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日本、好き。

日本ってええな

わたしが感じるのは特に、
神社を訪れたとき。
なんせ祭が好きなもんですから、
これが日本の良さだよなってしみじみ感じるのは祭をやってるとき。
神さまを真ん中に
こんだけ気持ちよくひとつにまとまれるんやな
って
感じるとき。
生まれた土地がちがっていたら、
同じ祭はなかったわけなので、
祭があるから日本が好きっていうほど短絡的ではないけれど、
日本らしさをあらためて見直して誇りに思うのは、
神社で神さまの存在を感じているとき。
どこを旅してても神社があって、
神社ってなんでこんなにいっぱいあるんかと、
あっちこっちのどこにでも神さまが祀られていること自体に
日本らしさを感じます。
(*^_^*)
このごろ東京オリンピックの会場問題でもめてるせいで、
森喜朗元首相がテレビにちょいちょい出てくることが増えてますね。
あんまりいい印象じゃありませんけども、
この人を見るたびに「神の国発言」を思い出します。
>日本の国、
>まさに天皇を中心としている神の国であるぞ

ってやつ。
当時現職総理大臣の立場にありながら無神経に発言したもんだから
マスコミに叩かれてしまい、
発言の中味がひどいデタラメだったかのような印象も広がりましたが、
このとらえ方そのものはいいんじゃないのと思った。
どうせなら同じことを、
政治家じゃなくて政教分離も何もない立場の別のカリスマリーダーが、
もうちょいスマートに発信してくれたらよかったんでしょうけどもね。
国のなりたち、ルーツ、礎‥‥
みたいなもんは後から取り替えられません。
「神」「天皇」のどっちにも触れないとすると、
日本が日本としてあるべき中心軸を他に見つけるのは難しいでしょうね。
脈々とそんなふうにやってきたんですから。
次に、
「侍(サムライ)とか「武士道」とか、
そんなんが日本らしいものとして浮かびます。
そういうすばらしい礎の上に国が建ってきたのに、
戦争しちゃったのはマズかったですね。
犠牲者を出してしまったわけですから、
そこは自己否定しないと収まらない心情に傾きます。
まとまるためにはが必要ですからな、
あるときは神のために戦ってきたし、
またあるときは天皇のために多くの国民が奮って命を捨ててきた。
血なまぐさい史実が、
自虐史観につながるのもわかります。
それだけ日本人が謙虚でまじめで道徳的だともいえますね。
だからといって、
過去の一部を否定してしまったんでは、
国のなりたちに一本筋を通すことができません。
そこのところは人も企業も国もいっしょ。
誠意と愛をもって受け入れて、
向きあっていくしかありません。
(*^_^*)
大震災が起きたとき、
日本人はお互いに助けあって、
暴動や略奪などがほんとうに少なくて、
慌てず騒がず協調と和の精神にしたがって行動します。
悲惨な現場での日本人の凛とした姿がニュースで映し出されるたび、
海外から驚きと畏敬の声があがります。
そういうところにいちばん日本人としての誇りを感じますけども、
そんな気高い精神性はどこから来てるのかってことを、
ちゃんと教えてほしいですね。
日本は世界でも有数の地震多発国、
揺さぶられて燃やされて潰されて流されて、
そのたびに多くの犠牲者が出て町が滅びました。
やられてもやられても、
何度も立ち直ってきたのが大和民族。
ときには自分を犠牲にしてでも、
まわりのため全体のためにご奉仕する心がそなわっている。
潔く決断できる。
八百万神が、
日本人の心にお住まいになっているからではないですか。
いつのまにか無意識に、
われわれ日本人は神を敬い、
神に守られているのではないですか。
遺伝子に組みこまれてんじゃないかっていうくらい、
国全体を支配する空気がそうなっている。
それこそが日本なのではないですか。
神社の鳥居を一歩くぐると、
うやうやしい気持ちに自然になってしまうじゃないですか。
誰に教わらなくてもそうなる。
先にそういう精神性ができあがっていて、
その上に天皇制も武士道もできあがってきた。
祭をやっていると、
神さまでなかったら起こせない力を感じることがあります。
人間業じゃないことが起こる。
やっぱりね、
日本人の心がいちばん清らかに、
落ちつける軸といえば神ですよ。
魂の国なんですよ。
(*^_^*)
じゃ、
アメリカといえば?
自由の国
でしょうかね?
とすると、
自由を制限するような政策では、
アメリカのアイデンティティが損なわれる。
根本が狂ってアメリカがアメリカじゃなくなる。
そういう視点でいうと、
トランプ大統領は、
経済的にはOKでも文化的にアウト。
>アメリカってカオスの国だよね
って話なら、
それでけっこうでございます。
ずーっと混沌としてて、
これからもずーっと混沌だということであれば、
一本筋が通っているのでトランプさん大正解。
偉大なアメリカをリメイクするために、
混沌の歴史をあえてくりかえすと考えるならセーフです。
アメリカにはアメリカの哲学があり、
道徳観も義理人情も宗教もありましょうけども、
日本にあってアメリカにないものを探すことが、
アイデンティティのヒントになりますよ。
(*^_^*)
>日本って、
○○○○の国だよね。

