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喜んでいただきましょう!

話がややこしくなったのは、王があらわれてからだ。
午前4時。わたしはまだ深い眠りの中にいた。
自らを「はりまのくにの王」と呼ぶ男のことだが、
彼がほんとうに王なのかどうかはわからない。
ただ、彼の兵が彼を播磨王さまと呼んでいたのは確かだ。
それなら同郷人ではないか。
それだけのことでわたしは心を許した。
王は、神の言葉とやらをわたしに伝えるためにやって来たらしい。
なんの神さまなのかは、ちゃんとした説明がなかったから知らない。
>喜んでいただきなさい。
神の言葉とは、
ただその一言だった。
わたしは王に、
>はい、王さま。
>とりあえずわたしは、
>いただけるものは何でも喜んでいただくつもりにしております。


寝ぼけた口調で答えた。
>ばか。
王は言った。
>(ばかとはなんだ -_-#)!
言い返すことをわたしはためらった。
すると王はさらに続けた。
>おまえが何かをもらうときの話をしているのではない。
>おまえの仕事で世間の人さまによろこんでもらえという話をしているのだ。

と。
なんだそういうことか。
だが、
王の言葉には妙に説得力があった。
>しかも無条件にそうするのだぞ。
なおも語る王の表情には威厳が満ちていた。
>それは無理やろ。

突っこもうとしたときには王の姿は消えていたが、
その日から王の告げた言葉がわが社の経営理念となった。

2007年8月に自分が書いたメモから再現

‥‥わが社の経営理念が決まった経緯は、
まぁだいたい──多少のデフォルメはあるにしても──
上記のような「王さまとの会話」のとおりです。
そのときわたしは、
ちょっとアタマがヘンになっていたんです。
しばし、
あちらの国に行ってました。
(ё_ё)
わたしが突然、
てんかんのような症状で気を失って倒れたのは2007年3月のこと。
異変は午後8時ごろに起きたのですが、
さいわい、
自宅で家族と食事をしているときでした。
妻と3歳になる長女の目の前で、
わたしが
突然ゴロッ

倒れます。
家にはもうひとり、
1歳の長男。
家族4人で救急車に乗せられたそうなのですが、
そこから先、
数時間の記憶はまったくありません。
集中治療室のベッドで意識が戻ったのはたぶん夜中の11時すぎなのですが、
意識が戻ったといっても切れたりつながったり
ちょうど、
それより少しまえの親父──認知症で老人ホーム暮らし──と同じように、
なにか思い出して話そうとしたら
またスーッと記憶が途切れてわけがわからなくなる‥‥。
最初に思い出したのは、
次の日の朝に来客のアポが入っていたということ。
>そうだ。
>あれをキャンセルしないと。
>柴田(秘書的役職の女性社員)に電話しないと。

と、
ただそれだけ。
病院の電話を借りても電話番号が思い出せないので、
ケータイの使用を特別に許可してもらい、
>入院した。
──誰がですか?
>オレが。
──いつですか?
>さっき。
‥‥みたいなやりとりがあったと、
のちに柴田が教えてくれた。
母親、弟、義兄‥‥が続々と病院に詰めかけていたことは、
あとで嫁が教えてくれた。
次の日になっても、
なかなかわたしの意識が回復しないので、
>脳炎の疑いもあり、
>だとしたら命にかかわる。


主治医の吉田先生に告げられた。
いくら意識が朦朧としてるっていっても、
その言葉の意味くらいわかりましたので、
泣き崩れる妻に紙とペンを持ってこさせ、
とりあえず遺言を書きかけたのですが、
書いてる端から自分が何をやっているのか忘れる‥‥のくりかえしで、
けっきょく遺書ができあがることはありませんでした。
なんて書こうとしてたんでしょうか?
たしかに書きたかったことがあったのですが、
それも思い出せません。
自分の生年月日とか電話番号とか家族の名前とか、
日常生活に関わる質問にスッと答えられるようになるのに5日ほどかかり、
意識がとぎれとぎれになる状態は2週間くらい続いたと思います。
髄液検査の結果、
脳炎ではないことが判明し、
MRIによって海綿状血管腫と診断されました。
先天的なものらしいのですが、
>左脳を切る手術でたぶん治るだろう。
とのことでしたので、
4月に入院して手術を受けることに決めました。
2週間くらいで退院できる見込みと聞いて、
うまいことゴールデンウイークに重ねて、
なるべく会社を休まなくていいようにしてもらいました。
はからずも
その入院期間中が、
わたしの人生でいちばん気持ちの澄みきった、
すばらしい時間になったんです。

