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泣き虫すぎる息子に戸惑う件

ちかごろ絶食系男子なる言葉を耳にしました。
恋愛に興味がない?
女の子いらない?
男ばっかりの集まりでじゅうぶん楽しめて、
ひとりの時間を大切にしてて‥‥
草食系男子っていうだけでもじゅうぶん頼りなさげなのに、
絶食やなんて‥‥、
どんだけお上品なんじゃい??
>保育園落ちた日本死ね!!!
っていう、
お下品ながら切実な想いを綴った母親のブログが国会で取り上げられるなど、
少子化対策における論点のすりかえが極みに達する一方で、
男がどんどん精神的に去勢されていってるっていうのは、
どうにもトンチンカンな社会現象。
子どもの産むのは女性なので、
女性の社会進出とかワークライフの問題として認識されてますけども、
産ませるのは男なんですからな。
これからのんびり保育園を増やす政策を実行していって、
ようやく施設も保育士さんもそろったころには、
その保育園に入る児童がいない‥‥
なんてことになってしまいはしないかと憂います。
それとも‥‥
女性がさらに勇ましく肉食化していって、
セックスのイニシアチブを握るのは女だっていうのがあたりまえになり‥‥
いや、
もしかしたらもうそうなっているのか‥‥?
てことは、
産ませるのは男っていう認識もすでに時代錯誤、
男がえらそうに上から物言ってると、
>キクゾウ死ね!!!
って、
かみ殺されてしまいそうですね。
絶食系を話題にするのは実は、
ウチの息子がどうも当てはまりそうで心配だからです。
親の口から言うのもなんですが、
ウチの息子は顔だけはいっちょまえにイケてるんです。
ジャニーズ系のぱっちり二重、
女の子とまちがわれるくらい色白で可愛いルックスしてます。
ま、しかし、
スポーツはせず、
外に遊びにも行かず、
家でゲームばっかりしてる。
どう見ても肉食系ではないことは100%明らか。
わたしが結婚するまえから、
もっとずーっとまえから、
漠然と心に描いていた息子っていうものの像と、
だいぶちがうんですなあε=( ̄。 ̄;)
親父の像だってずいぶんちがってきた。
>ライオンはわが子を谷底に突き落として、
>生きていくことの厳しさを教える

っていう話(現実にはそんなことないんですけど)を何回も聞かされていて、
父親ってもんは子どもに厳しくするもんだと思っていたし、
自分は当然そうなるもんだと描いていた。
社会はジャングル
なんだからと。
ま、しかし、
やってみないとわからないのは子育てでもなんでもいっしょ。
自分がここまで大甘な父親になるとは、
まったく想像できなかったんですがなぁ‥‥。
L(・o・)」
息子と祭
また祭の季節が来て、
息子と語りあう時間が増えました。
1年のコミュニケーションの半分くらいがこの期間に集中してます。
ひさしぶりにじっくり語りあってみてわかったんですが、
息子のミチハル、
いじめられキャラがさらに定着しているようで、
ちょっと衝撃でした。
お姉ちゃんのほうは、
うまく火の粉をよけるように、
いじめ組、いじめられ組のどちらからもうまいこと距離を保って、
無事にめでたく卒業。
ところがミチハルは、
あいかわらずウジウジした性格。
いったんネガティブ思考が始まると、
ブチュブチュ癖が直りません。
まもなく5年生になるんですけども、
とにかくママ、ママ、ママ‥‥のママっ子で、
ママといっしょに寝たがるし、
毎日のようにママとガチでやりあって、
うっとうしがられて叱られてマジ泣きしている。
何をするにも根気がなくて、
追い詰められるとすごすご逃げ出すタイプ。
なにより、
よく泣くところがなさけない。
しばらくするとケロッと忘れてひょうきんぶりが蘇るところが、
なんだか単純すぎてバカっぽいんですけども。
これまで過保護なよその親たちを見るにつけ、
甘やかしてばかりいるから甘やかされたほうがよけい弱い人間になるんだって、
批判調になってましたが、
いざ自分の息子がよその子にいじめられているところを目の当たりにすると、
やっぱり自分も同じ。
子どもを守ってしまう。
>おいこらこのクソガキ、
>誰にちょっかい出しとんじゃい!

の勢いで、
いじめた側のガキをメッタ斬りしてしまいそうな衝動が走ります。
──そんな衝動には従いませんからご安心を‥‥
なんですが、
獅子の子落とし

イメージとはほど遠い。
守る 鍛える

なってしまいました。
半ベソかきながら、
親に助けを求める眼差しを向けてくる息子を見ていると、
情けなくも愛おしく、
鍛えようにもその水準に達してないように映りますし。
泣かれるとこっちも弱い。
>甘えるな!

叱れない空気は
男子が草食化してきた時代が醸し出しているんでしょうか。
>ええわ。
>ぼくはこのまんまのキャラでいくわ。
>いつか変わるやろ。
>このままの大人になったりせえへんやろ。
>なんかきっかけがあるやんな。

‥‥そういう結論になった。
>そうそう。
>なんかあるわ。
>それまでそのキャラで、
>ぽよよーんと逃げのびたらええわ。

しかし‥‥
なんなんでしょうかね、
いじめっ子っていう人種は。
アホなやつはほっとけって言うのは簡単ですけども、
執拗にちょっかい出してくるんで、
やられるほうの神経が疲弊してしまいます。
学校の先生たちをアテにすることはできませんな。
頼りないとかそういうレベルじゃなく、
決まりに従って行動することしかできないように縛られて、
教育に対する夢も希望ももてなくなってるようで、
気の毒ですワ。
体罰を受ける心配さえなければ、
子どもは大人なんかぜんぜん怖がりませんから、
先生は完全にナメられてる。
いまどき小学校の教員になりたがる人って、
どういう志望動機をしてるんだか‥‥
こんどじっくりきいてみたいです。
モンスターペアレントと呼ばれている親たちの心情は理解できなくもないですが、
それにしても微に入り細に入り神経質に口を出しすぎ。
そこまでどん詰まりに教育現場を萎縮させてどうするんですか。
肝心のいじめについていうと、
いじめてるほうの親は、
自分の子がよその子をいじめてるなんて思いもよらないパターンが多く、
いじめられている側の親がきちんと対処しないと、
いつまでも現状が放置されてしまうことになるらしいんで、
もしかしたらウチの子だって、
もっと弱い子をいじめてるかもしれない。
死に至るほど残忍な虐待にも気づかないんですから、
学校は恐怖ですよ。
男親には理解しづらい世界ですが、
子どもを守るには、
ママ友ネットワークの諜報活動が不可欠だと思います。
女には女のつきあい。
男が口を差しはさむ余地のまったくない、
おぞましくえげつないソーシャルネットワークですけども、
ひ弱な子どもを人質に取られてしまった以上、
よりどころはそこですね。
そこ、嫁に感謝。
わたしにできることは、
息子といっぱい話すことです。
いっしょにお風呂に入って、いっしょに寝て、いっしょにごはん食べて、
いっぱいくっついて、いっぱい頭を撫でてやること。
ほんとうによかったなと思うのは、
まだ、
学校であったことをぜんぶ話してくれること。
つらいことも、悔しかったことも、
話している途中に思い出して興奮してきて、
顔を赤らめて涙をこぼしながらも、
ちゃんと教えてくれる。
よかったわ。
わたしがいちばん注意しているところはそこのところだったので、
ほんとうによかった。
子どもと向きあうときには、
からだぜんぶを耳にして、
傾聴

