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傾聴──問題解決と共感のはざまで

傾聴セミナー


バトル激化の日々

このサイトを開設した2011年1月。
むねのうちきくぞう

名前が生まれたころ。
会社では社長のわたしと、
ベテラン女性社員のあいだで、
バトルが絶えませんでした。
殺伐とした没コミュニケーションが1か月を超える根深いやつを、
わたしは不謹慎に「内乱」と呼んでいるのですが、
そんなんが年に1~2回、
>辞めたい、辞めさせてくれ、
>もう限界、無理‥‥


ヒステリックに泣かれてわめかれて‥‥。
この世の中でいちばん信頼している相手に、
なぜか、
>社長はわたしのことをぜんぜん認めてくれてない!

なじられる。
このすれちがいの、
意味がわからず。
地べたの頭をこすりつけるように、
心の中で何度もなんども土下座して、
>もうぜったい何があっても、
>彼女の話をきちんと聞こう。

と。
オレはきくぞ!
きくぞ!
きくぞーっ!!

(T_T)
──それが
むねのうちきくぞう

はじまり。
切ないKIKUZOプロジェクト

はじまりなんです。
宗之内喜久造

あなたの胸の内を聴くぞう
なんです。
だからこの名前は、
冗談でも
そのうちきくぞう

読んではいけません。
真逆の意味になってしまいますので‥‥
そう読めなくもないですが、
菊正宗(=きくまさむね)の「むね」と覚えてください。
(T_T)
あれはまだ、
キクゾウが傾聴というものをリアルにわかってなかったころのこと、
せめてカタチだけでも、
気合いだけでも、
ちゃんと話を聴くぞ、
しまいまで聴くぞ、
聴くぞーっ

と、
がんばった時期が約2年間あります。
聴くぞ聴くぞと言いながらやっぱり聴けてないので、
実はバトルはそれ以前よりもますます激しくなったのですが‥‥
何か言いたそう(かな?)
顔に不満の色が浮かんでいる(みたい?)
最後のひとことが吐き捨て調だった(よな?)
‥‥

そういうときは、
とにかく仕事を止めてでも、
テーブルで2人で向かいあって、
>さ、
>なんでも言うてくれよ。
>聴くぞー!

というモードに入る。
時間無制限。
どっから話がこじれたか、
テープを巻き戻して(昭和の表現ですが)プレイバック。
こじれたところから仕切り直し。
はじめはものすごく機嫌が悪くて
>もういいです!
>けっこうです!

って雲行きなんですけど、
わたしが話をきかないことを非難した立場上、
じゃあちゃんと聞くから話してくれと社長がいうなら、
そこは従わざるをえない流れ。
とにかく20分、30分、
日によっては1時間、2時間‥‥
差し向かいで話を聞く。
電話がかかってきたら出ますけど、
その他の業務は基本的に中断。
愚痴とも取れるし批判とも取れる、
なんだか耳の痛い話が始まります。
お互いの、
すごい神経消耗戦
なるほどそれはわかるという箇所もあるし、
そんなもん言葉のアヤで単なる誤解やんかということもある。
しかし、
こっちも必死なんで、
どこまでも誠意の塊となって全身を耳だらけにして聞く。
聞いてるつもりというべきか。
しかし、
そこまで全力投球で聞く姿勢になっているにもかかわらず、
また炎上。
冷静に、
ひとこと、ひとこと、
言葉を選びながらリプレイしているっていうのに、
再炎上、再々炎上。
>やっぱり社長は、
>わたしの話をぜんぜん聞いてないっ!
>キーッ!!!

となる。
>いまのその言い方が、
>相手を否定したことになるのがわかりませんか!


肉がちぎれる勢いで噛みつかれる。
なんでやねん?
さすがに、
わたしの立場からすると、
言いがかりの逆ギレとしか思えないことをすごい剣幕で突きつけてきますから、
もう、
こいつは気でも狂ったんかと悲しくなってしまう。
>どこが否定やねん?
>ちゃんと聞いとったやないか!