って、
ひとつにまとまる
そんな何かがあってほしい。
戦闘のためにまとまろうっていうのとは反対で、
ケンカせずにまとまれることが成熟した国家の証。
「神」「天皇」も持ち出せないとなると、
政治家は苦労するでしょうね。
わびさび
とか
おもてなし
とか
もののあわれ
とか
富士山
とか?
ま‥‥(◎_◎;)
どれも求心力には欠けますが、
そんな調子で探していけばいいでしょうか。
日本にあって他所の国にはないか、
理解すらできないもので、
でも日本人ならそれでひとつになれるような‥‥
中心軸としての何か。
一本の国家観を短いフレーズでパッと伝えられた政治家って、
誰かいましたか?
思い浮かびませんけど、
わたしが勉強不足なだけですか?
天皇中心神の国
は、
いいとこ突いてたからこそ物議を醸したんでしょうね。
侍ジャパン

スポーツのほうから出てきたコンセプトですけど、
別にそんなノリでもかまわないわけで。
政治家の立場ではなかなか軸を打ち出しにくい中、
道義大国
っていう国家コンセプトをわずか4文字で掲げているのが、
稲田朋美防衛大臣ですね。
NGワードを使わずに、
なかなか日本人の心情に近いところを突いてるじゃないですか。
日本人っていうのは礼節をわきまえた民族で、
真面目で律儀で責任感もあるっていう、
そういうムードは醸し出されている。
短い言葉で方向性を示すと
どうしてもそこには「かたより」が含まれてしまいますから、
必ずどっかからは叩かれますけどもね。
稲田朋美って政治家の思想がどうのこうのというより、
こんなコンセプトを力強く打ち出していることがすばらしい。
安倍内閣は「一億総活躍社会」というキャッチフレーズを打ち出してますけど、
これは一時期の政策についてのスローガンであって、
国家の礎とは無関係ですからね。
阿部さん、
国民の支持率は依然として高いし、
わたしも肯定派ですけども、
日本をどういう国にしたいのかっていう方向づけはよくわかりませんね。
はっきりしてないからこそ幅広い層に無難に支持されるんだともいえますがね。
日本がますます好きになるにつれ、
この国をつくってきた政治家のこともだんだん尊敬できるようになってきました。
政治家が信頼できて尊敬できるくらいになるってえと、
これはもう立派に成熟したオトナでしょ。
マスコミの操作を真に受けることも減りましたしね。
2009年9月から2012年12月までの民主党政権が、
あまりにもおバカでお粗末すぎたために、
すっきり素直に自民党を支持しとこって気持ちになったのは、
わたしだけではないでしょうね。
(*^_^*)
神社にお参りしていると、
日本人という民族は、
政治とは関係なしに成熟していけるんじゃないかって気にもなります。
ぜんぜんだいじょうぶな国じゃないか。
テレビや新聞がなんて叩こうと、
日本はもともと神の国であって、
これからもずっとブレずに神の国なんじゃないか。
神さまがだめなら神話の国でもいいじゃないですか。
伊弉諾神伊弉弥神からぽっこんぽっこん島が生まれて、
ぽっこんぽっこん神さまがお生まれになって国ができたんでしょ。
おしゃれなルーツじゃないですか。
神さまっていったら宗教的‥‥
とはかぎらないんですよ。
最初に日本をつくった神さまなんて、
そこいらのやんちゃなガキとなんぼも変わらない、
自制心もなくわがまま放題やりたい放題でシッチャカメッチャカ。
かしこまったところもぜんぜんなくて、
なーんか親近感わきますよ。
(*^_^*)
誤った国際化とかグローバリゼーションとかで、
日本がどんどん日本らしさを失って荒廃してるっていう見方がありますがね。
これもまたマスコミに操作されてるだけなのかもしれませんが、
そういう論調に触れるとやっぱりそうかなって心配になりますよね。
日本だけが取り残されるぞっていうような脅しにはね、
乗らないように気をつけましょう。
英語の勉強は大事かもしれませんが、
まずは美しい国語をしっかり身につけてからでしょ。
国語の勉強時間を減らして英語の時間を増やしましょう‥‥
じゃないでしょ。
いまの日本の教育を見てますと、
アメリカにかぶれたまま日本らしさが失われているように思えなくはないです。
が、
そのいっぽうで、
神の力はあなどれないっていうのもほんとう。
なんたって八百万神ですからな。
グローバル化がなんぼのもんか知りませんが、
そんなんで損なわれるくらいの文化なら、
はじめからたいしたことなかったわけでして。
日本の文化はそんなちゃっちいものではないし、
神さまのほうでは屁とも思ってないでしょ。
政治家やマスコミなんて、
毛ジラミほどの存在感もないでしょ。
ミサイルから日本を守ってくれてるのはアメリカかもしれませんけど、
日本人の心にあって変わらない日本らしさを守っているのは神さまでしょ。
全国の八百万神が年に一度、
出雲の地に結集されるんですがな。
一柱でもたいそうな力をお持ちの神さまが、
うようよ集まって何やら「神議り」ってやつを開かれるわけでしてな。
おもろいじゃないですか。
このごろ日本、
なんかちょっとあかんのんちゃうか

