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どんな会社にしたいのか?

あなたは経営者として、
けっきょくどっちに行きたいんですか?
と、
はじめにはっきり問い正したい。
それに答えられない経営者が
ごろごろいることに驚く。
もうちょいシャキッとせんかい!!
‥‥と言いたいが、
つい数年まえまでのわたしもそうだったもので‥‥。
・゚゚・(×_×)・゚゚・。
こんな会社にしたい
という想いと、
こんな自分になりたい
という想い、
かたや組織をつくる話、
もういっぽうは自分という個人の人格や人生の話。
じゃあこの2つは別ものだ~っ” “(/*^^*)/
‥‥と、
もし思われるなら、
ここから先は読んでいただいても意味がない。
・゚゚・(×_×)・゚゚・。
さらばじゃ!
・゚゚・(×_×)・゚゚・。
わたしの話はすべからく
想いは現実化している
という前提に立っていますので、
組織だろうと個人だろうと
あるいは社会全体であろうと、
現実を変えたいときの手順は同じなんです。
そこ、
なんとか無理やりにでもそんなもんだと腹に入れていただいて、
ついてきていただきたいんですね。
「7つの習慣」をお読みになった方は、
私的成功が必ず公的成功に先立つという順序があることをすでにごぞんじでしょう。
たしかにプロセスはそうなんです。
会社経営(公的成功)経営者個人の人生経営(私的成功)を前提にしています。
その逆はありません。
私的成功公的成功とは2つの別々の課題なんですが、
取り組みのステップは同じ
はたらいている法則は同じ。
と、
まぁ、そういうことにしといたほうが、
日々の意思決定もシンプルになりますのでね。
道理から言いますと、
自分の「こんな自分になりたい」「こんな生き方がしたい」

現実化していないと感じるあなたが社長なら、
あなたの「こんな会社にしたい」が現実化する日はなかなかやってこないのです。
想いが現実化する
っていうのは真理ですが、
もっと表現を厳密に、真理に即して申しますと、
想いは現実化している
のです。
す、で、に、
already.
です。
これを日常会話風に言いますと、
>あんたらがそんなふうに考えとるから、
>この会社がこんなふうになってますんやで。


なる。
会社という組織では、
その構成員の複数の想念の入り混じった総和が、
現実をつくっています。
Aさんのあんな想いもBさんのこんな想いも、
すべて取り混ぜてつくられるのが組織です。
弱い想いが強い想いに抱きこまれてしまうことがあります。
右に向かおうとする想いが左に向かおうとする想いと相殺されてしまうこともあります。
だから組織の場合は、
ベクトルを合わせる意図が重要になりますし、
ひとりひとりの想いは小さくても、
同じベクトルを持つ想いが束になったらミラクルだって起きるんです。
リーダーシップを発揮したいなら、
ベクトルを合わせる方向へ誰よりも強い想念を注ぎこむべきです。
願望は紙に書いたら叶う
っていう
定説がありますでしょ?
これ、信じますか?
紙に書くだけじゃなしに、
絵に描いたり写真を貼っつけたりして、
具体的なイメージを潜在意識に刷りこむようにすると叶う率が上がる。
インプリンティングってやつですね。
それを組織的にやりましょうというのが、
いちばんがんばった社員を年間MVPとして表彰することであったり、
朝礼でお互いにハイタッチして拍手してハグして盛りあがることであったり、
夢スピーチを発表することであったりするわけです。
しかしいずれにせよ、
想いは現実化しているという真理を受け入れていなければ、
想念が招いている必然の結果として生じている枝葉末節の問題を、
現場の怠慢による不具合のようにとらえてしまい、
これはどうしたらいいのか、こっちはどうするつもりだ、あれは、それは、と、
対症療法的モグラたたきに日常のルーチンワークが終始してしまうことになります。
問題は急いで解決しようとしない姿勢によって、
本質的な原因が取り除かれ、
やがてけっきょく早期に問題が解決されていくパラドックスについてはすでに述べました。
これが腑に落ちると、
そこのところの真理を社員さんたちと共有せずにはいられなくなるはずです。
あなたのまわりの愛する人たちすべてと共有したくなります。
真理じゃないものに振りまわされて苦しんでいる人を見ているのはしんどいからですね。
できることなら救ってあげたくなるのが人の常。
ぜひぜひ、
経営指針書のPDCAサイクルを通して、
社員さんたちと
願望実現の喜びを共有しましょう(^▽^)/
で、
はじめに戻りまして、
ここから先がわたしのお仕事でもあるわけなんですが、
あなたは経営者として、
けっきょくどっちに行きたいんですか?
と、
はじめにはっきり問い正したい。
ほんとうは自分(自社)は何がしたいのかわからない社長、
多いんです、実際のとこ。
世話が焼ける‥‥というか、
だからこそそれが仕事として成り立つんだとも言えますが。
わたしたちが最初にお仕事を依頼される際、
とっかかりの問題は「とにかく売上をどうにか‥‥」であったりするんですが、
相談内容に関係なく、
どうもマインドが曇っているというか、
人間がシャンとしてないというか、
経営をどうこうするという手前で黄色信号が点滅している‥‥(ё_ё)?
ように見えてしかたがない。
せめて北に向かっているのか南に向かっているのか
そのくらいはハッキリ言えないとね。
あなたについていく社員さんも不安でしょうがないでしょうね。
ま、中には、
>オレがこの世話の焼ける社長を引っぱってんだ!
っていうね、
涙ぐましい社員さんがおられる会社もありましょうけどもね。
(ё_ё)
あなたがいま
東京駅にいたとしましょう。
>オレはこれから博多へ行く電車に乗るぞ。

