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本気で生きることにします

これから、
いいわけできなくなります。
本気でやります
と、
宣言してしまったらもう引き返せない。
だから言いたくなかったんでしょう。
まだ、
どっかでごまかしていたい。
ダメだったときの言い訳を、
最後に用意しておきたい。
でも、
もうすぐ55のじじいですから、
先延ばしにするのもたいがいにしないとあきません。
いままでだって一生懸命やってきました。
しぶとくまじめに、
そう簡単に何事もあきらめず、
あるときは必死で、
一心不乱に無我夢中で取り組んだこともあります。
しかしそれが本気だったかと問われれば、
どうもそれがそうではなかった。
アスペルガー気質なところがあるので、
ガーッと入りこむと歯止めがきかなくなって危なっかしいので、
ちょいちょいブレーキ踏んで安全運転を心がけてきました。
必死でやってたのは確かなのに本気じゃなかった
ってことは、
自分の意志じゃなく「やらされてた」ってことになりますね。
あれ、
おかしいな?
このわがままなわたしにかぎってそんなバカなことはないはず‥‥
そう考えると悔しいです。
そういう経緯もわきまえて、
これから自己陶冶を本気でやろうと思います。
三忽三行の試験があったとして、
それに100点を取る気で妥協なくやります。
徳を積んで人格を磨いて、
いま程度のステイタスには「もう戻らない」つもりで、
終わりのない旅に出ます。
いままでもそれなりにがんばってきましたから、
自己採点で60点、70点は取れるくらいにはなれたんですが、
その程度で「合格だ」「もういいか」「もうじゅうぶん」と思ってしまったのが浅はかでした。
ダイエットにたとえるとわかりやすいんですけども、
70キロあった体重を60キロまで減らしたとき、
これは「もうじゅうぶん」と思いますね。
いままでの長いぬるま湯ぐらし、
心の油断はそれなんです。
わたしの体重が60キロでも61でも誰も何も思いませんし、
パッと見は肥満じゃないし不健康でもありませんから。
68キロまで太ったときは、
さすがにメタボ丸出しですから、
おなかポンポンってたたかれて冷やかされるし、
ぶよぶよしたおなかが自分でもイヤでしたけど、
それでも別に誰かに迷惑かけてるわけじゃなし、
どうせまたすぐやせられると思うし、
食べたいものを食べたいだけ食べる快感があるのも事実で、
それはそれで、
そういうかたちのしあわせなのだし。
‥‥とかなんとかいってごまかしてしまえる。
体重は感情コントロールのバロメータでもあり、
おなかまわりのムダ肉が心のブレを映し出してます。
8キロ絞ったといえば調子がよさそうに聞こえますが、
上下動すること自体がおかしいんです。
心が安定していると体重も確実に安定します。
本気を出したら、
死ぬまで61キロを超えない身体を安定的に維持できるのがほんとう。
でもそんなふうに、
ピリッとするのってたいへんそうで‥‥
そこまでせんでもええちゃう?
──って、
思いますよ。
ひたむきにやれている人は、
かっこええなと思いますけど。
>あの人らはかっこよく生きたい人たちなんでしょ、
>がんばれがんばれ

って感じ。
でもなんか、
ちょっとずつたいへんそうで、
どこまで志が高くて、
どれだけ極めてるか知りませんけど、
なんかたいへんそうで、
そういうのはオレは遠慮しとくわって感じで。
ごまかしてました。
人生は1回こっきり
っていう、
そんなあったりまえの初歩をごまかしてました。
 こうして何事もない普通の人生に生きているときの自分というものを、ただ単に知っただけでは、人生は解決がつかないんです。本当に知っておかなきゃならないのは、有事の際の自分を明瞭に認識することなんであります。
 事なき世界に生きているときの自分をいくら明瞭に認識したからって、人生が事なき世界でもって一生を終わってしまうんならともかくも、変転極まりなきが人生の常。その変転極まりなき人生の中に生きているときに、平素の自分だけをいくらはっきりしてたからって、いざ鎌倉のときに何の役にも立ちゃしない。
 何か事のあったときにあわてやしないか。思いがけない事件にでくわしたときに、うろたえやしないか。冷静な考え方がメチャメチャになってしまわないか。
中村天風師「心に成功の炎を」から

──まさに、
そこなんです。
ふだんはいいですよ。
何もないときは何も問題がなく、
しあわせを満喫しながら落ちついていられます。
環境のほうを居心地のいいようにととのえてしまうことで、
自分で自分がごまかされるようにもなっていますが、
いざ事が起これば揺さぶられる。
何があってもビクともしない虚心平気の境地からは、
まだほど遠いことが露呈します。
自分の、
ここを変えたいんです。
意識して鍛えてきたわけですから、
おたおたする回数は減りましたが、
それはあくまで「過去の自分とくらべたらマシになった」だけ。
20点、30点があたりまえだったころとくらべてるんで、
いまは50点を超えてるだけでもすごいことやないかーって思えるんですけども、
要するにサボる口実ですやん。
正直な気持ちで本心をのぞいたら、
このまま60点そこそこの成績で、
よしんば70点を超えたからといって、
そんなんで人生を終わりたくないんです。
>いまのままでいい
>もうこれでいい
>じゅうぶんだ
>それ以上は行くな

というような自分の声もずーっと聞いて、
ずーっと納得してきましたが、
やっぱりね、
人生は1回きり
やれるかもしれないならやりますよ。
過去に100回挫折したとしても、
次はやりとおす。
怠けた自分をこんどは突き抜ける。
極端に走りすぎて自分を見失う傾向があることも知っているし、
完ぺき主義なところがあるし、
中途はんぱなものを否定しがちなことも知ってます。
だからこんどは、
そんなんも含めた感情統御で100点満点を取りますよ。
恐れることをゼロにしたい。
おたおたすることも、ビビることも、そわそわするとも、
なしにしたい。
怒ることもゼロにしたい。
イライラすることもカリカリすることも、
日常からきれいさっぱり消し去りたい。
妥協なく、
その課題に向きあいたい。
心の100点とはそういう意味ですから。
だから、
ほんとうの自分とは何か、
その探求もごまかさない。
はい、
アホの戯言と、
いまのところは笑って聞いといてください。
これは一生の話。


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