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親の反対で内定辞退とは──新卒採用6年めの座礁

この感じは、
挫折とはいわないかな。
座礁だな。
折れてないけど、
持って行き場のないカラまわり感。
2017年度新卒の、
採用計画が行き詰まってしまいました。
いったんは内定を出し、
めでたく決着したかに思えたのですが、
しかし結果から申しあげますと、
内定辞退
です。
原因は‥‥、
まぁ、
いくつかの要因がからんでいるとはいえ、
親の反対

引き金になったといっていいでしょう。
面接のときから
>大企業か公務員じゃないとだめ
っていう
わかりやすい価値観の母親だってことは聞いてたんですけど、
ま、
そんなんはよくある話と思ってスルーしてたんですが、
いよいよ内定承諾書を提出してもらう日の朝になって、
>中小企業でも安定したところじゃないとだめ。
>そんな会社に入るくらいならニートしなさい。
>インフルエンザにかかったことにして
>今日は行くのやめなさい。

と、
当社のホームページをチェックした上で
そこまで露骨に嫌悪されてるということで、
会社全体がブルーな気分に。
ま、
とりつく島もなく全否定されたってとこですね。
どうにも言葉にならない、
どんより曇った気分になってしまったんですが、
それでも本人はウチに来たいってはっきり意思表示している以上、
内定が覆ることはないと思ってました。
ところが
さらに後日‥‥
このサイトへまめに来ていただいている方は、
わたしが採用内定のたびに
学生の両親にあいさつに行くってのはごぞんじでしょうけど、
こんなにはっきり拒絶された相手と顔を合わすのはもちろんイヤです。
ぜんぜん気が進みませんでしたが、
直に会って話せば何か局面が変わるかもしれないし、
やると決めた儀式ですからやるのが筋。
そしたら案の定、
こんどはあちらのお父さんが、
>あいさつには来るな

おっしゃったってことで、
一部上場企業にお勤めの立派な方らしいんですけど。
ま、
両親そろってわかりやすい価値観のご家庭だったんですよね。
(ついでに、
お姉さんにも反対されてるってことでしたが。)

(ё_ё)
凹む

表現するのは適切ではないのですが、
他に
あのときの自分の感情をあらわす言葉が見つかりません。
腹が立ったという感じでもなく、
むしろ呆れたというか面食らったというか、
なんか、
船酔いしたような‥‥
ネチョっとした気持ち悪さで‥‥
吐きそう
でした。
まわりの先輩経営者に相談すると、
ほぼ100%
>親がつべこべ口出しするパターンはろくなことないぞ。
>入社してからもゼッタイもめる。
>やめとけそんなヤツ


大合唱。
日毎に採用モチベーションは下がっていったわけなんですが、
しかし、
このたったひとりの内定にこぎつけるまで、
どんだけ長い道のりだったか。
3月に1回めの企業説明会、
2回めは5月、
成果のよく見えない大学訪問。
面接の申し込みは例年どおりの賑わいでしたが、
とにかく今年は辞退が多かった。
一次を通過して二次、三次と進んだ学生も、
大手企業から内定がバンバン出てるらしく、
辞退、辞退、辞退。
また辞退。
面接辞退の嵐
でした。
大手の採用意欲が旺盛なおかげで、
学生は完全に売り手市場で強気です。
当社の理想的なスケジュールとしては、
6月末までに採用内定し、
7月初旬に実施する一泊研修にいっしょに参加してもらいたかったんですが、
ひとり、またひとり、
と、
内定候補が消えていく虚しさ。
たったひとりの採用枠を埋めるため、
ほんとうに長くて痛い失恋レースを経て、
ようやく彼の内定にたどりついたのは9月1日。
それを、
両親が猛反対してるからという理由で、
あきらめてしまえるのか。
と、
そんなタイミングで、
昨年4月に新卒で採った女子が辞表を出してきました。
わたしは即答で
>あ、そ。
>OKですよ。

そういやぁこの彼女の親も、
なんかしらんけど怒ってるそうなんですよ。
会社でこんなこと言われて、
こんなとこ行かされてって、
わりとまめに親に報告するタイプでして。
もちろん本人も不満爆発で真っ赤な顔して怒ってましたけど、
どうぞどうぞ、
暴言と指摘された部分については認めて謝罪はしましたが、
そこが理由ならいますぐにでもお辞めくだされ。
あー、
そういやぁ5年前に初めて新卒で採った女子も、
1年ちょっとで辞めちゃいましたが、
お母さんがどう言ってるお父さんにはこんなこと言われた、
ついでに、
彼氏にはこう言われたっていうおまけまでついてましたねぇ。
吐きそうな気分の源はそこかな。
>親が、親が、親が‥‥
──ま、
親は大切にしてください。
みなさんをここまで立派に育ててくれた大切な親ですもんね、
老後の面倒もちゃんとみてあげましょうよね。
仕事がしんどいとき、
人生に迷ったとき、
自分のことをいちばん心配してくれてる親に相談する。
これ大事。
ストレスに耐えてメンタル壊れるくらいなら、
そのまえにさっさと辞表を出す。
これも大事。
ベクトルが合わないってことがわかったら、
そこでゲームオーバー。
(ё_ё)
なんなんですかなぁ~新卒採用。
来年4月にはもうひとり増えるはずが、
逆にマイナス1とは‥‥
ね。
まだ10月なんですから、
半年近く残っているんですから、
いまからでもがんばったらまだまにあうのかもしれませんけど‥‥
なんか、
スッと冷めてしまいました。
>そこまで新卒にこだわることもないか。
>ええかもう、
>中途採用でもなんでも‥‥

