外では、
全面的に自重すべきなのかもしれませんけどもね。
ε=( ̄。 ̄;)
とりあえずここでは、
言葉を発するあなた自身の価値観を基準とします。
動機に意識を向けながら、
ふだん自分がつかっている言葉が、
汚れていないかどうかを自分で判断してください。
たとえばあなたが、
耳に入れたくない言葉
って、
どんなんですか?
大阪のおばあちゃんが、
>アホちゃうか
とか
>あのガキいっぺんしばいたろか
って言ってるのを聞いて、
不愉快になるタイプですか?
ま、
言い方──そこに動機が滲みます──にもよるんでしょうけど、
単語そのものに反応しないとすると、
わたしは別に不快じゃない。
それが大阪のおばちゃんなんだから、
別にいいんです。
上方落語の喜六と清八なんだから、
いいんです。
そういう話じゃないです。
たとえば、
職場で聞く「疲れた」「しんどい」の連発とか、
どうです?
耳に入ってくるだけで
しんどいのがうつりそうになりません?
そこにいない誰かの悪口、陰口はどうです?
同業者の批判とかもNGですよね。
ネガティブな言葉が耳に入ってくると、
自分の心の中にあるネガティブな部分が反応して、
そこに上乗せしてネガティブ増幅がはじまります。
わたしはもう、
まわりのネガティブな発言に迂闊につられることはほとんどなくなりましたし、
そういう消極的な言葉をみだりに使う人はまわりにあまりいなくなりました。
快適です。
人間関係が快適
だなんて、
10年まえの自分からは想像もできません。
ありえないくらいしあわせなことなんでしょうね。
ところが日によって相手によって、
いわゆる虫の居所によって、
いつもならかわせるはずの汚い言葉がかわせずに、
ビチャッ
と、
まるでおニューのスーツにコーヒーこぼしたみたいに心が汚されて、
汚れた心が汚れた言動を生じさせ、
つまらんパンチの応酬というくだらない結果になることがまれにあります。
あーなさけない(>_<)
せめてそういうときにでもですね、
>あーあ、
>はじまってもうたなあ。
>怒りはじめたよなあ~オレ。
>寝た子を起こすようなマネしやがってこのクソガキなあ、
>めんどくせえなあ。
>今日はどこまで怒ることになるかなあ。
>1分か‥‥2分半くらいで止まりゃあええがな。

──みたいに、
自分が腹を立てつつあるのに気づいていながら腹を立てる
っていう、
つまり半分は意図的に腹を立てている‥‥っていうかなんというか、
そんなような観察の習慣はついています。
観察すれども監督せず
って感じで、
中途はんぱなんですけども。
修行が足りてないところはみなさんといっしょなんですよ。
乱暴なボキャブラリーでカモフラージュしてる(笑)ので、
鈍感な人は気づかないでしょうけど(笑×2)
わたし、
消極的な言葉はほとんど使ってないのですよ。
中でも自分のを下げるような言葉は使わない。
そうと気づかず迂闊に使ってしまってるってことも、
まずないはずで、
「めんどくさい」とか「まいったな」を口にするにしても、
だいじょうぶな場とタイミングを選んでるんです。
職場でも、
消極的な言動に気づきを向ける習慣を全員に定着させることに腐心してます。
毎年ずーっと飽きもせず、
経営課題のトップに掲げてある。
社長なんだから社員に指示も命令もできる立場なんですけれども、
そんなもんでは1ミリも動かないのが人の心だっていうことくらい百も承知。
だからもしあなたが従業員の立場で、
職場全体の雰囲気を変えよう、
一時的なもんでなくリバウンドもなく、
ずーっと定着するかたちで変えようというならとんでもなくグレイトな挑戦。
心から応援します。
しんどい
疲れた
困る
むずかしい
○○しないといけない
○○したくない
忙しい
嫌い
いやだ
無理だ
つまらない
○○が悪い
もういい
なんで自分が
○○のせいだ
 :
 :

そういう言葉を、
封印してしまうことですよ。
心の中にドーンとあるのに、
とりあえず口に出さないっていう感じじゃなく、
もちろん心の中のどこにも存在しないように、
きれいに掃除して消してしまう。
心の中にないものが、
そうめったやたらと口から出てくることはないわけなので、
どっちが大事かときかれたら心の中だってことになるかもしれませんけども、
口に出すっていうのが
消極的な心持ちをいちばん安直に増幅してしまう愚かしい行為なんですから、
やっぱり
いちばんはじめに気をつけて見張ったほうがいいのは口から出てくる言葉です。
従わなければ弱められる
っていう、
かなり大切な原則も、
何回でも思い出して復習してくださいな。
心に浮かんだ汚い感情が、
口から出る汚い言葉によって強化されます。
従えば強まるんです。
消極的な心が強められると、
人はどんどんネガティブに自己否定的になっていきますので、
何をやっても結果はろくでもないわけで、
あたかも引き寄せられるように縁起の悪いことばっかりが身のまわりに起こります。
これが言霊と呼ばれるものの正体だとキクゾウは考えておるのですがな。
反対に
バカな上司を見ても、
バカだと感じなくなる心のルート
があります。
(このルートが発見できたときっちゅうのはめっちゃ嬉しいもんですがな。)
なんの文句もない
すごくいい会社なのに、
たったひとり、
よりによって自分の上司だけはどうしようもないバカで、
このバカな上司のために人生が歪められるなんて、
なんてツイてないんだと運命を呪いながら、
会社を辞めるハメにならずに済むんです。
これ、
基本中の基本だと思うんですよね。
心のお手入れ

基本中の基本です。
手はじめにたとえば
>お忙しいところ、
>すいません。

って言われること、
これは誰しもしょっちゅうありますわな。
>お忙しそうですね。
とか。
ここ、
引っかかりやすいとこなんで、
自分は決して忙しくないっていう前提で練習してみてください。
>え?
>ぜんぜんそんなことありませんよ。
>いつでものんびりしてますからだいじょうぶですよ。

とか、
>別に忙しいことなんかないですよ。
>余裕で繁盛してますよ。
>人気が出すぎて引っぱりだこなだけですよ。

って、
きれいに片づけちゃってください。
「いそがしい」っていう単語は、
ネガティブ度がそれほど高くなくって、
商売人にとってはまるでいいことのように使われることもありますけど、
やはり「心を亡くす」と書いて字の如く、
心の有り様として快適じゃないのは確かです。
デートの断り文句で、
安直にこの単語を浴びせられた男子たちの怨念がぎっしり籠もって忌まわしいし。
なので、
練習するにはちょうどよろしい。
>いやほんま、そうですね~ん。
>このごろバタバタしてましてなあ、
>おたくの仕事まで手がまわってませんね~ん。
>ほんっますんまへん。

みたいな、
姑息なノリで言わない言わない。
時は金なり
って
ベンジャミンフランクリンの古い言葉もあるくらいですから、
時間がないのは金のないのと同じって考えると
>お忙しそうですね
は、
>貧乏くさいですね
って
言われてるのと同じですやん。
だからそこは
>じゃかましわっ!
>だれが貧乏やねん!