宣言してください。
社員のほうだって実は、
自分がどこに行きたいかわかっている人は少数派
なんです。
なんとなく道中が楽しけりゃいい
っていう人が多いんですけど、
それは会社が博多のすばらしさを教えないからですね。
>博多はいいぞぉ!
>都会なのに海も山もある。
>食べるもんだってな、
>水炊きとかもつ鍋とか、うまいもんばっかりなんだぞ。
>中洲の屋台でトンコツとか、最高だぞ。
>だからオレの会社は博多へ行く!

と。
それをはっきり成文化して信を問うのが経営指針書です。
だったら
北へ行きたい社員は辞めますから。
博多に行きたいかどうかははっきりわからないけれど、
なんとなく自分も南に行きたい‥‥
っていう程度の社員は残ります。
広島へ行きたい人は途中までついてくるでしょう。
若い連中は自分がどこに行きたいかほとんどわかってません。
人生経験が少ないんですから実感としてわかりっこない。
しかしそんな社員でも
>おい、
>東京から博多へ新幹線で直行するのも味気ないからよ、
>紀伊半島をまわって行くってのはどうだろうな。
>ほんで、
>和歌山でクエ鍋ってもんを食っていこうじゃないか!

って
ズバッと問われたら考えるんです。
どうせこの先どうなるかよくわからない人生なんだから、
将来のことはクエ鍋だけでも食ってから考えようか‥‥

となる。
いいんです、
それで。
クエ鍋を食べて人生が変わるかもしれない。
あなたの会社で働くことのすばらしさに目覚めるかもしれない。
オレは博多へ行く。
とにかく南へ向かう。
その理由はここに書いてある。
おまえたちはどうなんだ?
どっちへ行きたいんだ?
だったら同じ方向じゃないか。
そっちまわってから博多へ行ってもまにあわないってわけじゃない。
いっしょに行ったらどっちもハッピーじゃないか!!

と、
経営指針書にはそんな役割があるんです。
まとめますと──
紙に書いてあろうがなかろうが、
想念は現実化しています。
個人でも組織でもそれは同じです。
あなたがたが心に描いたものがすでに現実化しています。
意識して描かなければ、
無意識に描いてしまった不景気な絵が現実化してしまうだけのことです。
ぼんやり無意識に見すごしてしまうのはもったいないし、
危険です。
だから紙に書く。
自分ひとりのことじゃなしに組織全体でそれをやる。
経営指針書にはそんな役割があるんです。
この「念の世界」でできあがるという事件は、
すでに永劫の昔からできあがっていて、
もうちょっとも変えることができないものであるかといいますと、
決してそうではないのであります。
「念の世界」でできあがる事件も、
宇宙に満ちているいろいろの生物の心の働きの組み合わせにしたがって、
時々刻々作られてゆくのであります。
大きなあらすじの事件は、
多くの「念」の働きを成立要素としてこまかい事件よりも早く、
いわばむしろ、
多数の「念」の多数決で決まってゆくのでありますが、
それとて「進行中」のものであって、
できあがってしまったものではありませんから、
ある事件を起こしている「念の要素」の変化によって、
またその事件は変わってゆくのであります。
谷口雅春「生命の實相」より

(※この文章の「念」には 「こころ」とルビが振ってあります。)
社長の開眼


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