HOME > 心のお手入れをサボらないために > 4-気づきと転換 >

ぬるま湯ほど恐ろしい楽園はない

足るを知り、足らずを知る。
──これを、
長いあいだサボってしまった自分に対する戒めの言葉としたい。
もうじゅうぶんしあわせだからといって、
それ以上の努力を止めてしまう。
安定の上にあぐらをかくとでもいうのか、
ちょうどこれは、
健康なときに不摂生をして身体を壊し、
病気になったら反省し、
そのときだけ摂生に努めるようなもの。
自分がハングリーだったころは、
ほどほどのしあわせに満足してのんびりしている階級を見下して、
あたかもカメをあざ笑うウサギのように、
>そんなのんびり歩いていたら、
>すぐに追い抜いちゃうよ

って。
でも、
いざ自分がしあわせに浸ってみると、
もうそこから一歩も動けない。
居心地がよすぎて、
ぐうぐう居眠りしてしまいました。
お尻が腐ってしまうくらいだらだらしてしまった。
じゅうぶんしあわせだからといって、
それで終わりではなかったんです。
それは、
もっともっとと欲ばることではなく、
まだだまだだと自分に鞭打つことでもない。
「もっと」でも「まだ」でもなく、
そこからさらに吸収して伸びていこう、成長しようという、
進化向上の原動力を止めてしまわないということ。
そこで終わりじゃないことを知らないだけの自分

気づくべきでした。
>こんな狭い風呂はいやだということに気づこうにも、
>風呂とはこんなものだと思っている。

──これを、
自己満足のパラドックスと呼んでいいでしょう。
ほんとうの極楽を知らないだけ。
知らないからこのへんで満足できる。
足らずを知る
とは、
まだ終わりじゃないことを知ること。
いや、
終わりなんてないことを知ることか。
天風先生もこうおっしゃってます。
完全な自己統御はゆめ油断なく。これでいいというときはないんですよ。自分を磨くのに、ターミナルはないんだから。ここが終点ですというところはありゃしないもの。自己陶冶なしではどんなことをしても一生を通じて幸福、いわゆる健康も運命も完全だという、人間の当然得られる幸福というものをわがものにすることはできない。「しるべ」2012年10月号から

人生の中だるみを1分だけ反省したい

自己陶冶「じことうや」と読みます)って、
40すぎまで読めなかったし意味もわからなかったんですけど、
いまどきの言葉でいうと「自分磨き」みたいなことですな。
「陶」というのは焼物を造ること、
「冶」というのは金属を精錬すること、
だから自己陶冶っていうのは、
人格を練って焼いて研いで磨きあがていこうという意味です。
 多くいうまでもなく自己陶冶という事は、自己の人格を向上せしめる事で、真人生を獲得しようとする者に何よりも必要な事柄であることは、何人にもその常識となっている事と信ずる。中村天風師「研心抄」から

──これをサボってしまいました。
気がついたらもう同じことを
何年もくりかえしてきたわけです。
安定していた

いえば聞こえはいいでしょうけども、
休みすぎた。
浦島太郎になってしまった気さえする。
悔やむとしたら何年間にもわたる自分の心がまえについてであり、
生活態度を全面的に悔やまないといけなくなる。
しかし、
それは許されてません。
悔やむことは止められているんです、
先生に。
だから
反省するにしてもせいぜい1分で切り上げたい。
気持ちをパッと、
積極的のほうへ取り替えてしまおう。
自己陶冶がきょうのテーマです。
夢が叶ったらナニするんですか?

夢はぜんぶ叶いました。
10代、20代に見た夢、
自分は何がほしかったか、
どんなふうになりたかったか、
ぜんぶはっきり覚えています。
切実な願望で、
大願、悲願です。
それもこれも、
ぜんぶ叶ってしまいました。
だからもちろん、
めちゃめちゃラッキーです。
みなさんもそうでしょうけど、
夢が一個しかないってことはないでしょう?
大きな夢から小さな夢まで、
いろいろあると思うんですけども、
>これが実現したらもう死んでもええわ
とか、
不謹慎ですけども、
若いころそんなこと口走ってた記憶もおありでしょう。
夢を、
他人にしゃべるタイプの人もあれば、
日記に書いてたりとか、
自分の胸にしまいこむタイプの人もあるでしょう。
女性の方にありがちな夢ですが、
本命の男性からプロポーズされた瞬間とか、
天にも昇る気持ちだというじゃないですか。
夢が叶うってすばらしい。
わたしの見た夢は、
40代の半ばでぜんぶ叶いました。
もっときちんというと、
20代で半分、30代で9割、
40代でひとつだけ残っていた最後の一滴が、
今年になってから叶ったかな。
もうすぐ55っていう、
これは微妙な年齢ですね。
一本気なところがありまして、
まわり道とかできない性分ですから、
>夢は叶ったぞ、
>もう何もないよな、
>いい人生だったよな、

と、
ながーくかみしめて確認してからでないと、
次の行動が起こせません。
ひとつ叶ったから、
ハイ次の夢どうぞって具合にポンポンいかない。
なんなんでしょうか、
この感覚。
次の夢