しまいには、
毎日のミーティングを録画したり録音したり、
ものものしい雰囲気。
しかしそこは、ま、
現実問題としても、
辞表をもってきた社員に
>あの発言はパワハラです。
>それとこれも、あれも‥‥


突かれたこともあったわけでして、
言葉づかいには最大級の配慮が求められていることも自覚しております。
上司と部下のコミュニケーションは、
最優先で取り組む必要のある経営課題。
本格的に、
コーチングやカウンセリングの勉強をしようと
自己投資をはじめたのは3年前です。
そして、
このすれちがいのナゾをやっと解いてくれたのが、
傾聴の学びでした。
わたしは性懲りもなく、
バトルのたびに、
ある過ちを犯していた。
しかも
100%例外なく犯していた。
その過ちこそ
問題解決
だったんです。

問題解決のどこが問題?

ちょうどバトルが激化していた2014年のベストセラーに、
「察しない男 説明しない女」五百田達成著)

あります。
この本を、
彼女が買ってわたしにくれました。
>これ、読んでください
と。
表紙のデザインには
>どうしてわかってくれないの!?
っていう、
例の、
殺傷力抜群のセリフが載ってます。
これよりもっと単刀直入に、
そのまんまズバリのタイトルがついた
「解決したがる男 共感がほしい女」内藤誼人著)
っていう別の書籍もある(読んでませんが)ようですけど、
要するにそういうことだったんです。
わたしは問題を解決したがったが、
彼女が求めていたのは共感だった
っていう‥‥
わかってしまえばたったそれだけの‥‥
(T_T)
さてここでは、
男はどう、女はどう、
という分け方はやめて、
上司と部下で考えましょう。
仕事ができる問題解決ができる

言い換えてもいいくらい、
ビジネス脳は問題解決志向。
問題を見たり聞いたりすると、
すぐさま解決したくてしかたがない。
それが習性。
ところが部下のメンタルはそうではなく、
ひとことでいうと共感ハートです。
上司は業績を上げるために、
「上」から指示や命令を与える。
部下はめんどくさい上司に耐えながら、
「下」で虐げられている。
社長であるわたしの頭は完全な問題解決アタマ。
無意識に、
条件反射的にそうなってしまっていて、
社長になるまえから完全にそればっかり。
だからクチグセのように、
>ほな、
>こうしたらええんちゃう?

とか
>じゃ、
>それはこうするわ。


即座に反応ってしまう。
これのどこが否定やねん?
って感じなんですけども。
(だってどこにも否定的語句は入ってませんし、
建設的で前向きなアドバイスにしか見えない。 そこがくせ者。)

しかし
それに対して戻ってくるリアクションは
>あたしの言うてることはそういうことちゃうわ!!

まるでシン・ゴジラの放射線流のような
ものすごい熱焔が吐き出されることになる。
いまだからこれ、
ちょっと軽めにおもしろげに書いてますけど、
当時の切実さは脊髄の焦げるが如しで、
あの、
つらいつらい2年間を思い出すと、
わたしは泣けてしまうんです。

傾聴の3条件

会社で三日とあげず勃発するバトルの話を打ち明けたとき、
プロのカウンセラーの先生がくださったアドバイスは、
簡単すぎて気が抜けるものでした。
>いつものように彼女がカッカして、
>火を噴く勢いで社長批判がはじまったら、
>なにも解決しようとしてはいけませんよ

と。
とにかく
>うん、うん
とか
>そうか、そうか
とだけ。
で、
ひとしきり話が終わったら、
最後に
>そうか、
>たいへんやったんやな。

とか、
>そんなふうに思ってくれてたんやな。
>気がつけへんかったわ。

みたいな、
共感を示す言葉だけ。
これで終わり。
なんにも言うな、
つけたすな!

と。
ほんまにこれで終わりなんです。
問題解決なし。
アドバイスもなし。
と、
これには驚きましたな。
でも確かに、
言われたとおり試してみたら鎮火が早かった。
地雷は踏んでしまうも炎は燃え広がらず、
みたいな。
目に見えてバトルは収束に向かうのですが、
ただ、
なんかお尻のあたりがもぞもぞするようで気持ちが悪かった。
問題が解決されないということの、
おさまりの悪さといおうか残尿感といおうか、
なんせキレがよくない。
しかしこのもぞもぞした気持ち悪さこそが、
傾聴がいい方向へ上達しはじめたサインなのだと、
あとで気づくのです。
部下は解決策を望んでいるのではなく、
共感してほしいのが先。
だからまず共感の言葉をかけてあげることが大切だったんですね。
解決策を出してもいいんだけれども、
とにかく順序が大事。
(T_T)
かのカール・ロジャーズ
は、
傾聴の基本的態度
として、
  • 自己一致
  • 共感的理解
  • 無条件の肯定的配慮