みたいな、
投げやりな。
育つ環境も整ってないところに、
右も左もわからん社会人1年生をほりこんでも、
お互い不幸なだけですやん。
本質的なところで、
会社の魅力が上がってないなら、
やっぱり学生は見向きもしてくれないわけで。
いやまぁ、でも、
親が、親が、親が‥‥
っていうのは
新卒も中途も関係ないか。
(ё_ё)
子どもの人生に、
どこまで干渉するか。
あからさまな干渉は子どもの側で拒絶したとしても、
すりこまれてしまった価値観はなかなか抜けない。
いくつになっても、
たとえ離れて生活していても、
リモートコントロールで言いなりになってるタイプもいる。
わたしだって‥‥
きっと子どものキャリアに口を出すことになるんでしょうね。
大企業と公務員は
ぜったいあかんぞ!

って
横ヤリ入れてしまいそうですr(^ω^*)))
計画的定期的新卒採用
仕切り直しの巻でした。

倒産寸前の会社の再建を請け負った件

きっかけは、
内村社長(仮名)の入院でした。
まだ40代前半でバリバリの働き盛りなのですが、
数年前から慢性の腎臓病で無理がきかなくなり、
ついに今回は急性腎不全ということで、
一時的とはいえ経営実務ができなくなってしまいました。
零細企業は社長がすべてみたいなとこありますから、
社長がダウンすることがイコール、
倒産へのカウントダウンです。
それはちょうどわたしが、
アンパンマンの目線で飛んでみようか

言った矢先の出来事でしたので、
助けるか見殺しかっていうことになると、
そこはやっぱりなんとかしてやらんとなっていう義侠心が優勢に。
しかし──
実績が思わしくないのは知っていました。
ウチの会社が間接業務代行の仕事をさせてもらってたので、
誰よりも先に経理内容を知りうる立場だったんです。
取締役営業部長として販売促進面を仕切っていた奥さんと、
資金繰り面でのトラブルが原因で3年前に離婚。
そこから歯車が狂いはじめます。
いつのまにか債務超過に転落してましたし、
自宅を売った現金も支払いに消えて残りわずか。
残った従業員5名に払う給料もまもなく底を突く見込みで、
1人がすでに辞意を伝えてきています。
お見舞いに行って話を聞いたときの内村社長は、
腎臓以外の臓器にも腫瘍や潰瘍が見つかって、
もはや心身共にボロボロの様子でした。
離婚したときに引き取った息子は5歳。
北海道の離島出身のため近くに身より頼りがありませんから、
入院だからといって息子を預けるところもありません。
退院しても生活費もない。
助けてやるぞと、
口で言うのは簡単なんでしょうけども、
電気代も水道代も払えないなんて、
わたしはそこまで追い詰められた悲惨な現実に直面したことがない。
よその会社の経営の心配ができるくらい、
自分のところに余裕があるのか。
クソ真剣に考えないと。
しかし目の前の内村社長はわたしを慕ってくれて頼り切っている。
わたしが事業を引き継ぐのがいちばん安心で嬉しいと言ってる。
自分の顔をちぎって食べさせて‥‥っていう、
アンパンマンの話が頭に去来します。
お見舞いに行ったのが4月27日のことですから、
アンパンマンの投稿から2週間もたってないのです。
あんなこと書かなきゃよかった‥‥のか?
いや、
ちがうな。
自分もこんなふうに、
助けられる相手がいたら助けるぞ

決めたからこんな現実が来た。
きっとそういう順序。
自分の発したメッセージが、
ダイレクトに自分に返ってきた例は過去にもあったけど、
こんな速球が飛んできたのは初めてかも。
想ったことが現実化するスピードは、
だんだん速くなるんだっていう話をたびたび耳にします。
やっぱりほんとうだったか。
とにかく「やれ!」ってことらしいんで、
超特急で救済スキームを考えました。
内村社長がわたしに提示した条件は──
  • 2つのショップはいまの場所で営業を継続してほしい
  • 店舗名は変えずにブランドを守ってほしい
  • 客単価は下げずに高級路線を維持してほしい
  • 会社はどうなってもいい
  • ついてくる社員の雇用は継続してほしい
  • 自分と息子の生活費として月30万円を確保してほしい(それ以上は望まない)