描けないまま、
10年以上たってしまったわけです。
成功したらそれで終わりですか

>あの人は成功してる人だ
と、
世間が認める成功者にもいろんなタイプがありますね。
成功してるからって思い上がらず、
偉そぶることもなく、
地に足のついた雰囲気で、
実直に努力し続けているタイプ。
成功してることを鼻にかけ、
思い上がって調子に乗り、
金づかいは荒いし態度はデカいし、
ああよかったですねおめでとうさんっていうタイプ。
成功してるとかしてないとかは無頓着でそっちのけ、
ただ仕事が好きで好きで、
人と会うのが好きで好きで、
動きまわっているのが楽しくてしょうがないってタイプ。
わたしは、
まさか自分が、
ちょっとくらい成功したからって、
歩みを止めてしまうタイプだとは思いませんでした。
自分が休んで怠けてしまうなんて、
まったくの想定外。
生きてるだけで丸儲けって思ってるわたしですから、
人間は生まれもって幸福なのがあたりまえだと思ってますし、
どう転んだってしあわせなんで、
しかもそのうえ夢はぜんぶ叶ったんですから、
もうこれでいいじゃないのって感じで、
休もう、楽しよう、
もっと遊ぼうっていう気持ちが出るのも自然でオッケーなんですが、
それにしても、
ずいぶん長いことぼんやり休みすぎた。
>成長って、
しないといけないもんなんだろうか?

と、
真剣に迷ったこともあります。
なりゆきまかせでも成長できるんだから、
ただ流れに身を委ねるような進化向上があってもいいんじゃないか
と、
そんなふうに考えたりもしてました。
人間の進化向上には終わりがない

でもやっぱりね、
サボったらあきませんで。
ほどほどでいいんじゃないですか
とか、
いってたらあきませんわ。
もういいじゃないですかじゃなかったんですよ!
やっぱりね。
先生の言葉にこういうのがあります。
 自己陶冶を志さなければ、人間の一番大事な、人間そのものの人格というものがちっとも向上しないんですもの。何年たってもそのままなんだもの。そうすると、その当然の結果として、もっともっと自分の人生をプラスにする完全な資格と条件は、自然と消えちまうんであります。そしてそれに代わって繰り出すのが、病であったり、不運であったりという、苦い形でもって、あなた方の人生をいじめ出すわけだ。ねえ。
 ところが、そう言われてみりゃ、なるほどなと感づくかもしれないけど、言われない限りはですよ、うぬぼれていない人でも、自分は、たいした、間違った生き方はしていないと思うことが、それが非常に自己向上を妨げている。自分で考えて、後ろめたいようなことを考えたり思ったりしたりしなけりゃ、格別、大して間違った道を歩んでないと、こういうふうに考えてるのが、どうも現在の人間の人生に対する意識じゃないんでしょうか。
 つまり、自分を磨き上げよう、研ぎ上げようという気持ちがない。たまには出るけれども、それがただ一時の高揚した気持ちでやり出すから長続きしないんです。
     * * *
 あなた方がみんな私と同じようにね、死ぬか生きるかの大病を長年患っていたら、私が忠告するまでもなく、一生懸命になるでしょう。それは、これも何遍か言った「溺れる者は藁をもつかむ」のたとえでね。まだ溺れるようになってないもんだから、藁をつかもうって気にならない。藁をつかもうという気が、結局燃ゆる情熱なんだ。
「しるべ」2012年9月号から

──けっきょくこの言葉から気づかされることは、
自分が長いこと、
ぬるま湯に浸ってたってことなんです。
気持ちよすぎてどこにも不自由を感じない。
なすがままなされるがまま、
あるがままの快適さ。
満足の落とし穴。
だいたい、
いままであんまり自分の「人格」というようなものを基準に、
幸福や成功を計ったことがない。
結果として現象面にあらわれた、
人間関係が良好だとか収入がいくらあるとか、
娘と息子が機嫌よく育っているとか、
自分の心がどれだけ落ちついていられるかとか、
そんなような事象で判断する癖がついてしまっている。
まさに、
頭にタオル乗せたカエルが大の字になって仰向けになって、
ぬるからず熱からずの温泉に目を細めてブカプカ浮いてる絵面。
ゆでガエルの一丁あがり。
このままじゃ、
気持ちよくボケてしまうでってことなんです。
ハングリー精神って死語ですか?

なにか思い切った挑戦をやろうという気にならず、
したがってリスクを負わない。
これが、恐ろしい。
少しずつ何かが、
崩れ落ちていく兆候はデータとして示されていたのだけれど、
取り越し苦労は禁止されているのだし。
幸福の罠ってあるんじゃないでしょうか、
どこから眺めてみても、
自分ってしあわせじゃないかと思える。
現に何も困ってないのだし、
満足している。
もし20代なら、
>この安定がいつまで続くかわからないんだから
って、
ガツガツがんばるかもしれない。
しかしそれが、
もう60近いジジイともなると、
>この歳でこのステイタスならいいじゃないか
となる。
いわゆる順風満帆ってやつのようにも見えて、
自分のステイタスに自分でいちゃもんをつけにくい。
>なに言ってやがんでぇおめぇ、
>満足しちまったら人間おしめぇよ!