ってことになったら、
たちどころに修繕されますよ。
神さま総出のサミットで中心となる議題は「縁結び」ですからな、
つまり、
少子高齢化対策も含めた人口問題は神さまのはかりごとなんですよ。
人間ごときが何を心配することがありましょうや。
(*^_^*)
ところであなたは日本が好きですか?
生まれ育った国、
日本ですね。
愛しているけど好きじゃないなんていう、
そういう屈折した感情はどけといていただいて。
好きでいたいじゃないですか。
で、
日本が良くなるように、
なんか貢献したいじゃないですか。
中小零細企業っていうのはせいぜい狭い範囲の地域貢献しかできませんし、
それより自分たちの生き残りで精一杯っていうのが一般的でしょうけども、
国を良くするっていう大きな志ももちろん大切にしたいですやんね。
日本はどんどん悪くなってる‥‥
このままでは絶望だ、こんな国には住みたくない、
子どもたちがかわいそうだ、
政治家はアホばっかりで信頼できない‥‥等々、
文句ばっかり先に出るって情けないでしょ。
日本のせいにすんなよ。
自分がしあわせじゃないからって、
それを国のせいにするってどうなのよ。
かなり飛躍した責任転嫁ですよね。
仮にいまの日本が情けない国だったとしてもですよ、
どっちかというと、
そんな日本にしてしまったのは自分の責任と考えるくらいでいい。
何ひとつ他人のせいにするのはやめにして、
自分には何ができるかを真剣に考えよう。
国のために何かしよう‥‥なんて、
大げさなことを考えるのは身のほど知らずで愚かしいかな‥‥?
とも思いますけどもね、
不平不満ばっかりこぼしてるくらいだったらって話ですよ。
よその国のやってることにケチつけるなんて、
もっと愚かですよ。
あっちの人らはあっちの人らで、
また別の価値観で生きてはるわけで。
わたしらのように八百万の神さまに守られているわけでもないし、
魂がふらふらしてて寂しいんでしょう。
軸がない国ほどブレるっていうのが
よくわかるじゃないですか。
日本を好きでいましょうよ。
まったく日本人ほど、
自分たちの国が好きな国民はないねぇ
と、
そんなふうに他国の人たちから呆れられてリスペクトされたら愉快じゃないですか。
象徴天皇に対する日本国民の敬愛の念の大きさ深さは、
もうすでに感動の域を超えてますけどもね。
いい国ですよ。
国を愛してなかったら、
日本がよくなるようなことを真剣に考えられないじゃないですか。
世界の平和の光を日本から放っていこうにも、
この国を好きでなければね。