ひたすら心がけます。
どれだけ自分の準拠枠に気づいて、
押しつけずにいられるか。
ブレーキ踏んで一旦停止、
徐行してまた停止。
>じゃあ、
>こうしたらええねん

を、
どれだけ止められるか。
大事な息子やからね、
いちばん大事だとわたしが感じることは、
早めに伝えておきたい。
伝えておきたいことは山ほどあるように思えます。
でも、
こういうときこそ、
親父の背中を見せる
っていう感じを、
大事にしたらええのかな?
古いけど。
おまえは‥‥おまえは‥‥
じゃなしに、
わたしがどんだけ楽しそうに仕事していて、
景気よさそうで、
めいっぱい家でくつろいでて、
お友だちに好かれてて、
好き放題なことして自由に生きてるか
──みたいな雰囲気が、
背中から漂ってるかどうか。
この雰囲気が、
息子の心のまわりに透明のバリアを張って、
いざというときのシェルターになったらいい。
必ずなるさ。
親父のような人間になりたいと息子が思ってくれないことには、
わたしが口先で何を話したところで、
心に届くはずないのだし。
そのくらいなら自分にもできそうだって感じてもらうためには、
適度にちゃらんぽらんに見えてたほうがいいかもしれないし。
さいわいなことに、
>パパは4年生のときどんなんやったん?
って
ミチハルにきかれて思い出してみたら、
どこにでもいるようなやんちゃ坊主で、
ほめられるより叱られることのほうが圧倒的に多くて、
根気もなかったし、
息子にあるような繊細さもなかったし、
成績も息子より下だった‥‥
とは。
ウケるわ(ё_ё)
息子の自信回復に大いに寄与することができたと思います。

遺伝子に映る自分

 おそらくある自己複製子は化学的手段を講じるか、あるいは身のまわりにタンパク質の物理的な壁をもうけるかして、身をまもる術を編みだした。こうして最初の生きた細胞が出現したのではなかろうか。自己複製子は存在をはじめただけでなく、自らの容れ物、つまり存在し続けるための場所をもつくりはじめたのである。生き残った自己複製子は、自分が住む生存機械(survival machine)を築いたものたちであった。最初の生存機械は、おそらく保護用の外被の域を出なかったであろう。しかし、新しいライバルがいっそうすぐれて効果的な生存機械を身にまとってあらわれてくるにつれて、生きていくことはどんどんむずかしくなっていった。生存機械はいっそう大きく、手のこんだものになってゆき、しかもこの過程は累積的、かつ前進的なものであった。
   * * *
 われわれは生存機械である。
   * * *
 体は、遺伝子を不変のまま維持するために遺伝子が利用する手段なのだからである。
   * * *
 個体は安定したものではない。はかない存在である。染色体もまた、配られてまもないトランプの手のように、まもなく忘れ去られる。しかし、カード自体はまぜられても生き残る。このカードが遺伝子である。遺伝子は交叉によっても破壊されない。ただパートナーを変えて進むだけである。もちろん彼らは進み続ける。それが彼らの務めなのだ。彼らは自己複製子であり、われわれは彼らの生存機械なのである。われわれは目的を果たしたあと、捨てられる。だが、遺伝子は地質学的時間を生きる居住者である。遺伝子は永遠なのだ。
   * * *
 問題の全体を整理する一つの方法は、「自己複製子」と「乗り物(ヴィークル/担体)」という用語を使うことである。自然淘汰の根本的な単位で、生存に成功あるいは失敗する基本的なもの、そして、ときどきランダムな突然変異をともないながら同一のコピーの系列を形成するものが、自己複製子と呼ばれる。DNA分子は自己複製子である。自己複製子は一般に、これから述べるような理由によって、巨大な共同の生存機械、すなわちヴィークルの中に寄り集まる。われわれがいちばんよく知っているヴィークルは、われわれ自身のような個体の体である。したがって体は自己複製子ではない。それはヴィークルなのだ。この点はこれまで誤解されてきたから、とくに強調しておかなければならない。ヴィークルはそれ自身では複製しない。その自己複製子を増殖させるようにはたらく。自己複製子は行動せず、世界を知覚せず、獲物を捕らえたりあるいは捕食者から逃走したりしない。自己複製子はヴィークルがそういったことすべてをするように仕向ける。リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」より

きょうは運動会。
娘のナツハ(仮名)は6年生なので、
父親として娘の運動会を見に行くのはこれが最後。
いままでの運動会よりずいぶんのんびり見物できたのは、
なんでかっていうと、
>今年はビデオ撮らんといて
って
ナツハに言われたから。
娘は最近、
写真も撮らせてくれません。
で、
親の務めみたいに勘ちがいして、
いっしょうけんめい写していたビデオを、
今年はやめた。
駆けっこならともかく演舞モノとかになりますと、
どこにいるか見つけられないし、
ずっと液晶画面から目が離せませんから、
撮影するのって大変だったんですよね。
神経すり減らしながら撮っても、
あとでほとんど見ることないですしね。
楽になれてよかった。
と、
それはさておき、
娘の小学校生活もいよいよ残りわずか。
早いもんです。
ナツハは3年生のころ、
寮のある中学校に入りたいと言い出しまして、
はじめはどこまで本気なのかよくわかりませんでしたが、
今日までその意志を曲げず。
女子が入れる全寮制の中学校なんて近隣にはなくて、
家から片道3時間かかるへんぴなイナカにあるとわかりました。
入試もそこしか受けないつもり
──専願っていうんですね──
のようです。
せっかくこんな便利な都会に住んでいて、
進学先はよりどりみどりで選べるっていうのに、
イナカ育ちのわたしにしてみたらとんでもないヘソ曲がり。
さすがわたしに似て頑固で一本気。
独立心旺盛なところもそっくりです。
だからもうじき家を出ていく。
想像していたよりずいぶん早い別居がはじまります。
息子のミチハルは母親に似たんですけども、
どうしたもんだか娘のナツハはわたしに似た。
姉と弟でぜんぜんちがうんです。
笑えるくらい。
弟は生まれつき色白なのに、
ねえちゃんは別に外でスポーツしてるわけでもないのに色が黒い。
申し訳ないくらい、
>おまえはオリエンタルビューティー!
って、
おだててますけど。
そりゃ色白は七難隠すっていうくらいですから、
黒いより白いほうがよかったんじゃないでしょうか。
そのうえ
>このごろアゴが大きくなってきたー!!
>どうしてくれんのー!