あの‥‥この逼迫した状況で、
公的資金が投入されるわけじゃあるまいし、
それってけっこうあつかましいんじゃないのって気がするんですけど。
>調子に乗んなボケ!
って、
喉まで出かかったセリフをグッと飲みこんで、
クールな目でこれらの要求を眺めてみると、
内村社長が、
過去の成功体験に縛られて変わることを恐れたがゆえに、
環境適応のタイミングを逸したのではと推察できます。
これっていわゆる、
ゆでがえる現象
じゃないの?
「ゆでガエル現象」とは、変革によるスピーディな環境適応の重要性を指摘するために用いられるビジネス警句のひとつ。水を入れた鍋にカエルを入れ、鍋をゆっくりと温めていくと、居心地の良くなったカエルは、のんびり湯に浸かったまま。いつのまにか湯が沸騰するころにはゆであがって死んでしまう。一方、はじめから高温の湯に放りこまれたカエルは、驚いてバタバタと暴れ、必死で飛び出そうとするので命は助かるというもの。企業でも個人でも、自身の置かれた環境の変化を素早くキャッチするセンサーが重要であり、また、変化に対してすばやく行動を起こす勇気が必要だと教えられる。

(ё_ё)
わたしひとりではとてもコワくて再建に自信はもてなかったけど、
もう1社、
ミズイ工業の水井社長(仮名)が手を貸してくれることになりました。
みんな非力な零細。
2億や3億のカネ、
持て余してる人も世の中にはごろごろいるんでしょうけども、
なかなかそんな人が目の前に都合よくあらわれてくれたりはしないもんなんでしょう。
ニュースで見る経営再建は、
何百億、何千億の規模ですけども、
いま目の前にある経営再建は数百万円単位。
1千万もあれば楽勝で立て直せるのにネって話。
助けるほうも助けられるほうも零細で私生活直結。
でも、
2社で1社を救う絵面ならなんとかやれるかも。
それからもうひとつ忘れてはいけないのが、
体育会系でフットワークの軽い税理士法人の存在。
弁護士でも社会保険労務士でも、
型にはまったステレオタイプの先生方は、
いざというときにも公務員みたいに
決まりきったことしかしてくれませんね。
サムライ業というわりにはぜんぜん侍じゃない。
その点わたしは、
野武士のような気骨あふれる税理士に恵まれてラッキー。
債権者との交渉をわたしがやってたら、
場外乱闘で血の雨が降りやまないでしょうけども、
ぜーんぶ引き受けて丸くおさめてくれてます。
けっして、
うまいことやって儲けよう
なんて、
甘い見通しの立てられる状況ではありません。
気合いだけでキャッシュが降ってくるもんなら、
なんぼでも祈りますがな。
一歩まちがうと、
こっちも大やけどする恐れがあります。
それにこれは、
めったやたらと途中で投げ出せない。
片足を突っこむという言い方がありますが、
そんなハンパな感じではない。
ドラマでよくある事業再生ストーリーは‥‥
赤字まみれの会社を破産させて借金を踏み倒し、
事業だけ別会社に譲渡して‥‥ってやつ。
しかし現状では、
事業譲渡を受けて継続したところで商品が売れてないんだから即赤字。
内村社長には自己破産の手続きを進めるお金すらない。
とはいえ、
いますぐ何か手を打たなければ、
人件費や家賃をはじめとする固定費が出て行く一方で、
座してむざむざ死を待つだけになってしまう。
仕入先、外注先から届いた払えるアテのない請求書が山のようにあり、
いよいよ今週末に払う給料も大幅に足りないことも判明。
それでも事業を継続するとしたら、
やっぱりどっかで別会社が必要よね?
だとしたら、
ぜんぜんストーリーはできてないけど、
もしかしたらいらんかもしれんけど、
受け皿となる新法人の設立は、
5月10日
に!
わたしはゲンをかつぐタイプですから。
日付にはこだわります。
5月10日なら長女の誕生日なので、
もうこれ以上にゲンのいい日はありません。
思い立ったのがゴールデンウイーク中でしたので、
子会社設立の手続きはわずか3営業日で片づけました。
新法人の代表取締役をお願いした水井さんと、
連休中も休みなく、
夜遅くまでスカイプで打ち合わせして、
LINEでメッセージ交換して‥‥
とにかく内村社長の息子の信太郎くん(仮名)に、
もうこれ以上つらい思いをさせないことを最優先にしようと申し合わせました。
内村社長は退院できるような容体ではないのですが、
信太郎くんの世話がありますので、
ドクターから外出許可を得て自宅に戻り、
最低限の育児をこなしつつ安静にしつつ、
仕入先や銀行にかたっぱしから電話して、
支払いを待ってもらえるようにひたすら頭を下げてます。
いま、
わたしに何ができるか。

──思考はそこに集中していますが、
さすがにこの短期間では何も妙案は浮かびません。
当面の運転資金を立て替えることくらいしか‥‥。
どうなるんでしょうか、
この経営再建は。
勝算はありませんが、
決してイチビって引き受けたわけでもない。
多少の痛手を負うことになったとしても、
そこは流れ弾に当たったようなもんだと割り切って全力レスキューしましょう。
リスタートの日、
外は雨が降ってます。
ツイッターはじめました。
(経営再建とはなんの関係もないですが。)
わたしは守られた存在。
ぜったいにだいじょうぶ。
うまくいく。