サイト5周年のごあいさつ

いつもいつも、
ものすごい数の読者のみなさんに
じっくりこってり真剣に読んでいただき、
感謝に堪えません。
ありがとうございます。
そしてまた今日も、
キクゾウのサイトにお越しいただき、
ありがとうございます。
通勤通学のヒマつぶしとして、
また、
眠れない夜のお供に、
絶大な効力を発揮しているみたいなのですが、
どこでどんなふうに楽しんでいただいてもけっこう。
それもこれもすべてご縁、
ご縁に感謝です。
人間活動サイトを立ち上げて、
早くも5年がたちましたので、
ここらでいっぺん総括っぽくふりかえってみます。
わたしは物書きではありませんが、
この5年、
書き物が余暇の楽しみになりました。
ブログやってる人ならおわかりでしょうけど、
書いてないときにも次に書きたいことが浮かんできたりして、
表現するを持てた充実感が味わえました。
顧みる時間

いっぱいいただいた感じ。
書きたかったことはぜんぶ書いてしまいましたし、
伝えたかったことはもう、
ぜんぶ伝え終わっています。
ほんでまた
何年もまえに書いた自分の文章を読みかえして
>おもろいこと書いとんなぁ
って感じで、
飽きないんですね。
おめでたいヤツだと思うでしょう。
自分で書いといて自分で感心して自分で笑えるし、
また何回でも学べる。
>ええこと書いとんなんぁ
って、
ほれぼれすることも1回や2回じゃございませんし。
なんておめでたいヤツなんだ

わたし自身も思います。
どのページがどのくらい読まれているかわかりますから、
その分析も楽しい。
>このタイトルでこんな中味なら
>だいたいこのくらいのPVになるやろな

って
予想が当たるようになりました。
伝えたかったことと、
受け取られ方がちがうことはしばしばあります。
真意が伝わらない。
自分がわかってるってのと、
人に伝えてわかってもらうのとはこうもちがうかと。
伝える力の限界

