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さとりが必要な理由

必要か必要でないかといえば、
さとり なんて、
いらないものなのでしょう。
現に、
99%以上の人がそれを求めきることなく生きてます。
なくてもしあわせそうです。
それどころか、
まあまあそこそこしあわせな人ほど
さとりなどと縁がないともいえる。
なのに
経営をテーマにしたこのサイトで取り上げるのはなぜか?
生き死ににかかわる事故や病気

経験した方ならおわかりでしょうか。
さとることでしか乗り切れない極限の状態

あるからですね。
生きていられないほどの苦しみをまえに、
努力しても努力してもあらゆる解決の途が断たれたとき、
人は、
その苦しみをどうにかしないではいられなくなって、
初めてさとりへ向かいます。
いっそ死んだほうがマシか‥‥
というほどの苦しみが人生にはある。
どうにもこうにも逃れられず、
眠ることも食べることもままならず、
のたうちまわって苦しむほかはない状況。
医療の進歩の恩恵で、
身体の痛みのほうは昔に比べてずいぶんと緩和されましたが、
心の痛みのほうは相変わらず。
自分ひとりのことならまだしも、
家族、恋人、親友‥‥、
あなたの愛する者を容赦なく巻きこんで残忍な運命が襲いかかります。
しかも不運は不思議と重なる。
さとりを拓くことでしか楽になれない‥‥
ことがあるのです。
自分が死ねば解決すると思うならそれも否定はしませんが、
やっぱりちがうでしょうね、それは。
さとりあきらめることではありませんよね。
たしかに
執着を落とすことはあきらめることと似てますけどね。
人生修行の過程では、
便宜上いったんあきらめるという手段を使うこともありましょうけども、
現実にはなにもあきらめません
経営者である以上、
いかに環境がきびしくとも、
時代の変化に対応して、
経営を維持し発展させる責任があります。中小企業家同友会全国協議会中小企業における労使関係の見解より

だから中小企業の経営者ってもんは、
しんどいときほど必死で努力して
パワーでねじ伏せてしまうくらいの勢いがないとやってられない。
櫂を漕いでイカダを進めるように荒波と闘うタイプが圧倒的に多い。
「つらい」と感じるヒマもないくらい追いまくられてます。
だから100人中99人が
>さとりより運転資金をくれ!!

言うでしょうね。
しかしこれからは日本も、
経済的に大きく成長できない時代が長く続いていきますから、
経営者の資質も変わっていくでしょう。
修行なんて、
だいたい自分で決めて進む道ですから、
引き返したければ引き返せばいい。
引き返したいって思ってる時点で、
そもそもさとりが必要でないくらい、
そこそこしあわせってことなんです。
いちど悟っても、
また元どおりきれいに忘れる。
‥‥というか、
さとりにはいくつかの段階があって、
本人が「わかった」とか「これでいい」と思ったとたん、
戻ることはあってもそこから先には進まないようにできている。
おもしろいものです。
超すごい経営者の成功体験を聞いて感激して、
>よ~し!!!
>オレも今日から本気で行くでっ!


奮い立ったはよいけれど、
3日めにはプシュンと気の抜けたビールみたいになっちゃった‥‥
という情けない経験はあなたにもあるはず。
人間というものは、
本気になる必要のないあいだは本気になれないようにできてる。
スイッチが入らないようになってる。
必要のない人にはさとりはやってこない
ってことなんです。
誰しも大なり小なりはあります。
無限にあっていつでもある(ように見える)。
しかしそれを解消する手段もまた無限にある(ように見える)。
ごまかす手段もまたいくらでもある。
次々とわいてくるを、
まるでモグラたたきのようにやっつけたり折りあいをつけたり、
死ぬまでそういうイタチごっこを続けるのも人間らしくてよろしいです。
でもそれだと、
どこかで矛盾を来すように思います。
自分と社会と、
まわりの人たちと、
自分と世界と、自分と宇宙と‥‥、
やったりとったりしながら日々生活しているわけなんですが、
どうも健全な回路が形成されない。
の入りこむ余地もないくらい非常な喜び感謝の連鎖の中に、
どっぷり浸って生きていくくらいでないと、
しかもそれが自然であたりまえで余裕しゃくしゃくでないと、
相手の視点に立って物事を考えることができない。
調子のいいときは世のため人のために貢献できるけど、
自分の都合が悪くなったらそこで一時キャンセルしてしまう‥‥ような、
そんな誠意はニセ物で不良品でしょう。
部下に対する態度だってそうですよ。
赤くなったり青くなったりの心で、
感情にふりまわされながら指図していたら、
きのう言ってたことがたちまちウソになってしまう。
そんなんで健全な経営が継続できるか?
そんなふうに真摯に自問自答しているところへ、
さいわいにも死ぬほど辛い事態が畳みかけるように降ってきたなら、
そこが発心のチャンスです。
>あなたはこちらにおいでなさい。

神さまからのメッセージが届いたのだと考えましょう。
ではどこから手をつけるか。
いま現にあなたに苦痛があるなら、
それはチャンスです。
肉体の痛みよりも心の痛みならなおさらチャンス。
「つらい」でも「キツい」でも「泣きたい」でもよろしいです。
耐えられない苦しみを利用して、
その苦しみから離れてみましょう。
はじめはなんのことかわからなくても、
ほんとうの自分には痛みも苦しみも何もないのが真理なんだとすると、
>じゃあここで現に苦しいと感じている俺は
>いったい誰なんだろう?

っていう、
まるで落語の「粗忽長屋」に出てくる熊さんみたいになってくるけど、
いや実際、
その尋常ではない激痛こそ、
もうひとりの自分に出会う最高の入り口なるはず。
「痛い、痛い」と苦しみに顔をゆがめながら、
ベッドで呻いているのはあなたではないのよ。
あなたあなただと思っているその人を、
天井あたりにフワフワ浮かんでポーッと覗き見しているのがあなたです。


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