競争と勝ち負け

人に×をつける作業なんて、
できることならしたくないもんです。
つけられるのはもっといやですよね。
いやじゃないのかな?
人って、
評価されるのっていやだけど、
でもやっぱり評価されたい気持ちもたっぷりあって、
けっきょくSなんだかMなんだか。
人事評価とは、
ある面では採点であり、
待遇の良し悪しは数値であらわされます。
評価から相対的な尺度をなくすことは不可能で、
そこには厳然と比較が生まれ、
比較される側は否応なく競争に巻きこまれます。
競争

勝ち負け

意識しない日常になってから、
もうずいぶん長い年月が経ちました。
評価されることから無縁の生活だといっていいと思います。
あなたは、
いっぱいをもらってる人ですか?
×をつけられてもわりと平気なほうですか?
どのくらい凹みます?
エニアグラムの性格分類でタイプ8番

圧倒的に優勢なわたしは、
自分の運命は自分で決めたい。
他人に評価されて、
あっち行けこっち行けと指示されたくない。
×をつけられるのが、
よっぽどいやだったんでしょうね。
いまでもいやなんでしょうけども‥‥
勝ったら良くて負けたらダメ
という尺度を持ちこまないように心がけていたら、
何年か経つうちに、
やら×やらをつけられることがなくなりました。
現実問題としては、
他人の評価や社会の評価は免れるべくもなく、
自分あるは自社がだいたいどんな評価を受けているかは知ってますけども、
そこに煩わされることがなくなったということです。
商売で競争といえばまず浮かぶのは価格競争ですけども、
類似サービスの価格が下がればもちろん影響はあります。
でもウチは、
もともとウチにしかないオリジナルなサービスだけを提供している
っていう自負がありますので、
感覚としては競争ではありません。
よそが下げるからウチも下げる‥‥じゃなく、
下げられる環境だから下げる。
そのほうが喜んでもらえるんなら、
ウチが損しないところまでは下げる。
だいたい、
手の内を読む
なんてことが、
ハナっから下手クソなもので‥‥、
よそがどんな戦略でどんな特長のある商品をいくらで販売してるかなんて、
実はあんまり知りません。
業界の研究もなしに、
我流で組み上げたひとつのビジネスモデルを一貫して引っぱって、
ファイナンシャルな意味ではたいした危機もなく、
それどころか健全きわまりない事業展開を続けております。
シェアを伸ばしたほうが勝ちで、
低いほうが負け、
なんていう尺度も頭にない。
だ、か、ら、と、いって、
ですよ、
だからといってわたしが競争そのものに否定的かというと、
ぜんぜんそんなことはありません。
殴り合いで勝負するなら、
血まみれになろうが歯が折れようが、
どっちかが泡吹いて降参するまで徹底的にやれや、
と、
そこまで思うくらい、
闘争そのものには抵抗ありません。
実際のわたしは、
そもそも腕っぷしが強くないので、
殴りあいなんかしませんが、
たとえばディベートを殴りあいに置き換えるとしたらそんなイメージです。
ただ、
いまのところ誰とも闘う必要がないので、
長らく闘ってませんし、
できれば仮に挑発されたとしてもそれには引っかからず、
このまま争いのない静かな日常を送りたいと願っています。
無用な対立軸をつくるのは御免ですが、
だからといって、
競争に背を向けるという姿勢でもない。
かわす
のと
逃げる
のは
ちゃいますやんね。
わたしは、
うまいことかわしているんだと思いたいな。
(ё_ё)
戦争は絶対あかんと思てます。
闘いたくない者を巻きこむ闘いは全否定。
やりたいヤツが勝手にやんなさいって感じ。
闘いたい者(あくまで個人)は闘いたい者どうし、
まわりに迷惑がかからないように気を遣いながら、
騒音も悪臭も出さずに気の済むまでつぶしあいをどうぞ。
さあ‥‥
そんなわたしが社長という立場で、
会社という組織には競争原理を持ちこむのか‥‥?
社員Aと社員Bを比較して、
優劣をつけるのか。
つまり社員を闘いに巻きこむのか‥‥?
そこんとこ、
ちょっと整理が必要になりますね。
そうじゃなきゃ、
社員一律みんなに同じ給料を払うんかい?
大きめの組織の人事部に所属されているあなたなら、
マニュアルにしたがって、
社員の行動を採点していくだけかもしれない。
それだって1日じゅう見張ってられるわけじゃなし、
採点された側の社員には相当な不満がたまってしまうはずですよね。
めんどくさいです。
商品開発なんかより人事のほうが何倍もめんどくさい、
つーか、
いちばんめんどくさいっ!
大事なことって、
なんでもめんどくさいもんですなぁ~ε=( ̄。 ̄;)
心の修養が進んで、
勝ち負けに執着しなくてよくなるまでは、
ギシギシ競争したらいいと思いますよ。
勝負をとおして、
執着