──みたいな精神性が、
昭和にはまだ残っていたはずなんですが、
てんと聞かなくなりました。
ハングリー精神
ってやつ。
かっこ悪いんでしょうね。
満たされているのがあたりまえの平成じゃ、
ハングリーなのはよっぽど調子が悪い人と思われかねない。
腹を減らしてるってことはリアルに充実してないってことで、
それはつまり負け組なわけで、
手近なところで満足を調達してごまかすんでしょう。
一生遊んで暮らせるカネがあってもなお働く

何億円もの大金を横領して、
南の島国へ高飛びして何するのかと思ったら、
次から次と女を買い漁ってギャンブルに狂って、
けっきょく捕まったやつがいましたけど、
ひとつの生き様としてはわかりやすいですよね。
その系統の人たちって、
しゃべっててもつまらないですけどもね。
ほんまにつまらん。
おカネの話しかできない金持ちって、
アホみたいですよ。
金持ちがするおカネの話を、
いつまでもうっとり聞いてる貧乏人はもっとアホみたい。
金持ちにあこがれただけで金持ちになれるならいいけど、
あこがれるだけではなれませんのにね。
もし一生遊んで暮らせるカネがあったら、
あなたならもう働きません?
汗水たらさない?
そんな大金、
持ったことないとしても想像してみてほしいんです。
なんのために仕事をするのかって、
考え直すヒントにもなりますから。
持ったら使ってしまうタイプって、
けっこういますけど、
わたしにはよくわからない神経です。
でも、
持ったらサボってしまうタイプだったとしたら、
目くそ鼻くそを笑う
ってやつ。
反省は1分だけしかしませんが、
わたしは恥ずかしいです。
なにをボケてたんだろうかと。
たいしてうまくいってたわけでもないのに、
勘違いをしてしまったのか。
それとも疲れてたのか。
自分でも気づかない疲れがずどーんとたまってて、
しんどいなーしんどいなー、
あーしんどいなーと、
それがふと楽になったもんだから、
無自覚に気が抜けてしまったんでしょうか。
>まちがった生き方はしてない。
>どこもおかしくない。

これが、恐ろしい。
きっとみなさんの中にも、
失恋やら自己やら病気やらビジネスの失敗やらで、
不意に、
奈落の底に落とされた体験をされた方があるでしょう。
衝撃は不意にやってくる。
でもそれは反対に、
とてもありがたいことなのかもしれないですよ。
パラドキシカルですけども、
そこ、
感謝したほうがいいかもですよ。
 かりそめにも真理に順応して完全な人生に生きようとする我々は、どんな場合にもですよ、人生の幸福というものを安易な世界に求めてはいけないということ、言い換えれば、無事平穏を幸福の目標としないこと。
 だからしたがって、苦悩を嫌い、それから逃れたところに幸福があると思っては断然いけない。というのは、そういうところに本当の幸福というものは絶対にないからなの。
     * * *
 本当の幸福というものは、健康や運命の中にある苦悩というものを乗り越えて、それを突き抜けたところにあるんだ。
     * * *
 本当の幸福というものはね、なんぞ図らん、凡人の多くが忌み嫌う苦悩というものの中にある。すなわちその苦悩を、わかりやすく言えば、むしろ楽しみに振りかえるというところにある。
 もっとも普通の人は、苦悩を楽しみに振りかえるなどと言うと、「そりゃとてもたやすくできるもんじゃない」と言うでしょう。しかしです、我々は「観念要素の更改法」というのを知ってる。したがって、苦悩を楽しみに振りかえるということをさして難しいこととは思いませんわ。
 それは、苦悩を楽しみに振りかえるというのは、健康や運命の中に存在する苦悩を乗り越えて、突き抜ける強さを心に持たせることだということを知っているから。しかも、その頼もしい心を、自己の意志でつくる方法を我々は知ってるんだ。
中村天風師「真人生の創造」から

