感情を消す

感情のコントロールさえ自在にできるなら人生の悩みは99%解決する。 ここでお伝えしたいのは究極の感情統御法。怒りも悲しみも長引かせることなく消してしまえる。 修行を積むと一瞬で消せる。何ものも恐れることのない人生を、ここから始めてほしい。

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これほどキレやすいと、ほとんど病気である

ここに、
人並み外れて異常に気の短い男がいる。
1年365日、
朝から晩まで休みなく怒りっぱなし。
キレまくること十三代石川五ヱ門斬鉄剣の如し。
生まれつき血の気が多く、
救いようのない癇癪持ち。
刺激を受けてから怒りを生成するまでの速度では西日本で五指に入る。
(=`(∞)´=)
そんな男の教える感情コントロールだ。
説得力はあるだろう。
光より速い怒りの反射もこれで止まる。
もしかしたらあなたは、
怒りより恐れのほうが手ごわいことに気づいておられるかもしれない。
たしかに、
不安や恐怖のない心には怒りもない。
ただ、
日常の人間関係においては、
怒りが問題になることのほうが多いはずだ。
感情のコントロールさえ自在にできたら、
職場の人間関係がどれほど改善することか‥‥。
いやそれどころか、
人生のわずらわしさの大半はなくなるはず。
感情のコントロール
──これは巨大な課題である。
これまで感情にさんざん振りまわされてきたあなたならわかるだろう。
職場や家庭の雰囲気を明るく楽しく保つためにも、
最優先して取り組みたい巨大な課題だ。
しかもこれは、
自分さえよければいいという課題ではない。
あなたが気にかけている相手の感情が壊れたら、
きっとあなたもその影響を受けないではいられない。
だからこれはあなたの人間関係全体にとって深刻で巨大な課題だ。
怒り、恐れ、悲しみ、
これは誰にでもある。
感じないようになろうというのとはちがう。
勘ちがいしないでほしいのは、
感情をなくすのではないということ。
大切なのは、
感情に振りまわされないこと。
外に向かって感情をたれ流してしまい、
まわりの人たちの感情まで汚してしまうなんてのは大人のすることではない。
負の感情は長引かせない。
その究極の処置法が感情を消すだ。

感じなくするのとは、ちがうよ

はじめからそこにないのではなくて、
長引かせないように‥‥
引きずらないように‥‥
振りまわされないように‥‥

心の力を強めていって、
だんだんと短い時間で心を平常に戻す。
訓練が進むと一瞬でパッと消せるようになる。
魔法のようだがほんとうだ。
感情コントロールという課題においては、
これが究極だろう。
それが現実にできる。
そりゃあ、私だって人間です。
あなた方と比べてみりゃあ、あなた方より以下かもしれない。
裸にすりゃあ、へそはやっぱり一つですよ。
修行して、インドへ行って難行苦行したから、
へそが三つになったってわけじゃないんだから。
だから、私だって、
そりゃあ腹が立つこともあれば、悲しく感じることもある。
恐れることは、生涯ないとはいわないけど、あるかもしれないけど、
今まであんまりありませんでしたけど、
とにかく怒ったり、悲しむことは人並みですよ。
そんなに人を憎むってことは、
生まれてからあんまりしたことがないから、憎まないけども。
それから、
うらやましくもあんなりないけれど、
まあとにかく、とくに怒ることは、私は自分でも、恥ずかしいくらい、
のべつ怒ってたというような人生だったんです。
今でもときどき、そういう気持ちがでますよ。
こう言うと、
 「へえー、じゃあ天風、あんまりえらくないね」
 「あんまりえらくねえんだ」
 「それじゃあ、おれたちと同じじゃないか」
 「そう。同じ人間だもん」
ただ、
違うところが一つある。
どこだというと、
同じ怒る、同じ悲しむんでも、
「あ、今、天風先生、怒ったな、今、天風先生、悲しんだな」と、
あなた方に見えないうちに消しちまう。
パパッ、パパッと。
あなた方は、
怒りだしたり、悲しみだしたりすると、
そらもう派手ですぜ。
すぐ第三者に、
「あ、怒ってる、悲しんでる」とわかるようにやりだすね。
そうして、わからせたうえに、
これがまた実に、ほかのことじゃあしんぼう強くもないのに、
そういうときの感情だけは実に念を入れて長く続かせるね。
それを執着というんですがね。
中村天風師「心に成功の炎を」より