って
バシッと言い返してやらなあかんとこでしょ(ё_ё)
暗い、元気がない、
しんどそう、
いっしょにいたくない‥‥って人は、
やっぱり言葉がネガティブです。
ほんとうは想念の観察をおすすめしたいんですけど、
なんせ目に見えないもんですから、
口から出てくる言葉を観察するほうがわかりやすいです。
観察もするし監督もするんです。
貧乏くさいことばっかり言ってるから本物の貧乏になるんでしょうに。
そこの順序がどうしても理解できないらしいので、
キツく言って教えてあげたくなるんですけど、
これってやっぱり人に言われて理解できる心持ちじゃないですよね。
>嫌いなものを嫌いって言って何が悪いんですか?
って
シラッと反論されたとして、
なんて答えていいかわかりませんもんね。
>はい、ごめんなさい。
>あなたの言葉ですからどう使おうとあなたの自由です。
>よけいなこと言いました、
>すんません。

としか
言いようないですね、
いまのわたしの力では。
かく言うわたしだって40過ぎるまでわかってなかったんだし、
どうしたことだかわたしの息子もかなりネガティブ。
ブチュブチュと、
うしろ向きな言葉を連発にする毎日です。
ありゃまあw(゚o゚)w
親としても社長としても、
まだまだ半人前以下のわたしは、
うまく自分の想いを子どもたちや社員たちに伝えることができていません。
あれが嫌いこれが嫌いって言うかわりに、
あれも好きこれも好きって。
はじめはウソでもいいんで、
肯定の言葉を多めに口に出して、
出た言葉に心のほうを沿わせていくように意識する。
それだけのことなんですけどもねぇ。
短気なわたしですがそこは気長に、
まずは自分の言葉からいっそうきれいに磨くことにします。

まず感謝します

悔しさをバネに──
っていう表現があります。
何回も聞いたことありますよね?
ところがいまどきの若ゾウは、
あまりそういう言い方はしないらしいです。
負けん気
なんてぇのが死語になってしまってるそうですから。
う~~ん‥‥
あけましておめでとうございます。
2015年です。
年のはじめ
ともなりますと、
ことさら入念に人生の区切りをつけ、
心にも特別なメンテナンスを施すもんですから、
なにか自分がスーパーマンにでもなったかのような、
特別な気力が充満し、
すがすがしさもまた格別なものがあります。
小雪がちらつく中、
2時間ほどのジョギングで軽く汗を流し、
ますます爽快。
お正月らしい話題を選んでみましょう。
(^▽^)/
このごろ気づいたことなんですけど、
感謝の気持ち
が、
自分のバネになっているんだな
っていうこと。
エネルギーの源が、
だいぶ変わってきたな
ってことなんです。
もしかしてこれを知っておくと、
誰でもカンタンに
無限のエネルギーを自分のものにすることができて、
やる気が出せてモチベーションが上がるんじゃないかと思うので、
シェアしたいんですよね。
はい、ではそもそも、
いま現在、
あなたは何をバネにしてるんでしょう?
平均的な自分のモチベーションをはるかに上まわる、
爆発的なエネルギーがどこからか噴き出してきてますか?
たとえはよくないが、
復讐に燃える残忍な殺人鬼、
そのエネルギーは憎しみです。
もしかしたら愛する婚約者を殺されたとか、
テレビドラマでよくあるパターンですけど、
とにかく相手を許せない気持ち、
恨みや憎しみが強い動機になって復讐が実行されます。
わたしはかつて、
怒りの感情からエネルギーを得ていました。
負けて悔しい、
まわりからバカにされて腹が立つ。
>なめんなよ。
っていう想い
とか。
>このまま終わってたまるか。
っていう
いきり立った感情。
これが自分に、
いろんなことをさせてたんです。
怒れば怒るほど
すごいパワーが出ます。
コワいですよね。
このパワーが敵を倒すことに向かうと、
無駄に浪費されてしまうことにもなるわけですが、
自分を高めることに転換されるなら、
けっこう利用価値の高い資源となります。
みなさんにもきっと
いくらかは身に覚えがあるはずです。
バネっていったって
ネガティブなものばかりにかぎることはありませんよね。
夢を実現させたい気持ちも大きなパワーです。
あれもほしい、これもしたい。
そのためになら
いくらでもがんばれる。
じゃあ‥‥
夢が叶ってしまったあとはどうするんですか?
10代に見た夢が20代に叶って、
もっとマシな夢を20代に描いたら、
それも30代でぜんぶ実現してしまい、
また次の夢を30代で描いたら、
40代で叶ってしまい‥‥
って、
夢が小さいのかどうなのかわかりませんが、
しあわせすぎますね。
じゃあそういう場合、
こっからどうするんですか!?
焦りも妬みもコンプレックスもないとして、
おいしいものがたっぷり食べられてお酒もおいしくてラブラブで、
毎日けっこう楽しくて、
200%満足でじゅうぶんしあわせ
だからって、
それでいいんでしょうか?
こんなに居心地がいいのに、
なんでわざわざ新たな挑戦とかする必要があるんでしょう?
Why bother?
──この問いに対する答が、
感謝の気持ちから見つかりますよっていう報告なんです。
恩返しであったり恩送りであったりですね、
そういうのが目の前にすごく積み残されてる感じ。
で、
まだまだしたいことがブワッと浮かんできます。
どうにもこうにもウズウズと、
無限にミッションが湧いてくる感じで。
いかにもバネ
──だからあなたも、
ご自身がいま、
どこからエネルギーを得ているか、
ちょっと見つめ直してみてほしいんです。
まあふつうは、
(失礼ですけど)もっと単純なだけで動いてますよね?
「お金がほしい」とか「休みたい」とか「旅行したい」とか。
ところが、
同じように「お金がほしい」っていう欲でもね、
幼少期にひどい貧乏をして辛酸を嘗めた体験をもつ人と、
そうでない人とでは、
エネルギー源の厚みがまるっきりちがうことがわかります。
欲なんてもんはそれ自体、
薄っぺらいもんなんですなぁ。
性欲でも食欲でも、
マズローの五段階のもうちょい上のほうの欲求でも、
とりあえず満たされたらそれで急降下。
ある程度のところでゲンナリしてしまって、
それ以上はガツガツ行けない。
だから
大きなエネルギーをもった人のように、
突き抜けた成功を収めることがない。
家族のため──
愛する妻、子どもたち、地域のため
っていうのも確かに、
すごく大きなエネルギーに転換されますね。
なんてったってですから。
これはもう最強無敵といっていい。
無償の感情ですから
結果なんかにとらわれず、
ありったけの情熱を注いで行動することができます。
でもこれだって、
わが子が難病に冒されて治療費が何千万円もかかるっていう人と、
そうでない人とではエネルギーの太さがちがう。
もしあなたがいまなんとなく
へこたれている感じで、
パワーの源泉を見失っているとしたら、
感謝をエネルギーに
換えられるかもしれませんよっていう話なんです。
「ありがとう」をいっぱい言えば、
きっとなんかいいことあるよ
っていう話を、
よく耳にされているかもしれませんが、
それとはちょっとちがいます。
もちろんそれも一面では真理だろうと思うんですが、
ほどほどにしとかないとね。
なんかいいことがありますように
っていう期待が先で、
だから感謝しましょっていうのでは本末転倒。
自分が感謝の気持ちで満たされて、
はちきれるほどしあわせで、
まわりの人をもっと元気にしたいとか、
励ましたり勇気づけたりしたいっていう気持ちが湧いてきて、
それを現実の行動に結びつけていくっていうのが順序でしょう。
あなたに足りないのは、
お金でもないし、出会いでもないし、チャンスでもない。
ほんとうは
ほとんど何も足りないものはない。
足りないものがあるとしたら
それは感謝。
ものすごく簡単なことなのに、
いちばん忘れがちなもの。