アファメーションとマントラ

気づいている状態
──すなわち覚醒、すなわちマインドフルネス
それはとても静か
じっとしていて動かない。
少し空腹。
日常的に何かに追いまくられて疲弊した心が、
「そうありたい」と願っている状態は、
静か
いま、ここは、怖いくらい、
静か
静かで何もない。
あなたの心はいま、
静かですか。
自分の心のポジション、
たまにはチェックしてますか。
騒々しく何かを欲しがる想いがはどこから湧いてきてますか。
それはエゴさんの罠ですよ。
落ちついた静けさを、
エゴさんは「寂しい」と誤解します。
「物足りない」と不満をもらします。
もっとにぎやかにつながりを求め、
腹いっぱい食いたがり、
ただちに慰めを欲しがります。
じっとしている自分は「損をしている」とクレームをつけて、
いま、ここから出て行きたがるのです。
エゴさんは何を恐れているんでしょうか
「毎日5分、これをしよう」とか、
炭水化物は食べないぞとか、
目標達成率のグラフをつけているとか、
朝ごはんは家族そろって食べるべきとか、
あなたも、
ご自身のエゴを取り締まるためにいろんなルールを作っていますよね。
あるいは逆にエゴの横暴で、
ルールばかり作らされてがんじがらめになっちゃってるんでしょうか。
意識がいつも醒めていて、
止まりたいときに止まれるなら、
ほんとうはルールなんていらないんでしょうけどね。
(ё_ё)
今日のテーマは
心のリカバリー
自分の心にいつもの調子を取り戻させる軌道修正についてです。
そしてこれが意外なことに、
経営理念のつくり方とも関係してきます。
はい。
ではここで、
自分の心が乱れたときのことを思い出してください。
あたなの気持ちはいま、
かなり凹んでいてブルーです。
そんなつもりじゃなかったのに、
結果的に自分がウソをついてしまったことになり、
チームの仲間全員に迷惑をかけてしまった‥‥とか。
嫁が子どもを連れて実家に帰ってしまったとか、
右腕だった部下が突然辞表を出したとか。
毎日がとても苦しいです。
孤独だし、
正直になれなかった自分が許せない。
今日いちにちをどうやって乗り切るか。
明日からずっとだらだら続く不毛な毎日を、
どうやってごまかすか。
いや、
うやむやにするのではなく、
ちゃんと克服したい。
どんな長雨もいつかは止む。
いつかはここから出られるということは知っている。
‥‥でも苦しくてしかたがない。
わあわあ泣きたいか。
そしたらちょっとは楽になれる気がするのか。
友だちにメールしまくるか。
ゲロ吐くまで酔いたいか。
いやいや、
そんな不安定な感情は長引かせてはいけません。
心機転換です。
気分が×××なときは○○○すればダイジョウブ
──っていうような
心の防災グッズ
を、
ちゃんと準備しておけばいいんです。
アファメーション
っていうのは、
肯定的な自己暗示法を意味していて、
具体的には、
自分の決意を自分自身に対して言い切って誓約してしまうことで、
心の向きを強固に積極化するものです。
明るくて元気が出て素直な言葉を選んで、
ときには厳しく、ときには優しく、語りかけることによって、
自分の潜在意識や心のあり方を変えて、
望む方向に進んでいく方法です。
なりたい自分ややりたいことなどを文章にして、
「わたしは○○○です」とか「わたしは○○できます」とか、
紙に書いたり、声に出して言ったり、心の中で唱えたり、
とにかく何度もくりかえします。
これがなぜ効果があるかというと、
脳がアホだから
だそうです。
潜在意識っていうのは、
ウソと現実の区別がつかないらしいんです。
なんべんもなんべんも目から耳から刷りこまれているうちに、
それはほんとうのことなんだ!
と、
信じこむらしいんです。
暗示の力を侮ってはなりません。
このことを知っていて、
マインドコントロールに悪用する者もいるのはご承知のとおり。
わたしたちの脳には例外なく、
だまされやすいパターンがある
ってことなんです。
どうせだまされるなら、
否定的な暗示を刷りこまれて価値を低められるより、
上向きな暗示を刷りこんで願望実現するほうがいいじゃないですか。
重要なのはくりかえすこと。
断定の強さと回数が肝心です。
心に浸透するまでは、
言葉の種類は増やさないほうがいいのかもしれませんが、
肯定的なムードという点で一貫性がある──すべての文章が「できる」で終わるとか──なら、
少々種類が多くても長くてもいいでしょう。
文章を作るうえでの秘訣は、
「なりたい」とか「なれますように」ではなく、
現在形もしくは完了形で、
(すでに)○○になっている、(すでに)○○だ、
の語調にすることです。
会社の経営理念などにありがちな表現で、
ちょっと注意が必要なのは、
「豊かさの実現を目指します」とか、
「社員を幸福にするために」っていう文言ですね。
否定語が入ってるわけではないのでダメじゃないんですけども、
「目指す」ってことは、
「まだそうなってない」ってことをみずから認める言い方でもありますから、
いつもいつも「目指します」っていう言葉を反復していると、
それがいつまでたっても実現しないことのように脳が勘ちがいを起こします。
幸福にしますっていう言葉をくりかえし聞かされる脳は、
「いまは幸福じゃないんだ」って思っちゃうかもしれないのです。
わかりやすく言うと
勝ちたいぞ < 勝てるぞ < 勝つぞ < 勝ってるぞ < 勝ったぞ

順に
暗示効果が高くなっていくわけですね。
>うわ~優勝しちゃったよ、マジかよ!
>きっと夢じゃねぇの?
>ちがうのかよ~~!?
>オレっちが本当に優勝しちゃったんだってばさ!
>うれしいなぁ~、ってか、うれしすぎだろこれ、
>どうするよ、おい、
>もうオレ、どうしていいかわかんねぇよ!!!