って叱られて、
ごめんごめんと謝ってはみても、
時すでに遅し。
食べ物の好みも、
びっくりするくらいわたしに近い。
息子は真反対といえるくらい、
辛いものも脂ものもグロテスクなものもダメ、
たぶん酒も飲めないでしょう。
ワインゼリーの臭いを嗅いだだけで酔ってしまう嫁に似たとすると、
きっと一滴も飲めません。
ナツハはすでに、
肉でも魚でもガツガツいけますし。
スパイシーな味付けも大好きですし、
まちがいなく上戸でしょう。
DNAってブラボーでグレイトです。
いっしょに住んでるので、
口のきき方とか態度とか考え方とか、
親を見て似てきたんだともいえますが、
これだけ姉弟で差があると、
これはやっぱり遺伝子の仕業だと実感せずにはいられません。
いちばん驚くのは、
ソファーにふんぞり返って寝そべる娘の態度です。
似てるという以上に
同じ
なんですよね、
わたしと。
>わっ、
>こいつ、オレや。

と、
思わず笑ってしまうほど驚くことがしょっちゅうあります。
申し訳ないけど嬉しくなる瞬間ですね。
客観的に見えていないから気づかない部分まで、
きっとわたしがいっぱい詰まっている。
いったい人って、
──人だけじゃないけど──
どのくらい遺伝子の支配を受けているんでしょうね。
脳がまだ何にも判断できないころから、
記憶も何にも残ってなくても、
ちゃんとオッパイ吸って生きてたんですもんね。
ということはつまり、
たいしてえらくもないくせにえらそうにふんぞり返るわたしの姿勢も、
もともとわたしの受け継いだDNAに仕込まれていたもので、
必ずしも本人のマインドを映したもんではなかった
ってことになるわけなんですがな。
そう考えるとちょっと納得できます。
心が謙虚に反省してるときでも体はふんぞり返ってる理由とかね。
娘のしゃべり方、好きな科目、集めているもの、利き腕、
音楽の趣味、筆跡のクセ、ノートの使い方‥‥
教えてないのに生まれながら知っていたこと、
できていたことがいっぱいあります。
そこから過去へ、
DNAを逆にたどればわたしの組成が透けて見えるわけなんですよね。
わたしやあなたの
向かう先

決めているのは誰?──何?──でしょうね??
どっちでもいいことのようですが、
実はめちゃめちゃ大事でどっちでもよくない話。
とかくわたしたちは自分ではないものを自分だと思いちがいしているところに、
心がウロチョロしてしんどくなる原因があります。
自分はああしようこうしようって考えて、
物事を決めていく。
そのときの
意志
って
なんですか?
どっから出てくるんです?
いっぺん決めたことを決めたように実行できないのはなんでなんですか。
ふだんわたしたちは、
自分の身体や、自分の思考や感情などを自分だと知覚していますよね。
肉体は目に見えますし、
血が流れていて体温も感じられる。
ものすごくまっとうでわかりやすいんですけども、
それを反対に、
体や心を自分じゃないものとして見ろやなんて‥‥
アタマおかしいんちゃいますか??

ふつうは思いますわな。
 しかし、それが段々わかってくるようになるんですよ。自分の命のほんとうの主催権をもっているのは肉体じゃなかった。心でもなかった。見えない気体が自分の命の主催権をもってるということがわかる。この気体を日本語では霊魂といってます。英語では、スピリットといいます。これがほんとうにフウゥとわかるようになる。ちょうど夜明けがだんだん明るくなるように、自然と心のなかにこの気持ちがはっきり自分でキャッチすることができるようになります。
 そうすると、今まで知らないこととはいいながら、何とまあ、のべつまくなしに消極的な観念や思想の虜となって夜もろくろく安眠ができずに、そのため活力を減退し、心ならずも健康や運命まで悪くしていたという自分の愚かな生き方が、我れながら実におかしくもあり、またくだらなくもありというふうに、しみじみと考えさせられてくるようになるんですよ。そうならないと嘘なんです。
中村天風師「成功の実現」より

霊魂だスピリッツだっていうような解釈になじまない人は、
ドーキンスさんの本を読んで遺伝子の存在を描いてみたらどうでしょうか。
DNAってのは4文字で書かれた言語(構成単位がたった4種類)なんだそうですが、
そこに使われている単語はすべて4文字(A、C、G、T)のうちの3文字なんだそうです。
しかも人間だけじゃなしにあらゆる生物で共通している‥‥という。
ある生き物が保有するDNA情報のすべてをゲノムといいますが、
人間のDNA文書は30億文字
これの文字配列をすべて解読したぞ!
と、
アメリカの大統領が宣言したのが2000年6月26日ですから、
つい最近のできごとなんですよね。
こんなもんが解読できなかったころ、
ていうか、
存在すらもよくわからなかったころは、
なんだかわからないけど自分じゃない何者かが自分の中にもうひとりいて、
そいつが大きな裁量権を握っているみたいだぞってことで、
それを神さまとか魂とかいうような、
別格に偉大な存在として位置づけたんだろうっていうことにしてしまいましょう。
そうでもこうでもして、
自分の体や心が自分自身じゃないってことを自分の知覚に叩きこむ。
なんせ30億文字ですから、
解読できたところで実体は空気みたいなもんです。
そんなことより肝心なのは、
命が永遠に進化向上を反復継続していくための宇宙の意志がそこに確実にあるってこと。
ほんでまあとにかく、
わたしもあなたも、
実体ははっきりわからないけど確かにある宇宙意志によって生かされています。
その大きな意志にくらべたら、
人間の脳なんてオモチャみたいなもんなんですけども、
ただ、
他の生物よりちょっとは性能がいいだけに、
かえってややこしいんでしょうね。
あるじの言いつけを守らずに自分勝手に思ったり考えたりして、
頼みもしないのによけいなばっかり生み出しやがる。
 意識とは、実行上の決定権をもつ生存機械が、究極的な主人である遺伝子から解放されるという進化傾向の極致だと考えることができる。脳は生存機械の仕事の日々の営みにたずさわっているばかりでなく、未来を予言し、それに従って行為する能力を手に入れている。脳は遺伝子の独裁に叛く力さえそなえている。たとえば、できるだけたくさん子どもをつくることを拒むなどがそれだ。しかし、後に述べるように、この点では人間は非常に特殊なケースなのである。
 これは利他主義や利己主義といったいどういう関係があるのだろう? 私は、利他的であるにせよ利己的であるにせよ、動物の行動が、単に間接的であるというだけでじつは非常に強力な意味における遺伝子の制御下にあるという見解を確立しようとしている。生存機械と神経系を組立てる方法を指令することによって、遺伝子は行動に基本的な力をふるっている。しかし、次に何をするかを一瞬一瞬決定してゆくのは、神経系である。遺伝子は方針決定者であり、脳は実施者である。だが、脳はさらに高度に発達するにつれて、しだいに実際の方針決定をも引き受けるようになり、そのさい学習やシミュレーションのような策略を用いるようになった。どの種でもまだそこまではいっていないが、この傾向がすすめば、論理的には結局、遺伝子が生存機械にたった一つの総合的な方針を指令するようになるであろう。つまり、われわれを生かしておくのにもっともよいと思うことをなんでもやれ、という命令を下すようになるであろう。
リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」より