それが感謝。
えらそうに言いました、ごめんなさい。
こればっかりはわたし自身、
ほんとうによく忘れる。
毎日のように忘れる。
思い出すのがたいへんなくらいよく忘れます。
だからこうやって、
1年のはじめの大きな約束として、
やっぱり日々感謝を誓うんです。
ほんとうに心の底から感謝できたら、
イヤなことはぜんぶ忘れます。
感謝は万能薬ですよね。
それでもって無限のエネルギーを供給してくれる源でもある、
なのに、
なんでこれを忘れるかな。
ああそれから、
「ありがとう」はなるべく口に出して、
相手に気持ちを伝えましょう。
心の中で思っているだけなら、
それはあなたひとりのエネルギー。
感謝している相手に伝えたら、
それは相手にとってもエネルギー。
原価ゼロ、
仕入れもしてないのにエネルギーが2つも生まれる。
わーおw(゚o゚)w
こんなふうに人間は
核燃料よりすごい自家発電能力をもっている。
ところが、
身近な人にこそ伝えたい感謝の気持ちが、
なかなか言えないんだなあ‥‥(◎_◎;)
>あの嫁にだけは、
>ありがとうなんて口が裂けても言えない。
>心の中に大事にしまっとくから
>それで勘弁してくれ。

‥‥って、
なんでそうなるかなぁ。
バツが悪いのか勇気がないのかなんなのか、
とにかくお互いに「ありがとう」が言い合えないもんだから、
神さまとかお天道さまっていう便利な対象をこしらえて、
そこへ向かって言ったりしてますけどね。
どこにも感謝しないよりマシでしょうけど。
身近な存在の人に、
いつもやってもらってることほど
「あたりまえ」と感じてしまいがち。
わたしはかなり言えるようになってきましたよ。
嫁さんに対しても、社員さんに対してもね。
コーヒーひとつ運んでもらっても、
ちゃんと「ありがとう」言えてます。
喫茶店の店員さんにだって言います。
>まさか‥‥
>まえは言わんかったんかい!?

ってことなんですけど、
はい、
ぜんぜん言ってませんでしたね。
なんで
コーヒー持ってきてもらったくらいで
いちいちお礼しないといけないんですかっ?
そんなもん、
決められたルーチンワークの一部でしょ!
喫茶店なんてあっちも商売、
こっちはその場でカネ払って帰るんですよ!
‥‥てなわけで
ヒドいもんだったんですけど、
いまは別に意識しなくってもふつうに「ありがとう」言います。
それが習慣になってるからですね。
むかしの1000倍くらい「ありがとう」増えたんじゃないでしょうか。
そりゃあしあわせも1000倍になるってもんでしょうがね‥‥。
言わない人の心の中もわかります。
エネルギーが早々に枯渇して、
しんどいだのダルいだのアホくさいだのってことになるでしょうね。
怒りや憎しみや優越感をエネルギーに換えて
がんばるのもいいでしょう。
でもね、
経験者だから言いますけど、
あれは自分の心にも体にもがまわりますから、
長く続けないほうがいいですよ。
人を傷つけるとかより以前の問題として、
自分がやられてしまうんですよ。
しかも、
1回やっただけで何年もが尾を引く。
きっぱりやめといたほうが身のためです。
がんばれる人
には
ちゃんと拠り所があります。
わたしのまわりはみんな
何億、何十億のお金をまわす経営者ですから、
まあたいていは元気です。
びっくりするほど元気な人もいます。
いつ寝てんのかと思うほど、
あっちやこっちに顔を出し、
仕事も遊びも女も酒もお盛んで、
利益も出てるし社員もハッピー。
なが~くがんばっている人の心の中を覗いてみて、
パワーの源を探ってみると、
欲望だけじゃあここまで続かない
ってことが
ちゃんとわかりますよね。
(^▽^)/
感謝しましょう。
誰かを愛するより簡単な何かです。
感謝のための時間をとりましょう。
すぐできます。
「ありがとう」を言いましょう。
伝える相手がいなくても言いましょう。
言うのに飽きたら書きましょう。
あしたまた忘れたら、
また何回でも思い出しましょう。
まず感謝。
まだ生きていることに感謝。
感謝の気持ちで身体が溺れてしまうくらい、
まわりをありがとうだらけにしましょう。
そして恩返しをしましょう。
返す相手がいなくても恩送りをしましょう。
ウズウズしましょう
それでは、
来年のお正月にまた、
このウズウズした気持ちを思い出せますように。
あ、いや、そのまえに
忘れずずっと保てますように。
Keep it up!