何たるかを学べばいいんじゃないでしょうか。
負けたらいちいち心が折れるへにゃへにゃの自分なんて、
好きになれるんですか?
社会人1年生の新入社員によく、
>若いうちはどんどん失敗してください
って
言いますよね。
失敗を恐れず行動しろっていうニュアンスなんですけども、
ところが現実に失敗すると上司に叱られます。
>失敗しろっていうからしただけなのに、
>ひどいじゃないの。
>怒るくらいならはじめから失敗しろなって言わなきゃいいのよ。

と、
若ゾウがプンプン丸なのもわからんでもないですが、
要するに大切なのは、
心の強さ
なのだよね。
負けたらしっかり悔しがってほしい。
そこで折れるなとは言わないし、
人前でめそめそ泣いたってかまわないと思う。
負けても笑顔で‥‥っていう風潮も、
それはそれでけっこうでしょうけど、
昭和なオヤジのメンタルにはどうもフィットしません。
勝っても負けてもどっちでもいい‥‥なんて、
もう論外。
勝負するからには勝ちにいけよ。
わたしが言いたいのはそうじゃなくて、
‥‥なんやろか、
全力で闘って負けて、
負けたら悔しいのがあたりまえやけども、
その悔しい感情に引きずられないようにってこと。
きちんとリカバーできればいい。
いちどはボッキリ折れたとしても、
その消沈した気持ちを長引かせず、
一晩か二晩か、
ことによっては一週間か‥‥で吹っ切ったらいい。
勝負して負ける事象が現実生活からなくなることはないでしょうけど、
競争と無縁であるということの意味は、
厳密にいうと、
勝ったり負けたりの結果に
いっさいわずらわされないということです。
そのためにもふだんから、
勝つことが良いことで、
負けることが悪いことだというような価値観は捨てる。

良いも悪いもないと思ってしまえばほんとうに良くも悪くもないことなのに、
そこにいちいち神経を振りまわされてあたふたしている人がどんだけ多いか。
なまなましい話をすると、
給料が高いから必ずしも良いわけじゃないいし、
安月給がイコール負けじゃない。
──あなたはだいじょうぶですか?
この問題、
教育現場ではもっとややこしそうですね。
ウチにも小学生の娘と息子がいますから、
他人事ではないんですけどもな。
とにかく
子どもが傷つく場面をつくらないための配慮をすごく感じる。
配慮っていうか‥‥事なかれ主義っていうか、
子どものためというより自分たちが親に叱られないためっぽいですけど。
競争させない教育
なんて‥‥
ナンセンスだと思いますけど、
小学校じゃしょうがないのかな?
負けることはダメなことじゃない、
勝ったり負けたりすることで人の優劣は決まらないし、
比べることも悪ではない──
なんて、
子どもには理解できませんもんね。
心の傷に対して
生まれつき抵抗力のある子どももいれば、
からっきし免疫がなくて、
一撃でトラウマになってしまいそうな子もいる。
子どもは心を守る術がないのだし、
そっちを先に教えようという順序になってないし、
教えたとしても実践して身につかなければ元も子もない。
いちおうわが家でも、
自分の息子にここらへんのことを伝えようとするんだけれども、
うまい伝え方はまだ見つかりません。
子どもにとっては試験が勝負。
得点が低かったとき、
>気にするな
っていうのも変だし、
>それだけ取れたらじゅうぶんや
っていうのもウソっぽい。
>頭を使う仕事に向いてないってわかってよかったやんか
って励ますのもおかしいし。
自分だけの大切なものが早く見つかったらええよな
っていう想いはほんとう。
社員には、
自分の強みと弱みを徹底的に深彫りしなさいと言ってます。
他人と比べられて採点された結果は、
そのためのヒントです。
評価の結果にはとらわれず、
勝ったも負けたもなく、
自分の強みにこだわってベストな仕事を粛々と。
つまらない競争に心が巻きこまないようにしながら、
いちばん喜んでもらえることにフォーカスする。
わかるまでは巻きこまれるんでしょうけどね、
きっと。
すべては学びですよね。

松下幸之助なんか目指すな

人間の道は排除の道ではない。お互いにタライのなかに相集うて暮らしているのである。押しやっても押しやれるものではない。だからいたずらにもがきあがくよりも、寄りそうもよし、寄りそわざるもよし、これも何かの縁と心を定めて、あるがままを承認し、あるがままに受け入れるほかない。そこにおのずから調和が生まれ、自他共に生きる道が、ムリなくひらけてくるのであろう。松下幸之助「続・道を開く」より

ウザいとかキライだとか許せねえとかいって、
人を避けたりシカトしたりイジメたり、
そういうの、
弱い人間のすることですよ。
みんなのこと好きにならなきゃね、
いけないのかもしれませんよ。
愛は無条件に。
だから、
人を選別するなんて、
そんな意識は捨てなきゃいけないもんなんです。
‥‥なんて、
宗教家じみたことを耳にすることがありますけど、
しかしそういうのはすべて、
あなたが未熟じゃなければ‥‥