3つの条件
として
挙げています。
カウンセリングの講座に通いながらも、
どこかわたしは、
技法
という言い方になじめず、
そんな小手先の調節で何が変わるもんかと、
傾聴技法をナメていた節がある。
でも、
実際にほんの少しのアドバイスで、
バトルが回避できた現場を自分で体感できると、
人間性なんかあとまわしでカタチから入ってもええやんかと思った。
技法という「型」は非常に窮屈です。
しかしまずはこの窮屈な「型」に自分をはめて、
スピードの出しすぎを取り締まらないと、
たちまち速度違反で捕まるなと感じた。
それほどふだんの仕事では、
スピーディなことがいいことだという要求に慣らされているのです。
つまりそれだけ、
聴けてないし共感もしていない。
(T_T)
ここでひとつ、
わたしの大きな勘ちがいは、
心が平静で落ちついていられれば、
しぜんに聞き上手になっていくだろうと思っていたこと。
なんでそんなふうに思いこんでしまったかはわかりませんが、
感情の起伏がなくて穏やかな人って
べらべら賑やかにしゃべらないし、
せっかちじゃないし、
じっくり人の話に耳を傾ける素地が整っているんだろうと錯覚していた。
なので、
感情のコントロール

心の落ちつき
といった課題には大きな関心を払ってきたわりに、
それと傾聴が結びついてなかったんです。
自分で自分の不安を取り除いて自分の心を落ちつかせるスキル
と、
相手の不安が取り除かれて相手の心が落ちつくように導くスキル
は、
別モノだった。
自分がくつろいでいることは、
相手をくつろがせるための必要条件ではあるけれど、
十分条件ではない
のですね。
キーワードは「準拠枠」

準拠枠とは‥‥ある事象を解釈し、規定する際に、判断の基準としてはたらく自分の関心、経験、感情、知識、思考、想像力などの内的システム。個々人が積み上げてきた人生の枠組みともいえる価値観である。枠組みにそぐわない事象を受け入れない傾向は一種の防衛機制といえるが、「決めつけ」による否定はその典型である。

決定的なキーポイントは、
準拠枠
でしたな。
準拠枠(じゅんきょわく)
とは、
ある事象に対して、
それはそんなもんだろう
って、
自分が握っている価値観のことです。
そういうが自分の中にガッツリ存在して、
相手の発言にことごとくバイアスをかけて、
ほんとうに意味したのではない受け取り方をしてしまう。
発言したほうの相手は、
心の中で
>あれ?
>ちがうかも。
>なんかちがう?
>ちがうちがう。

そこはかとなく、
自覚されてもされなくても、
積もり積もって‥‥
心がしんどくなる。
ところが準拠枠を握りしめて聞いているほうは、
自分の都合のよいように、
意味を勝手にゆがめて解釈しているだけ。
例えば──
>娘が中学受験に合格しまして‥‥

相手が言ったら、
反射的に
>へぇ!
>そうですか。
>おめでとうございます。


答えてしまいません?
それがふつうですやんね。(←これも準拠枠にハマっている)
でもこれは、
カウンセリングの教科書的にはアウトなんです。
>娘が中学受験に合格しまして‥‥

相手が言ったら、
>娘さんが中学受験に合格されたんですね。

単純に返す。
>こんどは上の兄の高校受験が近づいていて、
>不安でしかたがないんです。
>本人もこのごろストレスで眠れないみたいで。


言われたとしたら、
どうです?
>この時期はみんなそうですよ。
>よくあることですからね。
>あまり気にしすぎないことです。

なんてふうに返してしまいがちですが、
それ、
ぜんぜん励ましにもなにもなってませんからね。
めちゃめちゃ準拠枠
教科書的にはここもやっぱり、
>お兄さんの高校受験が近づいていて不安でしかたがないんですね。
>ご本人さんもストレスで眠れてないんですか。

って感じに。
不安でしかたがないとおっしゃる母親の感情を、
もう少し深く受け止める方向で会話を運びます。
そうすると、
単純にオウム返しをくりかえしてるだけのようで、
実に退屈な、
おもしろくもなんともない会話だともいえます。
後半に進めば、
隠された意図やほんとうの想いが見えてくるのですが、
序盤は客観的に味気なく映ります。
特に抵抗が大きいのは沈黙の扱いでしょう。
はやりどうしても日常的な感覚では、
「会話がはずむ」ってことが良しとされてる気がして、
キャッチボールのように、
ボールを受け取ったらサッと投げ返すのがマナーみたいなもんだと考えてしまいがち。
だから沈黙が長引くと気まずくて、
とりあえずなんでもいいからおもしろいこと言わないとって気になる。
別に、
漫才やってるわけじゃないのに‥‥
わたしのふだんの会話は、
最初の第一歩からしてまちがいだらけでした。
相手はどんな問題を抱えているかを最短で判別して、
だったら処方箋はこうだろう!