思考を止める

考える生活から、感じる人生へ。
──これは、
津留晃一さんの言葉です。
そんな生活をしてみてください。
考える生活から、感じる人生へ。
「今」、
自分のハートを空にして下さい。
あなたがすることはそれだけです。
ハートの感覚を見張り、
イライラッと来たらそこに意識の集中砲火を浴びせ、
ブロックというミニ自我ちゃんを成仏させてあげて下さい。津留晃一「幸せテクニック」より

そうなんですよねぇ‥‥。
アタマで計算して生きるのって、
やめにしませんか

っていう話なんですよね。
わたしはこの津留晃一さんの一節が大好きで、
しょっちゅう思い出すんですが、
頭の中だけでアウトセーフか考えて、
無難なほうをいつも選んでるっていう人、
あなたのまわりにもいてません?
心が不感症になっちゃってるんですね。
そんなロボットみたいな人生、
寂しいじゃないですか。
もうずいぶんまえに、
かなり大切なバランス感覚の話をしましたよね。
あれは平たく言うと、
実在意識を止めて潜在意識を‥‥
っていう趣旨でした。
アタマ(左脳)で考えるっていうことを止めると、
思いもよらずいいことがあるよ
っていう点で、
あの話とこの話は似ています。
でもあのときはハートのことは言ってませんでしたね。
わかりやすい例え話をするとですね、
>アタマで計算したら確実に損するから「待った!」だけど、
>気持ちで判断したら「行っとけ!」

っていう瞬間、
大事にしたいじゃないですか。
あるいは、
アタマで計算したらさっぱりわからない答が、
ハートで判断したらはっきりわかる

ってこともあります。
考える生活から、感じる人生へ
って言ってもですね、
もっと感情的になれって意味じゃないですよ、これは。
「情感が豊かだ」っていうのと「感情的だ」っていうののちがい、
わかりますですかね?
情感が豊かってのは、
心のいろんな動き方を自分でしっかり受け入れて、
感じ方の幅を広げながら自分が成長している状態。
感情的っていうのは、
むしろ正反対。
心の動きに自分が引きずりまわされてる状態。
しっかり受け入れることができないから、
オーバーフローを起こして溢れ出てしまうんですが、
アタマでっかちな生き方をしているとそうなりがち。
心の中が愛で満たされているとしたらけっこうですよ、
そのままでいいんです。
しかしね、
わたしのようにね、
虎の子の一文銭のようなケチな愛しか持ちあわせてない人間は、
その、
なけなしの愛をめいっぱい大切に広げていかないといけない。
アタマで計算した損得勘定ってやつに引っかかったとたん、
愛は行方不明
しばらく戻っちゃきません。
だから、
アタマが「やめとけ!」っていうことでも、
無視してじゃんじゃんやっちゃっていいんですよ。
正直な心に従う。
わがままになれって意味じゃないですよ、これは。
ちゃーんと心のほうのお手入れをサボらず、
いつもピカピカに磨いておけばだいじょうぶ。
なーんにも考えずに正直に生きているだけで、
あなたの魅力はベストに引き上げられます。
不器用でもぜんぜんOKなんですね。
気合いと勢いで日常を乗り切っている猛者にこんなこと言うと、
笑われるだけかもしれません。
意味わからんって(`ε´)
しかしいっぽう、
神経がデリケートで、
まるでわたし(ё_ё)のように、
思慮深くて繊細な心の持ち主には極めて有用な手段となります。
さて、いったい
思考を止める
とは
どういうことか?
いや、そのまえに、
あなたは日々、
自分がいったいどのくらい思ったり考えたりしているか
きちんと把握しているといえますか。
あなたがなーんにも思ったりも考えたりもしてないつもりでも、
次から次と絶え間なく、
頭の中をぐるぐる思考がまわっていることをご存じでしょうか。
他ならぬ自分のアタマの問題なんですけど、
これ、実は100人中99人が
監督不行届(カントクフユキトドキ)
なんです。
知らないあいだにアタマが勝手にウロチョロしている。
私たち人間の脳には一日に六万以上もの思考が去来するらしいが、
興味深いことに、
意図的に舵をとらず脳の好きにまかせておくと、
その思考のうち九十パーセント以上は、
前の日に生じた思考と同じものになるという。
過去を何度も反芻していれば、
過ぎ去った悩みや不安や憤りから自由になることは不可能だ。
 ***
人がリラックスするのは、思考と思考の合間においてだ。
だが、前にも述べたように私たち人間は一日に六万以上もの思考を招き、
それらの大半はいわゆる「心のおしゃべり」が占めている。
リラクセーションのための時間はいくらも残らない。
だから、“思考の合間”をできるだけ多く確保するためには、
心のおしゃべりを静めることが必要なのだ。フレッド・L・ミラー「どこでもすぐにリラックス」から