ざっとこんな感じで、
できるようになる。

ストレスは発散しても抑えてもしんどい

いけ好かないとか憎たらしいとか、
そういう始末に悪い感情を、
「パパッ、パパッと消す」なんてことが、
あなた自身にもできるってことをまずは想像してみてほしい。
消えた感情はどこへ行くのか?
さぁそれは、
うまく言えない。
おそらくは天に昇っていったのかどうなのか。
ご自身で確かめられたらいい。
けれど確かに消える。
まるで別人の神経反射を身につけたみたいに。
それは、
あなたがさとりへ向かう旅の途中、
我執を落とすプロセスで体得できる。
文字どおり感情を消すという表現が当てはまる。
すばらしく気持ちのいい体験。
うまく言えないが、
それはひとつのエクスタシーである。
日常の訓練としては、
瞑想の習慣化を強くおすすめする。
感情を消すっていう措置は、
いわば事後処理であって、
感情がわき起こってしまってからあとの話だが、
ふだんから瞑想が習慣となり、
心機転換の息が飲みこめてくると、
感情が感情としてエネルギーを持つまえに、
意識がそれを客観的にとらえてスッと受け流すことができる。
したがって心が暴れにくくなる。
予防的な措置ともいえる。
かなり大切な原則について知っておくことも大きな助けになる。
感情とそれに従って起こす行動の関係を理解していたら、
不用意に感情を強めることを防げるだろう。
仕事や人間関係でストレスがあるとき、
「ストレスを発散する」とか「ストレスを抑える」という言い方をよくするが、
それはいったいなんのことか?
あなたがカラオケへ行って歌いまくるのは、
ストレスを発散するためか?
いっときそれで心が晴れたような気がしたとしても、
やがて同じようにまたしんどくならないか?
へたしたら、
よけいしんどくなるってことはないだろうか?
感情は発散するのもしんどいし、
抑えるのもしんどい。

消えてないもの。
ストレスはなくなっていない。
依然まだそこにある。

消したくなければ消さないで

楽になりたかったら消してしまうしかないんじゃないか。
もしも
手品のように消せるもんなら消してしまいたくは
ないか。
‥‥と、
そんな話をしていたら、
こんな疑問をもった女性いた。

>じゃあたとえば愛する人が死んでしまったときも、
>涙を流さないってことなの?
>悲しくないってことなの?
>そんなの冷たいじゃない?
>人間らしくないじゃない?

──いや、
そういうことじゃないだろ。
なんでもかんでも「早く消せ」ってもんでもない。
泣きたいなら泣きたいだけ泣いたらいい。
悲しみは、
ちゃんとここにある。
過ぎたと思っても、
また何度でも戻ってくるくらい、
深い深い悲しみがそこにある。
抱きしめたいなら、
ずっと抱きしめてあげてたらいい。
自分のものだからな。
怒りたいなら、
好きなだけ怒り狂えばいい。
憎みたいなら、
気の済むまで憎め。
それがダメだと言っているわけじゃない。
すべてはあなたの選択だ。