ドーキンスさんの言ってることがほんとうかウソか、
それはどっちでもいいんですけども、
あなたの脳がどれだけ立派でも貧相でも、
それはあなた自身ではない。
あなたの命の裁量権を握っているのは、
宇宙の進化向上の大元にあるもので、
造物主と呼んでもいいし、
やっぱりというコンセプトがいちばんしっくりくるならそれでもいい。
なんせ、
さからってもしゃあないものです。
そっちを信頼するほうがいい。
たかだか100年足らずしか生きていられないこの肉体と、
それの附属物にすぎない心なんかをアテにするより、
宇宙の意志を受け入れて、
全面的に感じながらひとつになっていくほうがいい。
宇宙とつながるっていう、
その感触をつかむことが、
命まるごとしあわせにくるまれて心地よく生きるコツ
‥‥ですからな。
ほんでそのコツをつかむためのコツ、
コツのコツがまさに、
自分の身体を自分だと思わず、
単なる道具だと知覚すること
なんです。
冒頭の引用にある
>われわれは生存機械である。

一文に触れたとき、
あ、これは真理だなとピッと来ました。
宇宙の意志を実現するための手段として、
われわれは利用されているだけ。
「されている」と受動的に表現をすると、
なにやら自分ではない他者に操られているかのような忌まわしい響きがありますが、
利用している側こそがほんとうの自分、
すなわち真我
たとえや言いまわしは微妙にちがっても、
この心や肉体は手段としての容れ物であり、
衣服のようなもの、
あるいは乗り物、もしくは家屋のようなものなのだ‥‥と、
決めこんで実感してハラに落とすこと。
天風先生は、
>自分の腹が痛いのを、
>隣のおばさんの腹が痛いように感じなさいっていうんだよ。


仰ってます。
えーっw(゚o゚)w
そんなムチャなーっ!!!

って
泣きたいくらい、
この特定意識の体得は究極の難題なんですけど、
あなたの命の操縦桿を握る遺伝子の偉大な意志がまざまざとイメージできるくらいになれば、
これができるようになってるんじゃないでしょうか。
r(^ω^*)))
小学校3年の娘が、
家を出て寮に入りたいと言い出した。
それはの意思決定だったんでしょうね。
親が負担するヘビーな学費のことなんか一切考慮せず、
メリットもデメリットも計算できるはずのない子どもが、
なぜか毅然と下した決断です。
反対なんかするもんですか。
最高級の敬意をもって拍手喝采です。
ナツハはすでに身長も体重も母親を抜いて大柄な上に、
態度がそんなんで色が黒いもんだから、
落ちついていて大人っぽいというのを通りこして、
ふてぶてしく見える。
>おい、オッサン、
>オレかおまえは。

って冷やかすと、
>オッサンちゃうわ!
って、
その吐き捨て調の言い方がまたわたしに似てるので、
笑ってしまいます。
でもときどき、
新しい洋服を買ってもらったときなんかに、
朝早くまだ寝てるわたしの枕元へ、
>パパ見てぇ~
>かわいいやろ

って、
着替えて見せに来る。
そういうところは小っちゃいころと少しも変わってなくて、
かわいくてかわいくて胸がキューンてなります。
息子とはしょっちゅういっしょにお風呂に入って、
中味は他愛もないことばっかりですけどけっこうコミュニケーションの時間は取れる。
娘と話すのはもっぱらママばかりで、
ふだんわたしとはほとんどコミュニケーションがない。
けどおもしろいことに、
娘の考えていることのほうがよくわかるんです。
きっとこう答えるだろうって感じで、
手の内が読めるっていうか。
思考が似ているからよく伝わる。
来年から寮に入ってしまえば、
ますます会話が減るし、
中高一貫校なもんだから6年間も離れて暮らすことになります。
きっと寂しいんでしょうけども、
いまはまだ想像できません。
──運動会の話に戻ります。
全校生徒を代表して、
宣誓の言葉をナツハがやりました。
そこちょっと、
ビデオ撮りたかったかな‥‥。
5年生と6年生による紅白対抗の騎馬戦は、
運動会の実質的なファイナルイベントで、
例年なかなか感動的な見せ場があります。
小っちゃい女の子が、
自分よりはるかにでっかい男の子と正面から取っ組み合って、
力で押されてのけぞりながらも一瞬の隙を突いて相手の帽子を掠め取るシーンは圧巻。
ワーオ!
思わず手に汗握ります。
いつかこんな種目も、
野蛮な競技だし怪我する危険性が高いからやめさせろと、
どっかの父兄会が言い出すかもしれませんけどね。
あー
ナツハの出番だ。
ふだん運動してないナツハは、
おデブさんじゃないけどぽっちゃりさんで、
俊敏は動きはできません。
いつのまにかうしろからまわりこまれて、
あれれっていう感じで帽子取られちゃいました。
あー残念(T_T)
キレたら強いのが親譲りの才能のはずですが、
闘争心に火かつくまえにやられてしまっては‥‥
ええとこなしのまま最後の騎馬戦敗退です。
 心や肉体というものは皮相的に考えると人間そのものであるかのように見えるが、実はそうではなく、判り易くいえば心や肉体というものは、人がこの世に活きるのに必要ないろいろの方便を行うための道具という関係を、人間それ自身に対してもって居るものなのである。
 哲学的にいえば、心や肉体は人間の個体生命の生存と生活とを確保存続せしむるに必要とする不可分的生命附属物と註釈される。
 であるから心や肉体は、人=自己ではなく、まして又それが更に人=自己の本体ではないのである。
   * * *
 先ず「真我」というものが、諸君の目に見える肉体ではなく、その肉体を超越したものであるという信念を作為するために、真我と肉体との関係を、恰も肉体とその肉体に着けて居る衣服との関係と同様のものと思量する事なのである。
 即ち判り易くいえば、肉体に衣服を着て居るのと同様に、真我は肉体という仮衣を着けて居るものであると思量するのである。
 なおもう一つの考え方は、真我は肉体という一つの家屋に、その生命を存続させる便宜上宿って居て、一般の家屋の如くに肉体を使用しているのであると思量するのもよい。
中村天風師「研心抄」

小学3年の息子にクンバハカを教える

これものおかげ。
息子のミチハル(仮名)は太鼓の練習があるので、
毎年この季節になると毎晩往復2時間半かけてクルマで里帰りします。
あわただしい年度末から年度はじめにかけて2週間、
わたしは会社を早退です。
息子と2人っきり、
ふだんきけないようなことまで話す時間がたっぷりあります。
ほとんどはテレビの話とかゲームの話とかで、
「妖怪ウォッチ」がどうのこうのっていう他愛もない中味なんですが、
さすがにそういう話題も尽きてくると、
学校での出来事とかもだんだんと詳しく教えてくれるようになります。
親としても気になるので、
なんとなく話題を悩みのほうへ誘導したりします。
するととうとう、
実は学校でいやがらせを受けているという話が本人の口から出てきました。
去年のいまごろも同じような話を聞いていたので、
あーやっぱりかって感じだったんですけど。
やっぱりちょっとショックです。
いじめてるヤツの顔も知ってますし。
あ、
もしかしたらここでいじめっていう言葉を使うのは
認識がちがうかもしれません。
別に殴られたり蹴られたりしているわけじゃないし。
それほど深刻じゃないので、
「しつこいいやがらせ」っていうていどの表現のほうが適切かも。
ま、
とにかく何回か泣かされている。
去年は他の家族といっしょにキャンプしたときに、
わたしの目の前で泣かされたことも2、3度あった。
ママに叱られたくらいで家でもよく泣くし。
泣き出すとなかなか止まらない。
小学校3年生ってこんなもんか?
自分がこの年のころってこんなに泣いてたかな?