「心のおしゃべり」とは言い得て妙。
いや、
これはあるいは「頭のおしゃべり」と言うべきか。
とにかく頼みもしないのにペチャクチャペチャクチャ、
のべつまくなしにアタマが勝手に井戸端会議。
自分のアタマがやかましいことに気づいてくださいよ。
あなたがとーっても幸運なら、
あなたのアタマは来週の楽しいプランか何かについて、
ウキウキと想像を膨らませていることでしょう。
しかしそんなウキウキな妄想で思考が忙しくなる確率は高くありません。
知らず知らずの思考のうちの9割以上は──
>これどうしよう?
とか
>あれだいじょうぶか?
とか
>わたし、ちゃんとできたかしら?
とか、
>彼のあの言い方って何なのさ?
とか、
>あしたまでにこれ、やっとかなくちゃ!
とか、
>わー、ヤバい。とにかくヤバい。サイアクーッ!
とか、
>次はどうやったら‥‥?
とか。
ま、
よく耳を澄ませばみなさん身に覚えがおありでしょうが、
取るに足らない引っかかり
あれこれかきまわして反芻しているわけなんです。
いやいや、
バリバリに仕事ができて、
アグレッシブなあなたのアタマには、
そんなムダな思考は少ないかもしれません。
きっともっと自覚的で自発的な思考が巡っていることでしょう。
それが
問題解決

称されるアタマの使い方です。
横文字で書くと──
ソリューション
ですよね。
ビジネスでは通常、
これは生産的な活動と見なされます。
どんどんやっていいことになってるんです。
>現在のわが社には、
>かくかくしかじかの問題点がある。
>わかるよな。
>じゃあそれをどうやって解決するか考えるんだ。
>それが仕事だ。

と。
>このままじゃあかん!
>なんとかせねば!

と。
日常的にごくごくフツウにあることですよね。
問題を解決するのはいいことなんですから、
生産的ですから、
お仕事ですから、
昇進かかってますから、
やらないよりやったほうがいいに決まってる。
それのどこに問題があるんですかってことになる。
しかし、
これが怖い。
これがもうあたりまえの順序になっているから怖い。
すでに述べてきたように、
思考というのは不安に従って無秩序に湧いてくることが多いんです。
愛ではなくて不安に従う。
つまり、
無防備に思ったり考えたりするだけで、
またしてもかなり大切な原則がはたらいて、
不安を拡大強化していることになる
のです。
こんなふうなバカな思考の使い方を止めてください。
問題を急いで解決しようとするのはやめてください。
‥‥(ё_ё)
でも、
それっていったい何のために?
これってどんな目的を達成するための手段なんです?
──うーん、そうですね。
アタマを静かにさせることで、
心のほうへ意識がぐーっと集まりますよね。
気持ちがはっきりして、
自分の感情や感覚とダイレクトに向きあえる。
感情のコントロール
っていうのは、
仕事でも家庭でも大きな課題なわけですが、
コントロールするっていう態度がいいのかどうかは別として、
自分の感じ方は大切にしたいですよね。
腹が立つとか憎たらしいとか、
そういうのは感じないほうがいいかもしれないけども、
心がそんなふうに現に感じているなら、
それはちゃんと汲み取ってやって、
理解してやりたいじゃないですか。
考える生活から、感じる人生へ。
その一歩を踏み出すために、
「いま、ここ」でアタマを黙らせるんです。
静かに、
ひとり静かに、
思考の放つノイズに耳を傾けながら、
想念観察をはじめましょう。
ハートのあたりに意識を持っていって、
えいっと一声、
思考を止めてしまう。
エモーション

見つめてやるんです。
なんか感じているみたいなら、
それ、
じーっと受けとめてやったらいいし、
別に何も感じてないみたいなら、
空っぽにしてやったらいい。
瞑想を日々の訓練に使ってください。
外からの情報を遮断して、
なるべく静かな空間で、
ひとりだけの時間を準備してください。
身体の動きを止めれば、
アタマの雑音がザーザーと聞こえてきます。
え?
やかましすぎて止められない?
あー、はい。
まぁそうですね。
ふつうはそうかもしれません。
頭も心もやかましい。
そう簡単に大人しくしてくれない。
>もっとアタマ使えーっ!
て、
さんざん叱られてきたあなたは、
いまは出世して叱る側にまわったかもしれませんけど、
どっちにしろ思考の奴隷に成り下がってる。
人間には自己防衛本能っていうのもありますしね、
無理にでも問題を探し出して、
その問題を早いめに解決しておこうという習性が染みている。
思考はエゴの手先として、
エゴを生き延びさせるために
闘争か逃走か
判定を
ひっきりなしに下してきました。
思考を止めるとは、
エゴの生存を脅かすことでもある。
だから急に思考を止めようとすると、
禁断症状

あらわれます。
とんでもなく大きなロスだと、
エゴが騒ぎだす。
貴重な時間のムダだと。
そのせいで、
自分がマヌケになったように感じられ、
バカバカしすぎてやってられない。
──そんな反発が起こってきたとしたら正常です。
習慣というのは一般に、
止めた直後の抵抗がいちばん大きいもんです。
だからしばらく辛抱して続けるんです。
ノイズに意識を向け続けてください。
そのうちだんだんと静まってきます。
おしゃべりおしゃべりの合間に音のないスペースが生まれる。
思考が止まって心も空っぽ
‥‥になったとしたら、
それってすごくいい状態なんです。
正直な心のはたらきは、
常に建設的であろうと必死でがんばるアタマよりも、
何百倍もクリエイティブ。
だから、
いまから紹介するように、
思考っていうのは上手に取り扱ってください。
ハンドリングする‥‥っていうか、
手に取って扱える物体のように観るんです。
こうやって思考を客観視する試みが、
やがてとんでもない副産物を産むことがあります。
というのも、
わたしたちはたいてい、
思ったり考えたりしている自分を、
自分そのものだと取りちがえているからです。
「我思う、故に我あり」っていうくらいなんだから、
>自分が思っているんだろうし、
>考えているのも他ならぬ自分だ。
>ここで思考している自分が自分じゃないとすりゃ、
>いったいどこに自分がいるんだ?