朝から晩までまいにち瞑想三昧。
完全に思考を休めて、
心といっしょにいることができた。
はたらきすぎた左脳に、
天が強制的な休息命令を出してくれたにちがいありません。
ありがとうございます。
余談ですが手術中、
ちょっとしたアクシデントがありました。
ボケてたくせに、
そこはあまりの恐怖でしっかり覚えてます。
ちょうどノコギリがガリガリガリッと頭蓋骨を削っているとき、
その振動で目が覚めたんです。
麻酔が切れかけてたんでしょう。
ゴリッ!
>うんっ?なんやこれ?
>ありゃ、
>なんか起きてるし、オレ。
>まだ手術、終わってないみたいやし、
>それどころか雰囲気緊迫してるし、
>これって‥‥
>かなりヤバいタイミングちゃうの~!?

──実際、
最悪にヤバいタイミングでした。
脳にノコギリ刺さってる状態なんですから。
でも全身麻酔ですから、
声なんて出ません。
クンバハカも忘れて焦りました。
なんとか先生に伝える手段はないかと必死でもがいたら、
指先がかすかに動いたんです。
たったそれだけの決死のメッセージでしたが、
よくぞ気づいてくれました。
>あ、
>えらいこっちゃ。
>あとでキクゾウさんに叱られるわ。

て、
ちゃんと聞こえましたよ先生。
マジで怖かった~ ε=( ̄。 ̄;)
退院後もわたしに冷やかされて苦笑いされる吉田先生ですが、
陽気な人でよかったです。
>子どもの日には家にいてやりたい。
って、
こじつけでわがまま言ったら、
早めに退院させてくれましたもん。
退院してからは3ヶ月のあいだ、
また発作を起こして意識をなくしても死なないように、
お酒運転入浴ひとりで出歩くこと

止められました。
ひとりで出歩いたら事故で死んでしまう恐れのあるわたしは、
社員と家族にほんとうに助けられました。
朝は家族に会社までついてきてもらう。
会社からは社員が家までついてきてくれる。
24時間完全警護状態です。
湯舟につかるときは、
溺れないように浮き輪を持って入りました。
長湯になると子どもが心配してのぞきに来てくれました。
ふだんは自分の部屋でひとりで寝てるんですけど、
家族4人でいっしょにひとつの部屋で寝ました。
わたしのアタマはほとんど丸坊主で、
おでこの上に20センチくらいのエグい傷。
こんな顔ではお客さんと会うこともできませんから、
なにからなにまで社員にお任せ。
そしたら社員が八面六臂の大活躍で
おまけにふだんの何倍もやさしくしてくれて。
猛烈にしあわせでした。
病気っていうのはそんなふうに、
まわりの人に支えられて生かされているんだってことを再確認して、
感謝を最大限にするために天が与えてくれるチャンスなんだと、
そのときに悟りました。

家族と社員に、
ものすごく感謝。
感謝、感謝、感謝。
その当時くらいの深い深い感謝を現在も忘れなければ、
もっと立派な経営者になれたにちがいない

思うのですがっ‥‥ヾ(☆o☆):
それはさておき、
そのころが人生でもっとも殊勝なマインドで生きていた期間だったのは確かです。
左脳のはたらきが鈍っていたせいか、
ほ~っと空っぽな日常が続いていた夏のある日の朝、
天風先生のような姿をした神さま(だとそのときには思った)が天空に飛来し、
なにやらピュッと、
わたしにメッセージをくだされたのです。
それをメモしたのが冒頭の文章。
まぁそんなわけですから、
わが社の経営理念は、
いわば天の御請託みたいなものだと感じています。
喜んでいただきましょう!
わたしにとってこの言葉は、
会社の経営理念であるばかりではなく、
生き方ぜんぶの姿勢、
すなわち人生理念として、
なんの引っかかりもなく、
今日までスーッとあたりまえのように基本に揺るがずあるものです。
社員も気に入ってくれているみたいで、
職場がいつも元気なのはこの理念のおかげだと言えます。
ありがとうございます。
手術後の宗之内喜久造


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