──覚えてない。
だから去年、
クルマの中で泣きながら学校がつらいって打ち明けてくれたときは、
黙って聞いてました。
あのころは成績もパッとせず、
塾に行くのもいやだと言ってた。
ところがたった1年でミチハルくんもだいぶしっかりしてきた。
自分が弱いのがいけないんだっていうふうに、
ちょっと気づいている感じがあった。
クラスの友だちがおおぜい見ているまえで泣かされて、
「ミチハルってこんなことしてるで」ってウソばっかり言いふらされて、
かなり怒っていたし傷ついていたけれど、
そんな意地の悪い連中はどこにでもいるもんだとわかってきている。
わたしもかなり慎重に会話を進めます。
つまり、
事象のほうにとらわれないように。
こんなことがあったから泣かされた
とか
だれそれくんはこういうところが許せない
とか、
外の事象に原因があるような意識

つられてはいけない。
>そんなことがあってもどんなことがあっても泣かない、
>強い人間になったらいいんじゃないか。

っていう方向にもっていきたい。
こんなとき、
傾聴の技術を知っておくと重宝しますね。
うなずき、あいづち、くりかえし‥‥。
なが~い沈黙も何かのメッセージ。
さいわい時間はたっぷりあります。
そういえば去年、
目の前で泣かされたミチハルにこう言ったことがありました。
>あるよ。
>いじめられたり泣かされたり、
>そういうこと、あるある。
>大人になったらもっといっぱいある。
>もっとひどいヤツもいっぱいおる。

いやがらせをして喜んでいたガキのことには
ひとことも触れず。
>そういうめにあうたんびに、
>いちいち泣くんか。

って。
あのときミチハルは悔しいばっかりで、
なんで大人のくせに助けてくれなかったのか、
理解できないからよけい悔しかったと思う。
だけど今回はちがいました。
弱い自分が嫌いだって。
強くなりたいという明確な意思表示があった。
だから、
>よしっ、
>じゃあおまえがいちばん強くなれる魔法を教えてやる。
>すぐに効いて一発で強くなれるすごい魔法やぞ。
>これさえ知ってたらもう誰にも泣かされへん。
>どや、知りたいか?

と、
こうきいたわけ。
>そんな魔法あるん?
ある。
あるとも。
パパがこんなに強くなれたのは、
その魔法のおかげだ。
いつでも楽しそうに生きてるし、
お金もいっぱい持ってる。
おうちもピカピカ、
オフィスもピカピカ、クルマもピカピカ。
マラソン走って鍛えてるから病気もしない。
カゼすらひかない。
知ってるよな。
──ちなみにミチハルは3年になってから、
将来は社長になると言うようになった。
>パパの会社を継ぐ。
と、
そんな言い方をするようになった。
うちの女子社員がかわいいからか(ё_ё)?
いや、
それはちがうと思うけど、
これを聞くと男親はたまりませんな。
じーんとします。
姉の持ってる「ハッピーお仕事ずかん」(ドリームワーク調査会著)って本を見て、
パパは何の仕事をしてるんだときいてきたことがあったから、
「ソフトウエア開発技術者」だって答えた。
そしたら息子は、
自分もソフトウエア開発会社の社長になるんだと決めてる。
意味なんてわからずに決めてるんでしょうし、
あとまだ30年近くかかる話ですし、
将来の夢なんてまた変わるもんでしょうし、
実現する可能性は未知数だとわかってますけど、
それでもうれしいです。
泣けてきます。
それまで会社はつぶしたらあかん!
って、
マジでそういう気持ちになります。
男は単純。
>なんでこんなバカ息子に会社を継がすんやろ?
って、
よその会社のことは笑ってきたくせに。
アホですね。
それほど自分の息子はかわいいってことでしょう。
──こっけいな話なんですけど、
気づいたら夢中でクンバハカを教えようとしてました。
最初はクルマの中で。
>ケツの穴にめっちゃチカラ入れて締めろ。
>とにかくそれや。
>痛いのもムカつくのもそれで止まる。
>もう泣かんですむねんで。

家に帰ってからお風呂でもう1回。
>ヘソの下にグッとチカラ入れんねん。
>そうそう。
>ほんで肩のチカラはスッと抜く。
>ゆるゆるにしてみいや。
>チカラはぜんぶ下のほうへ持っていくんや。
>ヘソの下とケツの穴やで。

次の日には呼吸法もいっしょに教えた。
>細く長く吐くねん。
>それがコツや。
>フーッと、フーッと、ながーくや。
>そしたらしぜんにヘソの下にチカラが入るやろ。
>ちょうどええねん。
>カチカチになるまでヘソとケツにチカラ入れる練習すんねんで。

ミチハルは、
学校で泣かされたときの悔しい気持ちを思い出して、
やる気になってる。
だからチャンス。
強くなるためには、
これがいちばん大事なんだと念を入れます。
学校では呼吸のしかたは教えてくれません。
吸ったり吐いたりするだけのもんだってことでしょうけど、
どのように吐くか、
そしてまた吸うかによって、
心の練られ方に雲泥の差がつくっていうことを知らないで育つとしたら惜しい。
ほんとうは坐り方も教えたかったけど、
クンバハカっていう言葉は、
少なくとも頭にインプットされたと思います。
魔法なんだよ(≡^∇^≡)
クンバハカっていかにも魔法っぽい響きがありますしね。
子どもの心は素直だから、
きっと記憶にストレートに染みこんでくれたと思います。
忘れてしまっててもいい。
大人になってから、
ふとまた思い出してほしい。
親父が「いちばん大事なんだ」と言ってたことを、
なんかのきっかけで思い出してほしい。
わたしが死んでからでもいい、
この言葉を調べたら、
あとはみんな自分でわかる。
自分の父親が大切にしていたものがわかる。
こんなもんの必要がないくらい強い人間になってたら、
それはそれでけっこうなことですけどね。