ってことに、
ふと気づく日がくるんです。
だって、
思考を止めてもあなたは消えてないんですからな。
──このややこしそうな話は、
またいずれ別のところで述べるとしましょう。
持たずともいい重い荷物を、だれにも頼まれないのに頼まれたように思って、一生懸命にぶら下げて、重い重いと困りながら歩いて、しかも放さないでいたと同じような過去を私はやっていた。
 あなた方もその仲間じゃないか?考えなくてもいいことを考え、思わなくていいことを思って、そして、自分だけはどうしてもそれを思わなければならないことだ、考えなければならないことだと思い違いしていたんじゃないかい。
   * * *
 我々人間がいろいろの物や事を思ったり考えたりするのは、何のためにするのかということについてのほんとうの意味を知ってる人は案外少ないと思うが、どうだい?
 むしろ、そういうことを正しく理解しようとする人がそうたんといないんですよ。わからないことなんか考えなくたって、きょうは今日、あしたは明日だ、生きてるそのまんまで生きればいいんだ、というような無鉄砲な生き方をしてる人が多くないかい。あなた方のわかっていることは、思ったり考えたりするのは人の心の当然の働きだという程度ぐらいなんだ。それ以上の深い理解は何にもあなた方の心のなかにないんじゃないかい?
 それがわからなければだめなんだよ。それがわかってくると、今度はぜんぜん今までとは違った見方、考え方で、心の思い方、考え方を「取り扱う」ようになるわけなんだ。
 思い方、考え方を取り扱うということは忘れちゃあだめだよ。あなた方は取り扱わないんだから。滅茶めちゃなんだから。思ったり考えたりするまんまに、思ったり考えたりしているんだから。この思ったり、考えたりする事柄を取り扱って、処理するということはしやしない。
 取捨分別をうまく取り扱うようになると、心の思考というものがいかに驚くべき力をもっているものであり、形容すれば、ほとんど無限大の働きを行うものだという、ほんとうの心の値打がわかってくるんですがなあ。
中村天風師「成功の実現」より

クンバハカと呼吸


クンバハカとは、神経の反射作用を調節して心の乱れを防ぐ方法。肉体を霊体化するための密法としてインドヨガに伝わっていたものを、中村天風師が若き日にヒマラヤ山中での修行で自ら習得して日本に持ち帰った。ラジャとカルマのヨガでは「もっとも神聖なる状態」の意。現代日本では、中村天風師の創見された心身統一法の一部である「神経反射調節法」と同義ととらえてよい。

今回もまた
手段について書きます。
わたしが知りえたなかで、
最高にすばらしい手段

もうひとつここでおすすめしときたいんです。
瞑想のすゝめと同様に、
なんのための手段なのかは特定しません。
おかしな話なんですけども、
あなたの目的がどんなものであろうと、
それを達成するために抜群に有効な手段だからです。
心がまえそのものが強くなりますので、
すぐに緊張してしまう方や、
感情のコントロール

うまくできない方に特におすすめです。
(ё_ё)
わたしは、
「成功の実現」という中村天風師の述書を、
社員全員にプレゼントすることにしています。
誕生日に贈ることもあれば、
入社式の日に渡すこともある。
自分に効いた薬が他人にも効くとは思ってませんので、
押しつけるつもりはありません。
実際、
ちゃんと最後まで読まない社員のほうが多いし、
読んだけどよくわからなかったという感想が返ってきたりします。
いま、
必要でないならそれはそれでけっこう。
そのくせちょっと叱られただけで、
>心が折れそう‥‥
だのなんだの、
ヘニャヘニャのヨレヨレなんですから、
やっぱり素直に読んどいたほうがいいんじゃないの
とは思いますけど。
もしかしたらあなたにはちゃんと効く薬かもしれませんので、
お伝えします。
(ё_ё)
 方法をまず第一番に簡単にお教えしよう。感覚なり感情なりの衝動、ショックを受けたら、急いで体の三か所を特別なもち方をするんです。
 体の三か所とはどこだというと、肛門とおなかと肩です。
 腹が立つこと、心配なこと、恐ろしいこと、何かにつけて感情、感覚の刺激衝動を心に感じたら、すぐ肛門を締めちまう。そして、おなかに力を込めると同時に、肩を落としちまうんだ。この三か所がそうした状態にされたときに初めて感情や感覚の刺激衝動が、心には感じても神経系統に影響を与えないという、いわゆる影響を減ずる効果がある。
   * * *
 つまり、この方法はダーンときたやつをカッと軽くいなす方法なんだ。
 別々にやっちゃいけないよ。お尻を締めて、おなかに力を入れて、肩を‥‥なんて、ゆっくりやってはだめだよ。
 普段の習慣としていちばん大事なのは、肛門をしょっちゅう締めること。往来歩くんでも、ものを考えるんでも、かように長く立ってしゃべっているときでも、肛門が締まっていると何とも変化はこない。
中村天風師「成功の実現」より

簡単ですが以上です。
ヨガの密法というわりには、
クンバハカの説明はほんとうに拍子抜けするほど簡単なんです。
もっと知りたいという方は、
1万円ほど出して「成功の実現」(日本経営合理化協会)を買って、
第5章を100回ほど読んでください。
それでもまだ物足りない方は天風会にお入りください。
わたしの場合、
クンバハカの効果はすぐに出ました。
よっぽどそれまでケツが緩んでいたんでしょう。
効果が実感できましたので、
日々のトレーニング(修行というほどのものではない)
まったく苦になりませんでした。
それどころか、
すがすがしい気持ちで続けることができた。
厳かな心持ち──とでもいうのか、
それくらいのムードに浸っていた時期もありました。
ダーンときたやつをカッと軽くいなす方法
っていう、
たったそれだけのことかといえば、
まぁ確かに
たったそれだけのことなのかもしれませんが‥‥
子どもでもわかりそうな
この短い言いまわしに、
ずいぶんいろんなことが集約されている気がするんです。
だって、
ダーンときたやつやられっぱなし人生だったじゃないですか。
ちがいますか?
嘆いても嘆いても、嘆ききれないくらい、
踏ん張りがきかなくて、
なさけなくて、
おたおたしてばっかりの人生だったじゃないですか。
生まれながらの神経が頑丈にできてないからそうなるんであって、
親を恨むしかない悲劇的な運命なのかと思いきや、
だったら神経反射調節してしまいましょうっていう突拍子もない発想ですから、
驚き桃の木山椒の木。
そんなことができるくらいなら、
なんだってできてしまうやんかって気がしたもんです。
とりあえずこれ、
ストレスに対処する方法として絶大な威力を発揮するものなので、
感情のコントロール