話です。
嫌われる勇気が必要なのと同じように、
あなたにも、
そしてわたしにも、
人を嫌う勇気が必要だ。
いくつかの人間関係を、
切り落とす勇気です。
自分の成熟度と、
よく相談してくださいな。
無理は禁物。
部下をつぶすようなことをしたら、
もちろんリーダーとしては失格。
でもそれがあなたの、
いまの器のサイズだとしたら、
それもやむをえない。
リーダーなんか辞めちゃいなってことです。
相手がたとえ親であろうと子であろうと兄弟であろうと、
かつて愛しあった配偶者であろうと、
バッサリ斬って捨てる勇気をもってください。
自分のサイキを守るのが先だ
と、
わたしはアドバイスしたい。
あなたの心はまだ入門編でうろちょろしてる。
せいぜい初級か中級の下のレベルなんです。
上級の人がここに来たりしませんから。
介護に疲れたといって親を殺したり、
いじめられていることを黙ったまま自分を殺したり、
そこまで追いつめられるまえに、
早く逃げてください。
逃げるのは弱い人間の特権ですから、
きれいごと言ってる場合じゃないんですから、
生き死にのかかった話になるまえに、
あっかんべーして逃げましょう。
親は大切にしないといけないとか、
子どもには愛情を注ぐのはあたりまえとか、
動物としての本能だとか、
そんなのウソですから。
一般的な遺伝子を備えて生まれてきた人ばっかりじゃないんですから。
大多数の生き物がそうしているからといって、
それを相対的な尺度で正常と呼んでるだけですから。
朗らかに生き延びることが最優先なので、
義務も責任も放棄して逃げましょう。
リーダーになったからにはチームの面倒をみなくちゃいけません。
それがしんどいなら辞退するんです。
心がつぶれるほどキツいなら、
ゆがんでしまうまえに逃げましょう。
自分のカタチを守りましょう。
心が進級してからまた、
のこのこ戻ってきたらいいんです。
謝っても済まないかもしれませんけど、
いじめがエスカレートするだけかもしれませんけど、
ずっと恨まれ続けるかもしれませんけど、
当時はキャパを越えていたんだからしょうがないじゃないですか。
けっきょくのところ、
オレもあんたも生きてるだけで誰かに迷惑をかけてる
やっかい者にちがいない。
だったら何がいちばん迷惑にならないマシな選択か、
それを考えて立ち去ろう。
あんたなんかいないほうがマシってこと。
いなきゃ他の誰かが代わりにやらなきゃしょうがなくなって、
きっと公務員かどっかのいい人がやってくれる。
もうちょい喜ばれる場所を探して
移住しよう。
今日のわたしのアドバイスは、
すごくネガティブかもしれないけど、
それでもやっぱりこれで救われる人もいると信じる。
他の人に言ったことと正反対のことを、
あなたには言うかもしれない。
それはあなたの成熟度で変わる。
あなたがいま置かれているフェイズで変わる。
成長したいなら、
積極性を養いたいというのなら、
なるべく明るくて前向きな人たちとつきあったほうがいい。
自分と同じレベルの、
消極的な人たちとつるんでちゃいけない。
それはそのとおり。
でももし心が上級なら、
どんなに心が汚いやつを受け入れても平気でいられるのがほんとう。
清濁をあわせ呑む
ってことが
できるようになってるのがほんとう。
わかるけど、
それは中級コース以下のカリキュラムじゃない。
未熟者には無理なんだ。
泳ぎの練習を、
溺れ死ぬまでつづけるな。