得意なことを活かしてますか

ゴールデンウィークっぽく、
のんきな話題を──
いきなりですが算数の問題にチャレンジしてみてください。
小学5年の問題ですから、
酔っぱらっててもだいじょうぶ(≧m≦)?
‥‥でしょうね。
いきますよ。
4,7,10,13‥‥
のように、
あるきまりにしたがって数字が並んでいます。
問題1)
この並びの左から12番めにくる数は____です。
問題2)
この12個の数字をぜんぶ足すと____です。
問題3)
1000は左から数えて____番めです。

どうです?
めんどうくさがらずにやってみてください。
これは、
娘のナツハ(仮名)が、
わたしに挑んできた問題です。
実は以前、
娘にきかれた理科と社会の問題が、
ぜんぜんわからなかった・゚゚・(×_×)・゚゚・。
ので
>国語と算数だったらぜったいわかるよ。
>ナツハが解けた問題ならぜーんぶ解ける。
>おまえが6年生になっても負けへんから” “(/*^^*)/

って煽ってやったんです。
そしたらこんなんを出してきたんですね。
わたしは大学は文系でしたが、
数学はいちばん得意でしたし、
腐ってもプログラマですから、
こんなんチョロいもんです。
ところが!
後日この問題を
何人かまわりの大人(20~30代の大卒女子)で試してみたところ、
たまたまだとは思うんですが、
誰もできなかったんですなぁ~ε=( ̄。 ̄;)
ていうか、
とりあえず答は出せたし、
まちがってはいなかったけど、
やり方がきれいじゃない‥‥というか、
5年の娘に鼻で笑われるような解き方だったわけです。
ほんとうはもう1問、
ちょっとむずかしいのがあるんですけど、
ひとりもそこまで進めなかった。
おいおいしっかりせえよ‥‥(x_x;)
上の問題をちょっと応用した感じなんですけど、
あともう1問、
みなさんはこれ、
すんなり解けますかね?
問題4)
7×7×7×7‥‥
のように、7を何回もかけていき、
10回めに出た答を10で割った余りは____です。

‥‥う~ん、
なかなかの難問じゃないですか?
あの‥‥
電卓なんて使っちゃダメですよ。
っていうか、
ほんまにこんなの小学校5年でやってんの?って思います。
娘にきいたら、
学校ではやらないけど塾でやるんですって。
娘はわたしに似て、
いまのところけっこう勉強できてます。
(わたしよりも嫁に似た息子は、
平均以下で苦しんでいるようですが‥‥。)

娘がこの問題を、
どうやって解いたのか、
気持ちよく一発で解けたのか解けなかったのか、
そこは教えてくれなかったんですが、
でもこの問題が、
小学校5年生のレベルであることは事実。
となると、
できる人はこれを、
大人なら解けてあたりまえ
と思いがち。
>え~っ、うそぉ~っ!
>おまえ、こんなんもわからんの??
>小学校5年の問題やでぇ~!!
>いったい何分かかってんの!?
>アホちゃう??

とかなんとか調子に乗って、
飲み屋のお姉ちゃんに嫌われてしまうパターン‥‥
ほど酷くないとしても、
自分に簡単にできることは、
他人も同じようにできてあたりまえだと思いこむ。
これが恐ろしい。
仕事のできる人が昇進してリーダーになり、
はじめて部下をもったとき、
最大の落とし穴がこれだと言ってもいい。
>なんでわからないんだ!?
>どうしてこんなミスをするんだ!?

なんで!?どうして!?なんで!?どうして‥‥!?
こういうタイプの人は、
自分の好きな食べ物はきっと他人も好きなんだと思いこみ、
この味がわからないなんておかしいんじゃないかと訝ります。
自分の好きな音楽はきっと他人も好きにちがいないと思いこむんです。
決めつけ
の激しい人に共通する特徴です。
わたしもかなりこの傾向が強かったのでわかるんですけど、
部下が心に重傷を負って潰れてしまうのはたいていこれが原因です。
理解と忍耐のある部下のおかげで
わたしは少しずつ治療の効果があらわれてきましたが、
わたしのゲノムを引き継いだ娘はどうでしょう?
経過観察が必要です ε=( ̄。 ̄;)
これくらいわかってくれてるだろう病
とでも命名すべき病気が、
あらゆる組織のリーダーに蔓延しています。
中小企業経営者の罹患率は特に高いとか(ё_ё)
気をつけましょうね。
あなたは仕事ができるからリーダーになりました。
あなたがリーダーになったとき、
そこにいる部下は、
素質も経験も自分より低いんです。
つまりあなたから見て、
まわりの人間はボンクラなのがあたりまえ。
ひどく苦手なことがあったり、
大きなコンプレックスがあったりして、
つぶされそうになりながら育ったあなたは、
ある一面では人情味あふれたリーダーになる素地があります。
できない部下の気持ちがわかるからですね。
しかし逆の一面として、
よけい激しく他人を貶める凶暴性が備わっている可能性もありますから、
よほど気をつけてください。
自分と他人は絶望的なほどちがうんです。
ひとつやふたつの才能で決して思い上がらず、
まずはじめに愛
部下とのコミュニケーションは
愛からはじめるように心がけたいですね。
まったく何の才能にも恵まれず、
バカにされて笑われて、
根っからどんくさいリーダーのあなた。
おめでとうございますb(⌒o⌒)d
では、
これから小学5年の算数問題、
いっしょに解いてみましょう。
▼問題1:
数字が3ずつ増えてます。
それだけのことですよね。
3ずつ足していけばいいので、
4,7,10,13,16,19‥‥
てなぐあいに12番めまで書いていっても知れてます。
問題3がなければ、
そっちのほうが早いかもしれません。
4,7,10,13,16,19,22,25,28,31,34,37
答は37です。
ただし、
娘に笑われないためには、
これではいけません。
2番めは4より3増えている。
3番めは4より6増えている。
4番めは4より9増えている。
   :

書いてみて、
n番めはn-1に3をかけた数が4より増えている
‥‥みたいな法則性に気がつくと
(n-1)*3+4
という式ができますので、
nに12を代入すると答は37ですね。
さてこの問題、親切なサイト読者の方から誤植の指摘をいただきまして、そのついでに、式は
 n×3+1
のほうが簡単だというご意見までちょうだいしました。ありがとうございます。
 数字の並びを眺めただけで、あるいは眺めるまでもなく、こっちの式が浮かんだ人は、こっちのほうがもちろん速いし綺麗ですね。かしこいなあ。すばらしいです。
 ほんじゃ、どうやったらそこに気づけるようになるんでしょうね?‥‥っていうのがここから下、この投稿のテーマなんですよね。(追記:2016,04,05)