常に意識しつつ、
次回にはもっとうまく伝えられるように、
同じことを、
相手によって少し表現を変えたり、
想定されるターゲットそのものを変えたりしながら、
キクゾウの書き物は続きます。
感想やご意見をいただくと嬉しい。
>変わりました
>変われました
と、
これがいちばん嬉しい。
もっとマニアックな言い方としては──
>戻れました
と、
こうなるともう完ぺき。
心が傷を負って歪むまえの、
自分の原型を取り戻していただけたら
それが100点満点の至福です。
きちんと報酬を払っていただいて、
コンサルティングもしくはカウンセリングのかたちで関与を深め、
具体的なアドバイスもさせていただき、
時間をかけて充足度を上げて‥‥
っていうのも別の種類の嬉しさがありますが、
たったひとことの短いメールでもじゅうぶん嬉しい。
お役立ちのナマ実感こそが
わたしがこのサイトを続ける理由なんでしょう。
その恩恵を、
続けているわたし自身がいちばん受けている。
やっぱり世の中って
そんなふうな因果でできているのがわかっておもしろい。
役に立ってるんですから、
やっぱりここに書いてあることはだいじょうぶ。
伝え方としてまちがってなかったとわかる。
書いているうちに心が整理できて、
自分の書いたものに自分が教えられてブレなくなる面もある。
そしてなにより、
わたし自身の人生が向上している。
業績も好転し続けているし、
プライベートも申し分ありません。
しがらみは消え、
引っかかっていたもの、
わだかまっていたものも消える。
そうして
自信や勇気や愛され感がますますわいてくる。
だいじょうぶ。
まわりくどい書き方で、
何回も読まないと意味がわからない箇所も多々あるはずですが、
がんばって解読する価値はあります。
誰にでもわかるようにかんたんに書こう
とは、
思ってない‥‥というか、
そこは割り切ってあきらめざるをえないというか。
ウケを狙っているわけじゃないのですし。
ま、
ここに来られる方は、
だいたいが理屈っぽくて知性派でしょうから、
わたしの表現力不足はカバーしてもらえると思いますが‥‥
人の心の動きは幽玄微妙
そんなもんが誰にでも簡単にわかってたまりますかいな。
簡単にわかりやすく書くことを優先していると、
わたしの場合、
理屈っぽいアタマが横ヤリを入れてきて書けなくなってしまいます。
かつて、
当のわたしがそうだったんですが、
耳障りが良くてちょっと感動して、
あしたからでもすぐに真似できる小話をいくつ聞かされても、
日々の苦悩はどうにもならない。
わかっちゃいるけど変えられないところを、
どうにかしてくれない話につきあっているヒマはない。
スタートからゴールまでの道のりを見渡して、
理屈に矛盾を感じるとそこから入っていけない。
長ったらしくってもいいから、
右から左から斜めから裏から切り刻み、
肝心なところはとことん解きほぐして得心させてほしい。
こっちは疑心暗鬼に囚われた重病人なんですからな、
気休めの軽い言葉では治まらないんです。
このサイトの訪問者もまた、
根っからお気楽な人ではないでしょう。
ここにたどり着くまでに、
幾種類もの療法を試しておられる。
神経過敏ですけべえな気むずかし屋さんも多いはず。
その手のセミナーに何度も通われたし、
本も何冊も読んでこられた。
宗教団体に100万単位でお金を注ぎこんで、
ますます迷いが深まった人ももしかしたらいらっしゃるかもしれない。
そんな訪問者層を想定し、
ややこしいところにもしつこく踏みこんでます。
むずかしいよりは簡単なほうがいいでしょうから、
なるべく親しみやすい表現を心がけていますけども、
理論的な根拠をごまかさないよう心がけました。
書いていることの大半は
自分自身が学ばせていただいたことの請け売りです。
ですが、
へそ曲がりで疑り深くて理屈っぽいわたしが、
完全に納得して試してみて結果が出たことだけを伝えています。
心のすべてを解き明かした人は歴史上に何人もおり、
まだ発見されていない真理などないでしょう。
伝え方が見つかっていないだけで、
わかった人にはすべてが見えていた。
よくぞ、
この物わかりの悪いひねくれ者にでもわかるほどの、
すばらしい伝え方を編み出した方がおられたものです。
わたしのわかったことはまだほんのひとかけらですが、
それさえ見つけられない人が世間にごまんといることもわかりました。
そんな人をつかまえて、
>ちょっとちょっとあんた!
>だめだよ、そんなんじゃ。
>バカだねまったく、
>なーんもわかってないんだから。

──と、
これはおせっかい。
やめときましょう。
インターネットはいいですね。
必要な人が必要なときに必要な分だけ持って帰れる。
わたしが答を探しまわっていたころとは大ちがい。
このサイトは、
社長が書いてるんだけれども、
世間一般のいわゆる「社長ブログ」っていうカテゴリーとはちょっとちがって、
「社長のひとりオウンドメディア」みたいな位置づけなんじゃないかと思ってます。
維持費は、
レンタルサーバ代が月3000円ほど、
ドメインが年に4000円ほどかかるだけなので、
こんなに安く遊べる趣味はなかなかありません。
Ameba(アメーバブログ)などの無料サイトを使わなかったのは、
CSSを自由にわがままに使いたかったからですが、
広告バナーとか一切ないので、
それだけでもずいぶん読みやすくてスッキリですから、
月3000円をケチらなくてよかったと満足してます。
キクゾウのメッセージが、
必要とする人のところにきちんと行き渡ることを願いつつ、
これからも調子に乗ることなく、
地道に堅実に、
お役立ちを持続しますので、
末永くごひいきに。
感謝

良いも悪いもないというお話

やっぱり今年も、
年賀状をポストに投函するのがぎりぎりになってしまいました。
大みそかです。
2014年の年賀状のデザインは、
干支の「馬」にちなんで、
こんな漢文を入れてみました。
近塞上之人、有善術者。
馬無故亡而入胡。
人皆弔之。
其父曰、此何遽不為福乎。
居数月、其馬将胡駿馬而帰。
人皆賀之。
其父曰、此何遽不能為禍乎。
家富良馬。
其子好騎、墮而折其髀。
人皆弔之。
其父曰、此何遽不為福乎。
居一年、胡人大入塞。
丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。
此独以跛之故、父子相保。
故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也