>クヨクヨしててもしかたがない。
>こんなことにいつまでも振りまわされるなんて自分らしくない。
>だからもうこれ以上は長引かせない。

と、
その決定をあなたが下すんだ。
感情が豊かだとか貧弱だとかという視点とは関係がない。
冷たい人だと責められるなんて筋ちがい。
むしろ
豊かすぎるくらいだからこそ、
それをどうにかする悩みも深い。
(。・・。)
怒りや怖れ、嫉妬に憎悪‥‥
しつこいよなあ。
それはそれはもう‥‥
うんざりするくらい、しつこい。
気が変になってしまうくらい、
苦しい。
それをどうにかしたい人のための、
ひとつの処方箋が感情を消す技術。
心の調子がよければ‥‥すぐに消せる。
恐怖、憎しみ、愛、妬み、貪欲、慈愛、不安、優しさ、
といった心の産物のすべては、やって来ては去って行きます。
執着しているとき、
私たちはそれらが長く続いてほしいと思ったり、
あるいは早く消えてほしいと思ったりします。
しかし無常の法則がわかると、そんな願いが不毛なものであることがわかります。
滝を握りしめることはできません。
この真実を観察することはそれ以外の自然現象を観察するのに似ています。
法則性が姿を現してくるのを見るのは確かに楽しいことです。
   ***
最後には、あなたの個人史や学んだことをまじえることなく、
物事をありのままに見ることができます。
そうすると執着が弱まっていきます。
それは頑張らねばならないというようなものではありません。
それはただ起こるのです。
   ***
執着を真に洞察するまでは、執着を手放すことはできない。
しかし、
いったん執着の何たるかを理解すれば、
その戦いはほとんど勝ったようなものだ
   ***
ある特定のケースにおけるその消火というのは瞬間的で一時的なものかもしれません。
特定の執着が終わっただけですが、その執着は本当に消滅します。
その中でさえも涅槃を前もって少し経験することができます。
私たちは解放の風味を味わい始めます。
真の解放はすべての貪欲、嫌悪、そして迷妄から自由になることでしょう。
私たちはこの世界に住んでいますが、
もはや物事にしがみつくこともなく、押しのけることもなく、
それらから自己をこしらえることもありません。
たしかに、
ブッダが得たような完全な消滅を獲得する人は多くありません。
しかし消滅を味わうことは広い範囲で可能なのです。
消滅というのは抹殺ではないことを理解することが重要です。
修行の初期には恐怖、怒り、寂しさ、情欲といった否定的な状態に直面して、
解放されるためにはそれらを抹殺しなければならないと考えるかもしれません。
そんな類の人間ではありたくないと自我は思うわけです。
おそらく初期の頃は私たちのすべてがそんな願いを持っていますが、
その願いの中に大きな自己が存在します。
そのとき、
私たちが得たいと想像しているのは本物の自由ではありません。
それはある強迫をもうひとつの強迫と交換しただけのことです。
消滅の中には自己がありません。
それは苦しみの終わりであり、
その苦しみは物事を私だとか私のものとして執着するところからやって来ます。
もちろん消滅は痛みの終わりではありません。
身体はまだ病気になりますし、老化しますし、死んでいきます。
しかし、消滅はしがみつく心からやってくる不必要な苦悩の終わりなのです。 ラリー・ローゼンバーグ「呼吸による癒し」より

発散してごまかしちゃいけない。
抑えこんで見えなくしちゃってもいけない。
逆だ。
まわれ右。
しっかり向きあう。
憎いなら、
もうとことんその憎しみを外へ引っぱり出してきて、
じっと見つめて見つめて感じて感じて、
ゲロ吐くくらい憎み切る。
>てめえ殺す!
>このままで済むと思うなよ、こら。
>絶対に許さんぜ。

と、
口汚くののしってみたらいい。
(ここで、
津留晃一さんの「M2テクニック」を知っておくと役に立つ。
これについてはまた別の機会に触れよう。)

感じ尽くせば成仏してくれる

その憎い相手が
ナイフを握ったあなたの目の前に立っているところを
生々しく描いてみてほしい。
(ただし人前ではやらないほうがいいが。)
そんなふうにとにかく
感じ尽くすことだ。
奥へ、内側へ、潜っていこうとする感情を、
外へ、光の当たる明るいところへ引っぱり出して、
じっと意識を向けて感じ尽くそうとしていると、
感情がスーッと消えていく──
その決定的な感触を、
やがてつかむことができるようになる。
あるひとつの感じ方を、
うまく消すことができると、
もう二度と同じ感情を味わうことはない
つまり、
あなたがAという人物を憎んでいたとして、
その憎しみを消してしまうことができると、
もう二度とAに対する憎しみが湧いてくることはなくなるという意味だ。
だからといって、
Bという別の人物に対する憎しみまで消えるわけではないが、
その場合でも、
ひとつの憎しみを完全に消すことができたなら、
別の憎しみを消すことは以前よりもずっと容易になる。
こんなふうに、
あるタイプの感情を完全に消してしまった結果、
二度と同じタイプの感情が出てこないことを指して、
感情を成仏させる

表現した人がいた。
しっくりくる。
遺体を焼いて出た煙が風にまぎれて消えるように、
怒りも怖れも、嫉妬も憎悪も、
現世から消滅して成仏する。
ヤキモチも恨みつらみも‥‥、
まちがいなく自分の心から出たものだ。
邪険に扱うと
あの世から舞い戻って化けて出る。
サッと払いのけるようなまねをしてはいけない。
あなた自身が生んだ感情なのだから、
あたかも人格をもって独立した第三者のように、
できれば擬人化して接してほしい。
たとえば、
あなた自身の中のしつこい嫉妬の感情に、
「吉兵衛さん」とかいう名前をつけてみたりしてほしい。
もっと可愛らしい名前でももちろんいいのだが、
ここでは年寄りっぽい名前にしといた。
もうじきポックリ亡くなりそうでいい。
迷わず成仏してくれたら
いい。