▼問題2:
12個の数字、
4,7,10,13,16,19,22,25,28,31,34,37
を足せばいいわけですから、
じゃあ電卓‥‥
じゃないですよ。
4+7+10+13+16‥‥
じゃない
です。
はじっこの数字に注目してください。
いちばん小さい4といちばん大きい37を足して41。
2番めに小さい7と2番めに大きい34を足しても41。
3番めの10と31を足しても41。
つまり、
足したら41になる数字の組み合わせが6個。
これがわかると答は暗算でも出せますね。
41×6=246
答は246です。
あーなるほどL(・o・)」
って思いますよね。
わかった人、
なんでわかったんですか?
過去にどっかでいちど
やったことあるからわかったんじゃないですか。
はじめから一発でパッとわかる人っていうのは、
ほんとうに頭がいいんだなと思いますけど、
組織に必要なのは
そういう頭のよさじゃない

>きっとなんかうまいやり方があるんだな。
と、
少なくともそこに気づいて、
うまいやり方に気づくまであきらめない。
その姿勢をもっといてほしいです。
▼問題3:
1000になるまで3を足し続ける‥‥
っていうのでもかまいません。
けれど幸運なことに
n番めの数字が
(n-1)*3+4
という式であらわされることがわかってますので
(n-1)*3+4=1000
の式を解けばいいことになります。
n=(1000-4)/3+1
n=333
答は333ですね。
▼問題4:
7×7=49
49×7=343
343×7=2401
   ;
みたいに、
まじめに地道に7をかけていくのでもいいんですが、
また電卓が必要になってしまいますね。
求められているのは10で割った余りですから、
はじめから1の位だけ見てたらいい‥‥ということがわかればいいんですね。
それなら暗算でできます。
1の位の変化を追いかけると──
9,3,1,7,9‥‥
おっと、
5番めに9が再び出てきました。
てことは、
あとは同じ数字が循環すると気づくわけです。
9,3,1,7という4つの数字がくりかえす。
2巡めで8番めまで進みます。
じゃあ10番めは3ですね。
答は3です。
100番めなら?
4で割り切れますから7ですよね。
──というふうに、
なにかしらの手順に気づくと、
答に到達するのが早くなる。
気づかなければ遅くなる。
もしくは、
いつまでたっても終わらない。
この意味においては、
仕事も同じです。
n=(1000-4)/3+1
の式がわかったあなたは、
今日の仕事は早く終わったかもしれませんが、
きっと別の仕事では、
4+7+10+13+16+19+22+25+28‥‥
みたいな足し算を延々と続けています。
最短で最適な解法にいつも気づくのはその道のプロ。
あるいは天才と呼ばれる人たち。
ふつうは努力するんです。
訓練して訓練して、
試行錯誤をくりかえす。
気づかなかったことに気づけるようになるまでね。
そこが仕事のおもしろみそのものでもあるわけなんですが、
自分が得意でないことならプロに任せる。
わたしはたまたま算数が得意だった。
他にはなんの取り柄もないが、
最短で答にたどりつく式をつくるのだけは得意だった。
だからプロになった。
その方法をあなたに教えて、
あなたから報酬をいただいて生計を立てている。
算数が得意でないあなたは、
なにか別の分野で得意なことがある。
だから算数の他は何もできないわたしは、
あなたに報酬を払ってやってもらうことがある。
かれこれ20年以上、
つまらない足し算でみなさんがよけいな時間を食わなくてもすむように、
わたしは式をつくってあげている。
答を教えてあげることもあれば、
式のつくりかたを教えてあげることもある。
算数で喜んでもらえるならお安い御用だよ。
みんなが解けるんじゃつまらないけど、
わからない人がいっぱいいるってことは、
自分は得意だってことなんだし、
解き方が見つかったときって快感だし、
そんなんで喜んでもらえるならずーっと算数してたっていい。
算数はわたしに任せて、
あなたはあなたの得意なところで稼いでくれたらいい。
小学生のころ‥‥
なんて、
めったに思い出しませんけど、
あったんですよねぇ。
わたしにもあなたにも‥‥ね。
あなたの得意なこと、好きなこと、
何でしたか。
いま、
社会のお役に立てることって何なんでしょうね。
そんなことに思いを巡らす連休‥‥なんて、
いかがでしょうね。

「いじめ」が身近に感じられた日

メディアを通じて毎日のように見聞きしていながら、
ぜんぜん自分とは関係がないことのように思っていた「いじめ」の問題が、
急に身近なものに感じられたのは、
小学校4年になる娘のナツハ(仮名)から、
クラスでいじめられている子がいる
という話を聞いたときです。
>△△ちゃんも××ちゃんもな、
>江利菜ちゃん(仮名)にいじわるしてんねん。
>なんにも悪いことしてないのにな、
>江利菜ちゃんといっしょに遊んだだけでな、
>遊んだ子までいじめられんねん。

ナツハは、
どうしたらいいかわからず、
戸惑っている様子でした。
──え?そうなん?
えっと‥‥
江利菜ちゃんって誰やったっけ?
まえにも聞いたことあったかな?
こういうときは何て言えばいいんだろうか?

──ふだん頭の中が圧倒的に仕事のことばっかりで、
あまり子どもたちのことに気がまわっていないことをちょびっと反省。
ウチの子がいじめているわけではないし、
いじめられているっていう話でもないんだが、
なんだかつらそうだ。
きけば、
ほんとうに江利菜ちゃんにはどこも悪くない。
いじめにはちがいないが、
暴力を振るうというようなレベルではなく、
女の子どうしのあいだで仲間はずれにするっていうみたいな、
よくある文字どおりの「いじわる」
>そうかぁ。
>江利菜ちゃん、たいへんやな。
>誰にでも好きになれる相手となられへん相手があって、
>ムカつくやつはムカつくしな、
>それって大人でもなかなかむずかしい問題やねん。
>だいじょうぶや。
>パパがな、ちゃんとやっとくから、
>江利菜ちゃんも強い子やから、
>がんばれると思うわ。
>教えてくれてありがとう。

ひとまず娘を安心させたくてそんなふうに言いましたけど、
でも実際には、
わたしが何かするなんてことはない。
江利菜ちゃんが乗り越えてくれることを祈るくらいです。
いちおう妻に事情をきいてみたところ、
ママ友たちのあいだでは話題に上ってはいるものの、
それほど悪質じゃないし、
学校を相手に行動を起こすところまでは進んでないらしい。
担任の先生は状況を把握しているはずだとのこと。
ママ友たちは子どもに何て言ってるんだときくと、
そういう問題には関わらせない
というのが共通の了解になっているらしい。
要するに、
見て見ぬふりをしましょうっていうことのようでもある。
たとえばクラスで誰かが暴れているとか、
友だちどうしがケンカをしていたとしても、
口出ししたり止めようとしてはいけない空気なのだとか。
うーん、なんか違和感があるが、
それもしかたがないのかもしれない。
ケンカを見たら止めなさいと、
もし学校が指導していたとして、
実際に止めに入った子どもがケガでもしたら、
学校の責任問題になりますもんね。
親が黙っちゃいません。
>いじめられている子がいたら助けましょう
なんて、
たとえオモテ向きには正当な道徳だとしても、
教育の現場では通用しない。
いじめられっ子を助けたために、
自分の子がいじめられることになったら困るっていうのが親の本音だ。
じゃあせめて、
助けなくてもいいから先生には知らせてねっていうことにしたとしても、
告げ口だけはしなさいって言われてるみたいで子どもの気持ちはすっきりしない。
たいへんよね ┐(-。-;)┌
ちなみにウチの娘は、
いじめられるようなキャラではない(たぶん?)ので、
いままでいじめについて無頓着すぎたのかもしれませんが、
一昨年、こんなことがありました。
琴美ちゃん(仮名)っていう、
ナツハが親友だと思って仲良くしていた女の子のお母さんから、
ウチの妻に、
>ナツハちゃんが、
>うちの娘とあまり親しくされるのは困ります。