ってな感じで、
試合まえから盛りあがっちゃってください” “(/*^^*)/
暗示なんかかけるつもりがなくてもかかってしまうのが人間の脳ですから、
言葉はくれぐれも慎重に選んでいただきたい。
そんなふうに、
根気よく自分に暗示をかけていくと‥‥
やがて、
わたしたちの脳に条件反射が起こってきます。
パブロフの犬になるのです。
ベルの音を聞いただけで、
実際にはエサがなくてもヨダレが出るという、
あれですね。
しんどくなったときや落ちこんだときなどに、
心の軸に刻みこんだ決めぜりふのアファメーションがあれば、
それ一発で脳がリセットされるようになってくるんです。
経営理念を毎朝唱和する会社が多いですが、
あれは何をやっているのかというと、
要するに社員全員の心に同じ暗示をかけようとしているわけです。
けれど
経営者の魂がそこに吹き込まれていないなら──
意味なし
ただ機械的に押しつけて、
社員がアホらしいと感じているとしたら、
「笛吹けども踊らず」どころか、
逆効果になりますから唱和なんて中止したほうがよろしい。
経営理念を一種のアファメーションだと考えたことなかったですか?
ないですよね、ふつう。
じゃあ今後はそんなことも意識してみてください。
アファメーションっていうのはこのように、
心に暗示をかける道具なんですが、
道具を使いやすくするためのポイントってわかります?
小型化ですよね。
短い言葉にまとめるってことです。
一瞬つぶやくだけで、
すべての想いを包括してあらわすようなコトバ?
‥‥というわけでマントラ(真言)について説明しましょう。
マントラ
っていうのは何かというとですね、
元来の意味はさておき、
ここでは
自分の心に対して特別な暗示を与える短いフレーズのこと
だと理解しておいてください。
魔法の口グセっていうか、
おまじないとか呪文のようなものだと思っていただいてもよいです。
パッと聞いただけでは意味がわからないマントラがたくさんあります。
宗教チックな面も多分にありますが、ここでは宗教とは切り離します。
一瞬で唱えられること。
コンパクトであることに注目してほしいんです。
たったこれだけの短いフレーズに、
こんなに広くて深い想いがこもっているんだよ
っていう前提があります。
すなわちマントラっていうのは、
広くて深い教えをカプセルのように圧縮したコンセプトなんです。
肯定的であろうとなかろうと、
本人が意味を感じるならそれがマントラ。
自分にしかわからない暗号だってかまわない。
アファメーション = マントラ
ではないのですが、
わたしたちの今日の目的は、
一瞬で心機転換を達しうる道具
をつくることですから、
アファメーションで使うフレーズの短縮版を、
自分なりのマントラにしてしまっていいわけです。
あなたが自分の会社の経営理念を自分で決められる立場の人なら、
経営理念のマントラ化にチャレンジしてください。
もうこれ以上短くできないというくらい、
使う単語を厳選し、
コンパクトなフレーズに圧縮していくんです。
キャッチコピーを作るときのプロセスと同じで、
コンセプトメイキング

センスが磨かれます。
短くできないところはアファメーションとしてやってください。
いろんな種類があっていいと思います。
やりたいことはたくさんあるんだし、
どんな人間になりたいか具体的に描きたい。
だからアファメーションにはロングバージョンがあってもいいんです。
しかし
マントラは端的でキレのあるところが命。
>ツイてる、ツイてる
っていうのを口グセにしていたら、
ほんとうにツイてる人間になるっていうやつね、
これだって斎藤一人さんのファンの方が実践していたら立派なマントラです。
一人さんは他にもたくさんのことを教えてくださってますけど、
「ツイてる」っていう言葉を聞いただけで一人さんの想いがぜーんぶ浮かんでくる気がする。
だからマントラっていうのは、
口について離れないようなフレーズのほうがいい。
「困ったことは起こらない」は、
同じく一人さんの教えでも口グセにはしにくいので、
分類上はアファメーションとしてやってください。
そういえばうちの婆さんは
>南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
というお題目をしょっちゅう声に出して唱えてました。
まるで鼻歌みたいな調子で日常に溶けこんでた。
快活で陽気な婆さんでした。
>阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
なんてのを
知っているのはきっと、
むかし「愛の戦士レインボーマン」にときめいた昭和30年代生まれのオヤジだけでしょうけど、
これだってね、
意味を知っている人が想いを乗せて使ったらマントラ、
知らない人にとっては
>てくまくまやこん
と同じ、
テレビの主人公が変身するときに使うただの文字列です。
主人公といえばもうひとり、
「天才バカボン」でバカボンのパパの使っていた決めゼリフ、
>これでいいのだ
は、
わたしたちすべてに勇気を与えてくれる、
すばらしく強力なマントラになりえます。
故・赤塚不二夫さんの通夜で、
タモリさんが読み上げた──というか、読んでいたのは実は白紙だった──弔辞を聞いて、
ハッと胸を打たれたのはわたしだけではないはず。
あなたは生活すべてがギャグでした。
あなたの考えは、
すべての出来事、存在を、
あるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、
重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、
また時間は、
前後関係を断ち放たれて、
その時、その場が、異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事にひとことで言い表しています。
すなわち「これでいいのだ」と。
森田一義(タモリ)さんの述べた弔辞から