へこたれて笑われる勇気をもとう。
笑われたら怒ろう。
休ませてくれと、
悔し泣きしながら頼め。
いっしょに頼んでやるから、
もう休め。
ネガティブな言い訳を並べるようだけど、
いまはそれでもいい。
挑戦をやめないで、
必ずまたしぶとく再開するんだからいい。
バーンと来たやつをサッとかわす。
ドーンと当たってくるやつをヒョイとよける。
わたしたちはその修行の途中です。
サッとかわせなくて当たってしまったら傷を負う、
ヒョイとよけきれなくて擦ってしまっただけで血が止まらない。
それが未熟者の悲しさ。
矛盾したことを言うようですが、
やり損なってばかりでヘトヘトになったなら、
いっぺん休んでください。
笑ったやつにはキレてください。
いきなり飛び級を狙うほうが
身のほど知らずだってことなんです。
欲張って上級へ進もうとせず、
基礎からやり直してください。
市長をやってるあいだは、
すごく市民に慕われて評価が高かったのに、
知事になったとたん議会のいいなりで何もできない政治家っているでしょ。
係長のときはよかったけど、
部長になってからは明らかにオーバーロードとかね。
┐(-。-;)┌
キクゾウさんのえらいとこは、
ちゃんと自分の器をわきまえてるってこと。
立ち位置を心得てる。
課題別に、
自分はいま初級だとか中級の上のほうだとか判別して、
イチビって背伸びしない。
マラソンも、
折りかえし地点と30キロ越えてからじゃあペース配分がちがうように、
いつでも全力を出し切りゃいいってもんじゃありません。
あなたが読んでいる人生教本には、
聖人君子になれと書いてありますか。
なりたいならなれるかもしれませんけど、
どうせ一足飛びにはなれません。
わたしは、
自分が聖人君子じゃないことを喜んでいるし、
そんなもんにはなりたくもない。
ナンバーワンも目指してない。
だからこの歳になってもこの程度の体たらくなんだよ
って
笑っていただいてけっこう。
でもわたしは何もあきらめてない。
一旦停止したらまたアクセル踏んでる。
だから大してスタミナないのにしぶとく完走できる。
わずかでも自分がもっと役に立てる場所が他にあるから、
そっちに行くだけ。
頼まれもしないのに、
オレの力でどうにかしてやろうなんて出しゃばらない。
あなたもわたしを見習って、
さようならをじょうずに使いましょう。
雲隠れ──
これは手に負えないなと悟ったら、
スッと姿をくらます。
So long!
バイバイです。
こいつは人間として腐りきってるとわかったら、
こっちに火の粉が飛んでくるなとわかったら、
スーッと離れる。
Adios!
さようなら。
タコが墨を出すみたいにいっぱい毒を吐いて、
出ていってもらうときもある。
Leave me alone.
お元気で。
‥‥
松下幸之助さんの
「道を開く」「続・道を開く」を読んだのは、
わたしがまだ中学生のときでした。
父が三洋電機の関係の仕事をさせてもらっていた工場をやってたので、
井植薫さんや後藤清一さんの著書も応接間の本棚に並んでました。
「叱り叱られの記」とかね。
モロに昭和な根性物語だったな。
わたしの実家は三洋電機発祥の地、
加西市北条町にあります。
三洋電機まで歩いて数分‥‥っていうか、
家の玄関を出たら右手に三洋電機の北条工場が見えてた。
いわゆる企業城下町で、
三洋電機に支えられて成り立っているような地域でしたから、
松下幸之助さんなんて、
親父にとってはまさに現人神のような存在だったかと思われます。
北条で三洋電機を創業した井植歳男って人は、
松下幸之助さんとともに松下電器を創業した人物でもあります。
余談ですが父は、
三洋電機の凋落を知らずに逝きました。
まさかもうこの世からSANYOブランドが消滅してるなんて知ったら、
天国と地獄がひっくり返るほど驚いて
あの世でまたショック死するんじゃないでしょうか。
松下幸之助さんや後藤清一さんの本は別に、
親父に読めと勧められたわけではありませんでしたが、
すごく大切そうに並べられてたので手にとって、
子どもながらに引きこまれた記憶があります。
>経営って、
>なんかすごいことなんやな。

って、
そのときはじめて経営ってもんに触れて感動したかも。
中味の細かいところは忘れましたが、
人間の道は排除の道ではない
ひとことは
ズブっと心に突き刺さったんです。
あいつはキライだ、こいつもムカつく
って、
排除ばっかりしてたからなんでしょうけど。
この世の中、いやなことはいっぱいあるし、自分にとっていやな人もたくさんいる。だから、ついそれらを向こうに押しやって、自分のまわりから遠ざけたいと思うのだが、一つ押しやっても、また新たな嫌なことが起こってくるし、押しやったと思ったいやな人が、知らぬまにまた自分のまわりに寄りそってくる。もがいてもあがいても、やっぱりもとのままである。松下幸之助「続・道を開く」より