うまくできない方に特におすすめしたい感情統御法なのですが、
わたしは大げさじゃなく、
人生のコントロール

真ん中に位置する格別な手段にちがいないと感じています。
具体的で実践的なHow to Doという意味では、
天風先生の創見された心身統一法
ほど
よく組み立てられたシステムは他にないと思っているんです。
なんだか古めかしくて独特な名称が続くので、
むずかしく感じるかもしれませんが、
もうちょっとだけがんばってください。
クンバハカは心身統一法において
神経反射の調節法

名づけられておりまして、
神経系統の生活機能

改善することができるメソッドです。
すぐにビビってしまう、アガってしまう、
気が弱い、気が小さいと言われる性格だったのが、
あたかも神経そのものを別人のものと取り替えたように
内側から劇的に変われる。
わたしが実際に体感している例で言いますと、
取引先の倒産とかクレームや解約といった悪い情報が耳に飛びこんできたとき、
一瞬は心がゾワッとしてしまうもんですが、
そういうのをスーッと流すことができるようになります。
そしてもう10年近く、
ストレスというものを重く感じたことがありません。
人前で話すときにもちっとも緊張しなくなりましたし。
感情のコントロールという点でも、
怒りや恐れはクンバハカを知らなかったころの100分の1か、
1000分の1くらいになったんじゃないでしょうか。
それでもまだカリカリしてしまうことがあって、
以前はどれだけ怒ってたんかと呆れますが‥‥
とにかくクンバハカです。
クンバハカ、クンバハカ、
忘れたらまたクンバハカ。
忘れても忘れてもクンバハカ。
クンバハカが習慣になるまで、
ケツの穴を締めて、締めて、ただ締める。
かんたんですやん。
クンバハカを習慣にするためのヒントを、
天風先生がくださってるので触れておきます。
呼吸とセットで習慣にしたらいいよって話です。
 そこで、習慣をつけるのにいちばんいい一石二鳥の方法がある。いま言った体のもち方を応用しながら、折あるごとに時あるごとに、日に何千回でもいいから深呼吸をすることを稽古なさい。そうすると、ひとりでにこの良き習慣が、いざというときに特別に意識を用いなくても、肛門が締まって、肩が落ちて、おなかに力が入る。
   * * *
 深呼吸は出すだけ。最初、肺臓の中の悪ガスを出すことが大事なんです。呼吸なんだから、「呼」のほうから先におし。
 そのときに、肛門は締めておいて、肩だけ落として、腹のほうは考えないで、息を出すだけ出しちゃう。出しちゃって、出切ったなと思ったときに、改めてまた肛門を締めて、肩を落としておいて、息を吸い込む。いっぱい吸い込んだときにおなかにぐっと力を入れて、そしてまたパーッと出す。
   * * *
 そういう呼吸法をやっていると、いざというときに神経反射の調節法がパッとできるばかりでなく、落ちついた気分が求めずして自分の気持ちのなかにでてきて、今までのように感情や感覚にやたら引きずり回されなくなる。結局、軽率なるかな、あわてふためくから、感情や感覚にふり回されちまうんだからね。
中村天風師「成功の実現」より

あの‥‥
見まちがいじゃなく、
日に何千回と書いてますよね。
さらっと読み飛ばしそうになりますが、
それくらいの徹底ぶりですからね、
覚悟はよろしいでしょうか。
息をフーッと、ですね。
吐いて、吐いて、吐いて、吐いて、吐ききる、と。
そうすると下腹のあたりに自然と力がこもりますね。
そのままついでに肛門の筋肉もギューッと絞っていく。
呼吸法のほうも、
天風会で教わることができます。
呼吸操練法という特別な体操もありますし、
クンバハカと組み合わせたプラナヤーマ法というのもあります。
が、
呼吸法に関してはいろんな人がいろんな方法を説いておられますので、
自分の人間性や身体に合ってそうなものを、
お好みで選んでいただければよいのではないでしょうか。
呼吸で大切なことは、
意識的に息を吐いて吸うことです。
別に何も思ったり考えたりしなくても呼吸は続きますが、
そうではなしに自分の呼吸を聴く感じ。
呼吸を意識し、
呼吸とともにある意識に住まう。
人前で話をするのが苦手だという人のほとんどは、
話をしている最中に呼吸を意識することができてませんよね。
逆にいうと、
呼吸を意識する習慣があたりまえになって、
話をしながらでも自分の呼吸とともにあることができれば、
人前で話をするのは平気になります。
息で間が計れる。
緊張することもなくなるでしょう。
意識しないと早くて浅い呼吸になります。
神経が過敏な人は早くて浅い呼吸が習慣になっているからです。
そのへんの習慣そのものを変えてしまいましょう。
意識して、
ゆっくりとした深い呼吸に戻してください。
腹式呼吸というやつです。
いろんな呼吸法があります。
口呼吸がいいという人もいれば鼻呼吸だという人もいる。
が、
丹田を意識した腹式呼吸が望ましいのはまちがいありません。
──クンバハカと呼吸については以上。
あなたの人生が感謝という名の安心で埋めつくされますことを、
心からお祈りいたします。

瞑想のすゝめ

手段について書きます。
わたしが知りうる手段のなかで、
最高にすばらしいものをここでおすすめします。
>いったいなんの手段ですか?
と尋ねられそうですが、
ま、
なんでもいいんです。
あなたの目的がどんなものであろうと、
それを達成するためにもっとも有効な手段です。
思考を止め、心を研ぎ澄まし、
ふだんは自覚できない潜在意識領域との連絡通路を開放します。
あたりまえのことですが、
どんな目的を達成するにも意志が必要ですよね。
意志が充分に強ければたいていの願望は現実化します。
だから
>夢を叶えるにはどうしたらいいですか?