マントラをくりかえすときはくれぐれも、
そこにこめられた世界観の全体を、
できるかぎり掴もうと努力していただきたい。
いつもじゃなくていいんです。
ふだんはその作業は潜在意識に任せておいたらいい。
でもほんとうにわたしたちの脳は忘れっぽい。
>ありがとう
を、
何万回くりかえして唱えたらどうなる云々っていう話を耳にしたことがありますが、
ただ回数が多けりゃいいってもんじゃないでしょ。
短くまとめられすぎているために、
気が抜けてしまうことが非常に多いのがマントラの落とし穴。
口に出して発声するときには、
やはりそれなりに、
言葉の持つパワーに自分の魂のパワーをシンクロさせていく意識が必要です。
いつもじゃなくていいんでね。
それからもうひとつ、
マントラやアファメーションを反復するついでに、
思い出してもらいたいことがあります。
はじめに戻りますが、
いちばん思い出してほしいのは、
気づいている状態です。
すなわち覚醒、すなわちマインドフルネス
を、
思い出していただきたいんです。
いま、ここ
という
絶対的な位置にしっかりとどまる意識ですね。
ほらまた、
やっぱりあなたも忘れてたでしょ?
(ё_ё)
では最後に、
中村天風師はどんなふうに自己暗示法を教えておられるか、
紹介しておきましょう。
(いつもこんなふうに一部分だけを切り取って紹介してますが、
そろそろ一冊まるごと読んでいただくことをもちろんおすすめします。)

 たとえば、悲しいことや怒ること、あるいは悶えること、恐ろしいことがあったら、一方においてクンバハカを行いながら神経反射を調節して、同時に映る鏡の顔に、心配なことがあったら「そんなの心配ない」、怒ることがあったら「怒らない」‥‥こういうふうに、厳粛な気持ちで自己暗示を与えてやるんです。鏡にむかって暗示を与えるときには、自己暗示を妨げる、いわゆるコンプレックスは生じないんであります。普通の自己暗示だとコンプクレックスが生じるんです。
 この方法をいっそう有効にするには、毎晩寝がけに鏡に映る顔を見て、「お前は信念が強くなる」、これを言って寝るようにしてごらん。あくる日、目がさめたら、あんまりぐじゃぐじゃ言わないうちに「きょうは俺は信念が強いぞ」‥‥信念に寝て、信念に起きるんです。
 それから、一日のうちに気持ちにぐらつきが起こるようなことを感じたときは、また鏡なり、あるいはガラスのところに行って自分の顔を映して、「俺は信念が強いんだ」、自分自身を叱咤してやるんです。信念に寝て、信念に起きて、信念で生きる。
中村天風師「成功の実現」より

思いどおりにならないことに感謝

ネガポジ変換
っていう
お手軽な気持ちの切り替えが巷で流行っていますね。
けっこうなことです。
マイナスの出来事が起こったとき、
>なんてついてないんだ
みないな
ネガティブな考え方や言葉づかいするのではなく、
>これは何のチャンスだろう?

プラスの発想に転換していきます。
たったこれだけのことなんですが、
100%変換できる人がいたとしたら
ものすごく心の強い人でしょうね。
そこまで徹底できないとしても、
やらないよりやったほうがいいと思いますよね?
心は
下より上を向いているほうがいいに決まってます。
ご機嫌なほうがいいに決まってるんです。
ところが、
このネガポジ変換が素直に実践できる人とできない人に分かれます。
なぜか?
心が、
ひしゃげているから
ですね。
せっかくちょっといいことが起こっても、
わざわざ悪いほうへポジネガ変換する人も少なくない。
過去にいろいろあって、
心がねじ曲がっちゃったんですね。
人によって、
ぺしゃんこに押しつぶされているのかもしれないし、
こなごなに砕けてしまったのかもしれない。
とにかく心が歪んで閉じてしまった。
右を見ても左を見ても神経症患者があふれるこのご時世、
うつ病と診断されなかったとしても、
なにか別の病名がつくでしょう。
たいへんだったんでしょうね。
あなたの過去はたいへんだった。
つらかった。
泣きそうだった。
なのにそのとき、
まわりは助けてくれなかった。
親を、他人を、社会を、恨んだ。
自分がなさけなかった。
‥‥いちどそんなふうにひしゃげてしまった心を、
もとの無疵なかたちに戻すのは容易ではありませんな。
でもね、
捨てる神あれば拾う神あり。
しぶとく諦めずに道を探しつづけていたら、
きっと浮上できる日が来る。
ワンチャンスで変えられる。
そんな、
人生を変えるきっかけになっている場のひとつに
アチーブメント
という会社があります。
わたし自身は、
青木代表や佐藤主席トレーナーの講演を聞かせていただいたり、
フィールドトレーナーの阿部さんとメシ食ったことがある程度で、
ちゃんとしたコースを受講したことはないのですが、
実際にわたしの知りあいの経営者がここで変わったと証言してます。
ひとりやふたりではありません。
しかも激変で、
受講後に会社が急成長するところを目の当たりにしました。
費用はそれなりにかかるそうですが、
えらいもんですやん。
アメリカの精神科医ウイリアム・グラッサー博士が提唱する
選択理論心理学
にもとづいた行動原則が身につくそうなのですが、
それがいったいどんなものかをひとことで説明すると──
要は
ネガポジ変換すごいやつ
です。
くわしく知りたい方は、
0120-000ー638
まで
電話してみてください。
アチーブメントさんのフリーダイヤルです。
事実はひとつ、解釈は無限
って言葉、
すばらしい知恵なのでぜひここで覚えちゃいましょう。
意味は‥‥
いまさら言わなくてもおわかりですよね。
人生にはいろいろあります。
買ったばっかりのスーツにコーヒーこぼした!
なんていう、
かわいいネガならポジに変換できるけど、
もっと深刻なことが山ほど起きますよ、人生は。
そのとき、どうですか。
失恋も辛いけど、
命まで取られるわけじゃない。
もっと苦しいこと、つらいこと、
死にたくなるほど残酷なこと‥‥が起きる。
こっちが死にたくなくても
>もうじき死にますよ