教養あふれるみなさんは、
もうおわかりと思いますが、
これは
人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)
の故事ですね。
「淮南子」(えなんじ)という、
中国で紀元前2世紀に編纂された書の中にこの原文があります。
読売ジャイアンツからメジャーリーグへ移籍後、
ニューヨークヤンキースなどで活躍し、
今年、
国民栄誉賞を受賞した
ゴジラこと
松井秀喜選手の座右の銘としても有名です。
彼の「不動心」という著書の中にも出てきますから、
それで知ったという方も多いかもしれません。
まぁだいたいは、
「人生というのは何がいいことか悪いことか最後までわからない。
つまり幸福や不幸は予想のしようがない、
だから安易に喜んだり悲しんだりしないようにしよう」

というような意味だと解釈されているようです。
上記の漢文を現代語に訳してみますと──
<<
辺境の砦の近くに、占いの上手な老人が住んでいました。
ある日、飼っていた馬が、
北方の異民族の地へ逃げていってしまいました。
(良い馬は高く売れるので)近所の人々が気の毒がって老人をなぐさめると、
老人は言いました。
 >これで幸福にならないともかぎらないじゃないか。
それから数か月後、その馬が異民族の地から良い馬をたくさん連れて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、
老人は言いました。
 >これで不幸にならないともかぎらないじゃないか。
やがて老人の家には良馬が増え、
老人の息子が乗馬を好むようになったのですが、
馬から落ちて脚の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがなぐさめに行くと、
老人は言いました。
 >これで幸福にならないともかぎらないじゃないか。
1年が経ったころ、異民族が城塞に攻め入ってきました。
若者はみんな弓を引いて戦い、ほとんどが死んでしまいました。
が、老人の息子は足が不自由だったために戦争に駆り出されずにすみ、
無事に父とともに生きながらえることができました。

>>
──どうです?
>へそまがりで感じの悪いジジイの話やんけ!
‥‥じゃありませんよ。
ザ・不動心です(ё_ё)
ヒデキ・マツイです(ё_ё)
真理はいつも、
へそまがりな屁理屈の中に‥‥ですね。
パラドキシカルなんです。
(ё_ё)
わたしはこの話を津留晃一さんの本で知りました。
そして、
津留晃一さんの伝えてくれたメッセージがとても好きです。
 私たちの自我には「どちらが良い」と判定する能力はありません。
 10年後、20年後の結果がどうなるのか、わかりません。「AかBか」の選択のチャンスがあって、どちらを選んだほうが自分のためになるのか、私たちには判断できないのです。
 それなのに、いつも「どちらがいいのか」と自我は判断しています。
 起きてきたことを「良かった、悪かった」と喜んだり嘆いたりするのは、何の意味もありません。
 * * *
 この話で大体おわかりいただけたと思うのですが、ある出来事に対して、それが良いことか悪いことかはわかりません。ですから、判断することに意味がないのです。
 ところが、人間というのは、いつも判断して生きているようです。
 人から何か言われて、それが悪口だととらえる人がいたとしましょう。しかし、悪口かどうかはわからないし、言われたことが本当に悪いことかどうかもわかりません。
 判断する時間があったら、そのエネルギーを「今に生きる」という方向へ向けてはどうでしょう。いつも自分の中心に意識を合わせて、「今、ここ」を生きませんか。
 私は「起きてくることは、すべてベストである」という話をしています。
 その出来事が良いか悪いか、と判定する能力は自我にはないのですから、判定するのは置いておきましょう。
 「このままがベストなんだ」と決めつけてしまうのです。
 「良い・悪い」という判断を捨てて、今、目の前にある事実とともにいてください。あなたの宇宙の事実から目を離さず、「今、ここ」をただ体験してみるのです。
津留晃一「津留さんが、心から伝えたかったこと」

──今年の投稿はこれが最後です。
どなたさまもよいお年をお迎えください。
ごきげんよろしゅうに(≡^∇^≡)