ズバリ返す順序がふつうになってましたから。
そうすると、
「きく」「訊く」になってしまう。
まるで警察の事情聴取のように、
こちら側の理解と納得のために質問を重ねる。
>で、
>お兄さんの偏差値ってどのくらいなんですか?
>志望校は?
>何時に寝て何時に起きてます?

ってな感じで、
矢継ぎ早に
訊く
サイテーですよね。
(T_T)
巨大な準拠枠の存在に気づけたこと。
ほぼ100%
みずからの準拠枠の内側でしか自分が会話してないこと。
準拠枠で応答しそうになったら
そのことに気づいてブレーキを踏めること。
‥‥
そんなステップを経て、
なんかちょっとずつ傾聴がわかるようになってきました。
単に心が落ちついているということと、
自己一致はちがいます。
ちがいますが、
心が落ちついていれば準拠枠の存在に気づきやすくなります。
準拠枠の存在に気づく習慣ができれば、
価値判断しないことが容易になり、
心をニュートラルにして純粋な自分でいられます。
自分に正直に、
ありのままでいられればそれが自己一致につながります。
単に心を空っぽにすることと、
そこに相手を受け入れることはちがいます。
ちがいますが、
心を空っぽにできるなら、
価値判断を止めて相手を否定せず、
無条件の肯定的配慮に対する準備ができるでしょう。
共感は、
単に相手の気持ちに同調することちがいます。
>わかる、わかるわぁ~
は、
必ずしも必要ではない。
>なるほど
も、
安直に多用すべきではない。
同調して、
たとえ一時的に感情と一体になってしまったとしても、
いつでも自分の場所に戻ることができるなら、
共感的理解に近づくことができるでしょう。
深いですね、傾聴
傾聴には技法があり、
技法は訓練によって習熟度を伸ばすことができる。
聞き上手への長い長い道のりは
まだはじまったばかりです。

聞く耳を切り落とす

傾聴技法を学んで、
多少なりとも話を聴くことができるようになって、
さぞかし職場のコミュニケーションが良好になった‥‥
と、
そんなオチを想像されましたか?
そういうストーリー展開ですからね、
ここまでの流れでは。
でも、
ひねくれ者のキクゾウさんのオチは、
やっぱりひねくれている。
傾聴みたいな立派な心がけ、
>いちいちやっとれんで!

ってなことに
なってしまったのです。
理想と現実のギャップが
あまりにも開きすぎていた。
傾聴をあきらめたわけではないのですが、
あまりに拙速すぎた。
おそらくわたしにはまだ時期尚早だったとしか言い訳のしようがないのですが、
仕事がぐちゃぐちゃになって収拾がつかなくなってしまった。
わたしが何をどう主張しようと、
世間では、
仕事
っていうのは
ある意味、
ソリューションそのもの。
お困りごと
には
解決策

差し出してナンボ。
共感を大切にしようというわが社のコミュニケーション方針は、
おそらく一時的なものとは思いますが、
ひどく効率の低下を招きました。
お困りごとを抱えた人が、
みな解決策を探しているわけではないんだと、
アタマを逆さまにして考えてみたところで、
顧客にまで浸透させられるわけではありません。
現場では、
スピーディな問題解決が求められる。
社員の気持ちを中心に、
仕事の優先順位を組み立てようという試みは、
脆くも崩れ去りました。
目標達成メンタルヘルスケアはざまバランスを取る技術
が、
なにかあるはずだと思い立ち、
インバスケット研修

我流であれこれアレンジしようと試みたのもこのころです。
しかし聴くことへの取り組みは、
6年めにしてギブアップ。
つい先日、
傾聴初心者のキクゾウは、
仕事中は「聴く」ことををやめると宣言。
問題解決の場と、
共感の場は、
はっきり別モノということにして、
両者を分ける線を引きました。
9時から18時までのオフィスアワーは、
脳が問題解決モード。
これはいかんともしがたい。
共感モードに入るためには、
18時をまわってから
心の中にあるでっかいスイッチを
がっちゃーん!