言ってきたらしい。
だからもういっしょに遊ばないでほしいと。
‥‥?
はぁ??
意味がわかりません。
ママ友ネットワークからのクチコミ情報を総合すると、
ナツハが琴美ちゃんとばかり仲良くするので、
別のお友だちが「仲間はずれにされた」と感じてしまい、
そこのお母さんが琴美ちゃんのお母さんに苦情を入れた──
という経緯のようだった。
ナツハと琴美ちゃんが仲良くしていたこと自体には問題ないはずなのに、
親の思惑によっていっしょに遊べなくなったしまったという流れ。
なにそれ!?
って、
オヤジ脳ではぜんぜん理解できませんが、
妻は特に動揺した様子もなく、
ああまたか‥‥って感じ。
かといって娘に、
>あの子とはもうつきあわないように。
みたいなことを露骨に言うわけにはいきませんので、
>ミドリちゃんがさあ、
>ナッちゃんといっしょに学校行きたいって、
>ミドリちゃんのママに頼まれたんだよね。
>いっぱい友だちいるんだけど、
>ミドリちゃん、ああ見えて寂しがり屋さんなんだって。

‥‥みたいな
まわりくどいことに。
ほんとうはミドリちゃんは別に寂しがってないんだけど、
ウチのママ友たちが仕組んで、
そういうストーリーを作った。
娘にしてみれば、
ある日とつぜん親友がひとり消えてしまったような感覚。
ちょっと悲しい。
でも、
こんな小さな(?)出来事は日常茶飯事。
いじめられているわけではないが、
一時期、
実はナツハがクラスで某男子生徒からかなりしつこくいやがらせを受けていたらしい‥‥
なんてことをあとで聞かされたこともあります。
話はそれますが、
ママ友ネットワークって、
あなどれませんよ。
だれとだれがどうでこうで、
どこの親がどんなんでどこの子がこんなんで‥‥
って、
身の毛もよだつ戦慄の諜報活動。
子どもがいじめのターゲットにされる原因の9割は、
実は空気の読めない母親がつくってるんじゃないかって思うくらい。
教育現場を事実上統治しているアンタッチャブルな勢力ですから、
警察も学校の先生もアテになりません。
男社会とは異質すぎてわからん‥‥で、
済ましていいのかどうかもわかりません。
他にも、
親が知らないだけで、
子どもなりにつらいことっていっぱいあるんでしょうね。
でも、
あえて言いますけど、
それがどうした
って話ですよ。
親として、
なにを子どもに伝えたいか。

愛するわが子がいじめにあってるって知ったら、
そりゃ心が掻き乱されますけど、
そこであなたはどうしますか?
真っ先にいじめをやめさせることを考えるでしょうか?
わが子を「守る」ために、
あらゆる手立てを尽くすでしょうか。
すぐさま学校に乗りこんで行きます?
血相変えて、
いじめてる相手の親にクレーム言います?
もちろんそれも必要でしょう。
子どもがよっぽど追いつめられているならね、
そういうこともやむをえないかもしれません。
いてもたってもいられないっていう気持ち、
わかります。
わが子を守りたいっていう本能的な衝動は、
やはり母親のほうが父親の何倍も強いのかもしれません。
でもそのまえに、
強い人間になってほしいとは思いませんか?
わが子を「鍛える」って発想はありませんか。
え?
いじめをなくすほうが大事に決まってる?
あ、
そうですよね、やっぱり。
でもどうもわたしには、
わが子を鍛えたいっていう衝動が、
よその親御さんより強いみたいなんです。
いじめられても、
それを平然と受け流せる子に育ってほしいと願ってしまいます。
だからもし、
わが子がいじめられて泣いて帰ってきたとしても、
>誰にやられた?
>たたかれたのか?
>痛いか?
>そうか、かわいそうにな。
>うわっ、
>青くなって腫れているじゃないか。
>そうだよな、おまえは悪くないよな。
>ちきしょう、なんてひどいことしやがるんだ。
>よし、
>二度とこんなことにならないように、
>パパが先生に言っといてやるからな。

‥‥とはならない。
>いつまでもめそめそすんなよ。
>あるよ、そういうことは。
>大人になったらもっと増えるかもしれないぞ。
>たたかれて悔しいのはわかるよ。
>うん、わかる。
>そりゃ悔しいよな。
>だからって泣いてたんじゃ、
>パパみたいにかっこいい大人になれないんだぞ。

ってな具合だろうと思う。
(いまのところウチの子は2人とも、
わたしのことをワイルドでかっこいいオヤジと思ってくれてるみたいなんで。)
わが子を育てるっていう偉大な営みにおいて、
守る鍛えるのバランスについて、
いちどゆっくり整理してみましょうか。
わたしが子どもに教えたいことの第一番は、
心を強くする方法
なんです。
いい大学に入ってほしいとか
安定した会社に就職してほしいとか、
そういう希望は、特にありません。
公務員になりたがるくらいだったら、
わたしの会社を継いでほしいです(ё_ё)
子どもに金銭的な意味での財産を残してやりたいとも思ってません。
金そのものを残すより金の稼ぎ方を教えたいし、
お金で苦労することがあったとしても、
そこから人生を学ぶ姿勢を教えたい。
お金がなかろうと、病があろうと、
あるいは物騒な事故や事件に巻きこまれようと、
あらゆる外からの刺激に対して、
いちいち怒りや恐れや悲しみといった感情に振りまわされることなく、
スーッとかわして引きずりもせず、
颯爽と超えていくような、
そんなたくましさを体得してほしい。
それさえあれば、
あとはなにがあろうが、
たとえ天地がひっくり返ろうが別にどうということはない。
父親として、
自分の背中に語らせたいことがあるとすれば、そこ。
(ΦωΦ)
わが子に対してさえそんな調子だから、
わたしは社員にも厳しいんです。
特に、特に、
めそめそうじうじ、すぐ泣くタイプの社員とか、
ここ一番ていうときに、こそこそ逃げ出すタイプの社員には
めっぽう厳しい。
守る 鍛える

かたよりすぎているという意味で、
確かにバランスは良くないなと反省しますが、
そういうわたしから見れば、
世間は
守る 鍛える

かたよりすぎているように見えてしかたありません。
心を強くする
というテーマが共有されていない場で、
叱るより褒めろだの、
競争より平等だの、
いろいろ生ぬるいことを言われても空虚に響きます。
そんなことでは自殺は減らないでしょう。