わざわざ告げにくる神さまもいる。
死神さまってやつね。
自分に来てくれるならまだいいけど、
愛する人の前に現れる。
それが人生ってもん。
安っぽいポジティブじゃあ追いつきませんよ。
なにものにも揺るがない絶対的な強さが心の芯まで染みこむまで、
習慣的に訓練する必要があります。
ここでまたひとつ、
パラドキシカルな視点

おすすめしときましょう。
思いどおりにならないことのすべてに感謝してください。
ありがとうございます。
この不安、このストレス、この葛藤、
もどかしさ‥‥、
それこそがあなたを真理へと導いてくれるものです。
思いどおりになっていない

感じるということは、
もっと心を磨きなさいよというメッセージなのです。
いま、
もう少し楽に物事が思いどおりに運んでいたら、
あなたは怠けてしまうでしょう。
ゆるんで、うぬぼれて、図に乗って、
野放図に生きはじめるでしょう。
三次元に仕掛けられている数々の障害に感謝してくだされ。
おかげさまであなたは、
協力者のありがたみを知ることができますな。
自分が世の中と関わり、
支えあっていることを実感できますな。
迷惑をかけ、助けられ、恩を受けて、
ようやく心の底から感謝することを学びますな。
うまくいかない‥‥
不如意
──思いどおりにならないこと──がの源です。
それをの源──すなわち感謝──に変換できるなら、
それが最強のポジティブ、いや、
ポジティブを超えたパラドキシカルです。
すべてはあるがままでちょうどいいと思えるまで、
三次元社会のほうでは障害が続くでしょう。
否定をやめるまで、
しっぺがえしは続くでしょう。
「いま」に感謝しましょう。
もう何も考えることはありません。
頭はどうせ
つまらないことしか考えないんですからね。
ひたすら感謝、
そして思いやり。
他には何もいりません。
あなたには、もう迷いはなくなりました。
いま、ここにあることを喜びます。
ぶれません。
純粋でありたいと願うでしょう。
どこまでも汚れなく、
感謝と思いやりの塊でありたいと願うでしょう。
そして、
まわりを喜ばせることばかりをひたすら楽しむようでありたいと願います。
そればかり、
どこまでいってもそればかり。
嬉々として、
いつまでもニコニコと、
それ一本。
それがけっきょく、
いちばん強い自分、
いちばん強い生き方につながるのだとわかります。
自分自身を守ってくれるのは、
他でもない、
自分自身から発する不断の愛なのだとわかります。
長いこと心がひしゃげていたからこそ、
いま、
心が強くなったことのありがたみがわかります。

思い出す

>これからどうしたらいいんだろう?
に、
意識が向きすぎていると、
>いま、この瞬間は
>どうなっているんだろうか?

を、
観察するのが疎かになります。
きっとあなたも、
しょっちゅう忘れてますよね?
自分のありよう

です。
ほんとうは腹が立っているときに、
無理して寛大なふりをしてたりとか。
ほんとうはバカにしている上司なのに、
何年も尊敬しているふりをしつづけてるとか。
本来、
自分の心の中にあるべきではない感情が、
無意識のうちに入りこんでます。
泣きたいときに笑ってたりとか。
家族の団らんを大切にしたいのに、
友だちの飲み会に行ったりしてませんか?
ほんとうは眠くてしょうがないのに、
彼氏の愚痴に深夜までつきあってませんか?
自分の立ち位置っていうか、カタチっていうか、
心のポジション
ってものを、
見失ってはいませんか?
>だってわたしはかくかくしかじかな人間だから‥‥

だれに義務づけられたわけでもないのに、
人には長年の無意識なキャラクター(人柄)ってものがあります。
「いい人」だとか「思慮深い」とか「あねご肌」だとか
「おっちょこちょい」とか‥‥
>みんながそういうからワタシってたぶんそう
みたいなのがあると思うんですけど、
知らないあいだににしばられてしまうんです。
>尽くすタイプだねって、
>いっつも言われますぅ(*^_^*)