はっきり切り替える。
いったん切り替わったら、
準拠枠を完全に取っ払って、
無条件の肯定的配慮へ。
自己一致で、
共感的理解の姿勢へ。
オンとオフを小刻みに切り替えられないわたしの不器用な脳は、
そんなふうに、
問題解決と共感の2つのモード

相手の協力も得ながら、
はっきりメリハリをつけて、
>いまどっち?
と、
いちいち確認しながらでないと、
傾聴できないことがわかったのでした。
(T_T)
ただ、
家ではちがいます。
傾聴の恩恵はむしろ、
先に家庭にあらわれました。
自宅ではずーっと、
問題解決ボタンはオフにしてますから。
嫁も子どももそうですが、
家に帰ってわたしの顔を見るが早いか、
その日に起こったことのうち、
しんどかったこと、うれしかったこと、
納得できなかったこと、びっくりしたこと‥‥などなどを
雪崩のように話し始めます。
そんなにあわててしゃべりかけんでも逃げやせんて

思うんですけど‥‥
ちょ、ちょっと待って。
それなんの話??
って、
こっちは前後の脈絡がわからないから面食らうわけですが、
そういうことにはおかまいなし。
以前ならそれだけでイラッとしてたとこなんですけど、
問題解決アタマがなくなってからは、
そういうのも平気で流せるようになりました。
ふーんとかへぇーっとか、
すごいやーんとか。
文字どおり聞き流している感じなので、
これのほうが以前より聞いてないんちゃうの?
って気がするんですけど、
話している側からすると、
これのほうが聞いてもらえている感じがするという‥‥
そこ、
ものすごく気持ちが悪いんですけど。
でも、
それでいいんです。
もぞもぞするこの気持ち悪さこそ、
準拠枠から外れている証拠。
ブレーキ踏めてる感触。
嫁と息子がガチで口論して対立しているやつを、
仲裁できるようになったのも、
ブレーキ踏めてるおかげ。
大正解です。

経営課題はいつも傾聴

上司は、
聴くことのプロであってしかるべしと思います。
その日の気分で聴いたり聴かなかったり、
ブレるのではなく、
相手を好きか嫌いかにかかわらず、
スキルを駆使した盤石の傾聴を心がける。
もし自分の部下が嫌いなタイプだからといって、
相談されて知らん顔が許されますか?

それ、
パワハラになりますよ。
お医者さんだってそうでしょ。
嫌いなタイプの患者だからって、
盲腸の手術しないとか、
よぶんな内臓まで切除してしまうとか、

ないでしょ。
美人とブスとで、
多少の手心を加減するということは‥‥
あるのかないのか?
それは知りませんが、
ま、
とにかくやるべきことを淡々とやる。
それがプロ。
上司、リーダーも同じ。
憎たらしい部下でもかわいい部下でも、
「聴く」というのは仕事なんです。
仕事である以上、
プロフェッショナルの意識で聴くべきです。
だって人間ですから、
すべての部下に等しく愛情を抱くなんて無理でしょ。
あなたはできるかもしれないけど、
わたしはいまのところできない。
なんぼ家族主義だのなんだのいっても、
家族じゃないですし、
すごくかわいい社員もいれば、
まあまあな社員もいる。
愛情さえたっぷりあれば、
技巧なんていらないのかもしれませんけど、
人財育成は好き嫌いの私情で進めるもんじゃない。
基本は愛なのはまちがいないです。
それはそうなんですけど、
愛の足らざる部分を補うものがあってしかるべし。
技法
というのは
そのためにあるんじゃないかと思います。
感情に左右されることなく、
やったらいいとわかっていることをやる。
こうすればうまくいくんですよ
っていうマニュアルがせっかくあるなら、
つべこべいわず素直にそのとおりにやる。
地道にコツコツ、
それがリーダーシップを磨くことにつながるにちがいないと考えまして、
このたび、
傾聴の技法をリーダー研修で伝えることにトライしました。
わたしのようなものが傾聴を語るなどおこがましいワ、
100年早いワと知りながら、
わたしもリーダーのはしくれなもんで。
プロのリーダーとしての自覚と責任をもって、
ですね。


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