もし尋ねられたら、
意志の力を高めることですよ
とだけ
答えるかもしれません。
が、
これでは目的と手段の階層が混乱しているために、
答になっていないことも知っています。
>じゃあどうすれば意志の力が高められるっていうんですか?
という問いに再び答える必要が出てくるわけなんですが、
実は、
その解こそが瞑想だと言いたいわけなんです。
瞑想はすぐにでも行動に移せる具体的なアドバイスですから、
あなたの質問に対する答になっていますよね。
瞑想によって意志力が高まります。
感情はコントロールされ、
心も朗らかに安定します。
アイデアがぐんぐん湧いてくるようになるので、
「頭がよくなる」と表現してもあながちまちがいではありません。
するとダイエットもうまくいくし、
急にモテるようになって恋愛の悩みも解決します。
ビジネスのほうではその効果はもっと顕著です。
ある目的を達成するためにいろいろと考え出される手段の集合体について、
いちいち実現可能性が高まるわけですから当然です。
>じゃあ瞑想ってどういうもの?
‥‥っていうことになりますと、
これがなかなか奥の深いものがありまして、
行為としては
坐っているだけ
に見えるものだったりします。
中村天風師の創見された心身統一法のほうでは、
安定打坐というのがありまして、
これも基本敵には「坐っているだけ」なんですが、
ブザーの音を利用して無念無想への近道を実現しています。
坐らない瞑想もあります。
歩いてても寝ころんでても、
電車に乗っているときでも瞑想はできます。
動きのある瞑想としてよく知られているものに、
ヴィパッサナー瞑想があります。
サティを入れることをくりかえしながら、
身体の動きに気づき続けます。
ふだんは意識していませんが、
がちゃがちゃとやかましい頭のはたらき──思考──を、
いったん停止して静かにさせよう。
思考と思考のあいだに無理やりにでも隙間を作って、
潜在意識のほうを動かしてみよう。
ぺちゃくちゃとやかましい心のおしゃべりを、
シーッと黙らせて休ませてあげよう。
‥‥というような目的が一応あるのですが、
目的にとらわれてしまうと瞑想にならない
というジレンマもありますので、
あえて目的はぼやかしたままにしておきます。
はじめはよくわからなくてよいので、
とにかくとかとか、
そんなふうな心境でやりはじめてみたらいいでしょう。
わたしの場合、
はじめのころは数息観という呼吸法から入りました。
自分が呼吸するのを数えるだけのシンプルなものです。
50から1つずつ減らして49、48、47‥‥というように、
息を吐くごとにカウントダウンします。
なぜ逆に数えることにしたかというと、
そっちのほうが雑念に気づきやすいからですね。
1、2、3‥‥と増やしていくほうは、
アタマがあまりにも慣れていて自動化されているので、
途中で気が散ってしまっても気がつかないことがあります。
呼吸を数えることによって、
意識を呼吸に集めます。
自分がしている息のことの他には、
なにもない心になります。
無我一念
──まずは、
ひとつのところに意識をまとめる訓練です。
気づいたら戻りましょう。
瞑想中に雑念が湧いてきたり、
思考がはじまってしまったときは、
ただそれに気づき、
もとの流れに戻ります。
その感じが掴めるようになってきたら、
ひとつのところにまとまった意識を切ってしまう段階です。
ピーンと引っぱった意識の糸をブツッと切る。
無念無想
──自分の中の最強の意志が発動する状態のことを、
そう呼びます。
瞑想についての情報はネットでもいくらでも集められますし、
続けていくうえでのポイントみたいなものは、
わたしもこれから根気よくくりかえし紹介していくつもりです。
しかしこればっかりは
ご自身で習慣的に実践していただかないことにはどうにも伝えられません。
5分でも10分でも、
1時間でも半日でも、
理屈を並べずに坐ることからです。
思考を止めることが、
ひとつ絶対的に重要なアプローチです。
だから、
瞑想っていうのはどういう理屈でこうなんだああなんだと
エゴを介入させてはいけません。
ちなみにわが社では、
「1日3回プチ瞑想」
というのを習慣化しています。
朝は始業と同時に、昼は昼休みが終わったときに、
そして勤務時間の最後に、
1回5分、とにかく坐らせます。
解釈は各自に委ねているので説明はありません。
休憩時間ではなくて勤務時間内にやります。
心を整えるという意味でも大切な経営習慣ですが、
さらに深い修行への、そこは入り口にすぎません。
ただ坐っているだけの瞑想なんて
時間のムダづかいだとしか思えない
という人ほど、
実はいちばん時間をムダに使っている

──と、
遠慮なく断言しましょう。
心の法則を軽んじているわけですからね。
がちゃがちゃと慌ただしい空気の中で、
それを活気だとか華やかさだとかと混同して、
おまけにまわりの協力者をメンタル面で追いつめる。
そんな彼らが忙しいいそがしいといって資料作成に追われているあいだ、
あなたがずっと坐っていたとすると、
そのときは彼らよりあなたのほうが書類の提出が遅いでしょう。
が、
いまでは彼らが3時間かかる仕事を
あなたは3分で済ませることができます。
気づいてください。
他人を変えることはできない

よくいわれますよね。
これは厳密には正しくないのですが、
他人を変えようとするとエネルギーのロスが大きいので、
そんな無駄なことをするときはよくよく考えろよ
という戒めなんだと解釈してください。
実際、
他人を変えようという意図的な試みは90%以上の確率で失敗します。
しかしあなたがもし、
ある人の習慣を変えることができる立場なら、
習慣を変えるという操作を通じて、
その人の性格や思想を変えてしまうことができます。
同様に、
あなたの習慣を変えることによって、
わたしはあなたを変えることができます。
あなたもあなた自身を変えることができます。
このサイトの中で、
わたしはいろんな習慣に触れ、
習慣を題材とした投稿をたくさん書いていますが、
いちばんおすすめしたい習慣瞑想なんです。
心のお手入れをサボらないための基本習慣は瞑想です。
あらゆる目的に対する手段として、
瞑想の習慣 を 第一番におすすめします。
わたし自身は長年安定打坐をサボりながらも実践していますが、
まるで宇宙へのショートカットのように、
フイッと無我の境地に入っていくコツをつかむことができました。
ヴィパッサナー瞑想をずっと続けている友人もいます。
あなたもはじめてみてください。
このサイトがそのきっかけになれば望外の喜びです。
(ё_ё)(ё_ё)(ё_ё)
とか言いつつ、
この話には洒落にならないオチがあります。
あなたの意志力を高める最高の手段が瞑想だと、
たったいまここで説明してきたわけなんですが、
じゃあその瞑想を習慣として継続する意志が欠けていたとしたら、
その足りない意志力はどこから調達してきたらよいか‥‥
っていう謎が残るんです。
もちろん名探偵キクゾウは、
この謎も解きました。
興味のある方には教えてあげてもいいんですけど、
まずはありったけの意志を瞑想習慣に注いでくださいってことですね。