なんてね、
いつも言われてたら
自分ってきっとそういう性格なんだってことにしてしまう。
で、
そういう性格に応じた「役」を演じてしまう。
まわりの期待に合わせることが優先されてしまって、
自分本来の感じ方を
忘れる。
いつも前向きで朗らかな人気者──
なんて、
そんな最高のキャラクターを割り当てられたとしたら、
逆に要注意。
ま、たしかに、
うしろ向きより前向きのほうがいいに決まっている感じがするもんですから、
そう言われりゃなんとかいつも前を向いていようと努力します。
そこに、
想いをコントロールしようという意思がありますよね。
下に向いているものを上に向けてやろうという類のものなんですが、
「上」やら「下」やら、
「まえ」やら「うしろ」やら‥‥
それがもうすでに二元論に冒されている‥‥
その事実になかなか気づきません。
>毎日ニコニコして生きていたら、
>周囲の環境はぐんぐん好転するんだし、
>イライラも激減するんだから損することはないでしょ?

──これ、
なんの問題もないように見えますけどね。
でも
実はあるんです。
努めて明るく笑顔を振りまき続ける‥‥
ということに
知らずしらずのうちに執着してしまっているとしたら。
ほんとうは少し腹が立ちそうになっているにもかかわらず、
ニコニコする心がけに執着していると、
自分がその怒りに気づかずに通りすぎてしまう。
一種の抑圧が無意識に実行されているんです。
まさに、
あなた自身の無意識過剰につけこんだ
巧みなマインドコントロールといえるでしょう。
自分が企てた完全犯罪です‥‥L(・o・)」
ま、それはさておき、
そうやって気づかれなかったマイナスのエネルギーは、
成仏できずに延々と内側をさまよいながら蓄積していきます。
しばし立ち止まって、
向きあってあげたほうがよろしいです。
「上」「下」もなく「まえ」「うしろ」もない‥‥
そんな、ニュートラルな、
相対的ではない、位置。
いま、ここ
っていう
絶対的な位置にしっかりとどまる意識ですね。
自分の環境はしあわせなはずなのに、
なんだかしんどいなぁ~と感じてしまう人、
見失うループにはまりこんでいる恐れがありますからお気をつけあそばせね。
人気者なんか
やめちゃったほうがいいんですよ、
たまにはね。
他人が自分に勝手に貼りつけたラベルに気づきましょう。
ゾクチェンの教え(チベット仏教に伝わる教え)

ありがたいところは、
すべてをあるがままの状態に放置しておけばいい
という基本姿勢です。
自己を観察する意識

徹することができる。
あなたはふだん
自分の内面を観察する(離れて眺める)という意識になることが、
どれくらいありますか。
たとえあったとしても、
それより強く、
思考や感情を変えるほうに気を取られているということはありませんか。
あなたはほんとうに穏やかで心が丸いのか。
それとも、
まわりから人格者だと認められたくて、
怒りっぽい自分に嫌悪感を抱いているだけなのか。
そこをよく精査しましょう。
小さなことで腹を立てるなんてみっともない
と、
自分を抑えているのかもしれませんけど、
日常の生活現場では「怒らない」という姿勢で臨むよりも、
「怒りが消える」位置に自分がとどまる意識で対処するほうが健全です。
観察がしっかりできると、
「これ!」という手応えがあって、
それは実にスカッとした快感を伴っています。
怒りや嫉妬やその他のしつこい痛みをスッと消せる感触がつかめるんです。
そしてけっきょくのところ、
いちばん大切なのは「思い出すこと」という結論に至るんです。
アタマは怠けものです。
ある状態を保とうとしてもすぐ忘れるんです。
あまりにも忘れっぽくて「保つ」どころではないのです。
だからなんせ思い出すことなんです。
忘れたらまた思い出す。
なんべんでも。
思い出すべきテーマは変わっても、
思い出すことの大切さは変わりません。
とにかくはじめのうちは、
自己を観察することを思い出すようにします。
まず感謝しましょう。
はじめに愛。
溌剌とした積極心でいっぱいにする。
それが心のセットポジションです。
ゴルフではアドレスっていいますけどね、
自分なりの姿勢や足の位置をきちんと決めないと、
ベストショットは望めない。
一日の生き方だって同じですよ。
自分が承認したわけでもない汚い感情で、
心の中が曇っていないか。
そのチェックを忘れないこと。
できれば毎朝、
起きてすぐ、
他のことをいろいろするまえに、
観察する習慣をつけるとよいですよ。
自分の内側の想念‥‥というか、
もうひとりいる自分‥‥の観察です。
瞑想がベストですけど。
心の中に感謝がいっぱいになっていることを確認してから、
次のステップへ進みましょう。
それが朝の行になります。
ゾクチェンを少しかじって、
自己解脱のプロセスを
試してみませんか?
気を散らさずにリラックスした状態を保てるかどうか、
たとえ気が散ってしまったとしても、
混乱がひどくならないうちにまた戻ってこられるかどうか、
それは訓練しだい。
思い出すことさえできれば打つ手はあります。