──わかりやすい話です。
中学生のキクゾウ少年にもわかった。
心に染みてわかりました
けど、
それがしんどかったんですね。
まだ子どもですから。
いやなもんはいやなんですから。
いまでこそ、
それは心の防衛機能がはたらいているだけ
ってわかりますから、
自分を責めたりしませんけども。
愛しあうのも本能なら、
排除も本能。
だからあなたも、
心の防衛のために誰かを排除したからって、
自分を責めたりしないでください。
相手がたとえ肉親でも
です。
汚いヤツはいるもんです。
ぜんぶ口に入れてたら下痢するんです。
排除するか逃げる以外に、
心を防衛する手段を知らないのがふつうなんですから。
押しやって遠ざけるのがむずかしければ、
自分から逃げるしかない。
しんどい
っていう理由だけで、
逃げていい。
あっちは巧みに都合よく、
あんたを利用してるだけかもしれないんだから。
むこうのほうが一枚も二枚も上手なんだから、
苦しい理由の説明なんかいらない。
なんかおかしい気がするっていうだけでいい。
押してもだめなら引いてみな
って
昔っからよくいうじゃないですか。
恋愛だけじゃなく、
これは人間関係すべてについていえる極意ですよ。
排除するのは難しくても、
自分が立ち去るのは意外と簡単なんです。
いっそ存在を消してしまえ。
地球の果てまで逃げ延びるなんてこと、
できやしませんけど、
ほんのちょっとばかり時間稼ぎができたらいいんです。
つかまるまでのあいだに、
傷の痛みが癒せたらいい。
あなたがもし、
松下幸之助さんみたいに偉大な経営者になりたいとしてもですよ、
仮になれるとしてもですよ、
どうせ100年くらいかかりますよ。
だって相手は経営の神さまなんですから。
神さまなんか目指してどうするんですか。
そんなもん疲れるだけですよ。
孫正義だの柳井正だの、
雲の上ばっかり見上げてなんになるんですか。
あんたなんかしょせん
鼻くそみたいな存在ですよ。
これって、
目くそ鼻くそを笑うっていうんですけど、
わたしは自分がクソみたいな人間でよかったと思ってます。
のびしろが大きいって意味ですから。
オレもあんたもまだ本気出してないだけ。
すべては
神さまになれないあいだの過渡的な措置だと割り切って、
ぜんぶキャンセル
いっせえのーで排除です。
排除がだめなら逃亡です。
逃亡資金が必要ならわたしが用立ててもよろしいので、
命がけで逃げてください。
きっとそのうち、
押しやることも逃げることも必要なくなります。
誰とも何とも、
戦わなくてもよくなる。
‥‥
不埒な修行僧、
キクゾウさんの場合はどうか?
どうでしょう?
めったにないですよ、
放棄して逃げるなんてことは。
押しやるってことも、
いまはもうほとんどない。
めったにない、ほとんどないってことは、
ちょいちょいあるってことなんですけども。
キクゾウさんは、
いくつになっても心の中にガキがいて、
なめとったらしょうちせんでって粋がってますから。
自分や自分の身内が軽く扱われることを許しませんから、
こいつ許せないなと感じると、
どうにかしたら許せるとわかっていても、
やっぱり大人げなく許しませんから。
自分のそういうとこキライじゃないんで、
おとなしく順応してたほうが楽だと思える場面でも、
めんどくさくっても、
ちゃぶ台をひっくり返す自分を許してますから。
きちんと心の防衛機能がはたらく。
わたしについてる神さまは、
ずいぶん茶目っ気のある神さまらしくって、
ほんとうに許してもらえるんです。
旅の途中の、
無責任ななりゆきまかせで。
ケツをまくって逃げ出すんです。
はい、
さよならごめん
と(ё_ё)

ご両親にごあいさつ──共同求人活動の5年

ついにやりましたっ!
待望の男の子です!
‥‥っていうと、
まるで産まれたみたいですが、
そうではありません。
2016年4月入社の、
男子1名の採用が内定しましたんで、
おめでたいご報告をさせていただきます。
昨年の内定者が決まったときも、
ややコーフン気味にレポートしましたが、
やっぱりこれって大きな節目の行事です。
どういうキャラの人財が入ってくるかによって、
職場の雰囲気が大きく変わりますから、
そわそわどきどきで4月後半からずっと落ちつきませんでした。
あ~
やれやれε=( ̄。 ̄;)
採用内定者が決まると、
ご両親にごあいさつに行くことにしてます。
中小企業家同友会の先輩から、
>ご両親にはあいさつ行っといたほうがいいよ。
>内定辞退を減らす意味もあるから。

と、
アドバイスをもらっていたからです。
わたしのまわりでも、
計画的定期的新卒採用取り組んでいる会社
は、
きちんとごあいさつに行かれてるケースが多いような気がします。
採用人数が膨らんでくると無理でしょうけど、
5人くらいまでならぜんぜん問題ないわけで、
小さい会社ではひとりひとりが貴重なんだから当然でしょって感じで、
こっちの気合いもかなりのもん。
中小企業家同友会の共同求人活動に毎年参加するようになって5年。
5年で5人に内定を出しまして、
つまりご両親へのごあいさつもこれで5回めとなりました。
内定辞退を食い止めたいから‥‥
っていう動機はわたしにはありません。
折り目
みたいなもん
を、
きっちりつけときたい気持ちからでしょうか。
1回めにあいさつに行った社員(2012年入社)はもういません。
1年ちょっとであっさり辞めちゃいました。
2回めの内定者は、
入社しないうちから内定辞退で去っていきました。
3回め、4回めの子は、
いまのところ辞めずにがんばってくれてます。
わたしの本気度は年々アップしています。
前回のごあいさつって‥‥
なんかついこないだだったような気がするなぁ~と思ったら、
それもそのはず、
内定は昨年の12月、
実家を訪ねたのは今年1月のことでした。
ほんまについこないだです。
そのくらい今年は鮮やかに、
早々と決めることができました。
鮮やか
っていう理由は、
中小企業家同友会さん主催の
合同企業説明会だけで決めることができたからです。
お金もかからなかった(総額で20万くらい)し、
これがほんとうに理想的。
実質7月中には内々定。
8月1日付で内定承諾書を提出してもらって早期決着。
過去2年間、
ぐだぐだ長引いて気疲れしてしまいましたので、
今年はほんとうに助かりました。
女子にもすごくいい子がいて、
どっちも採りたかったくらいだったんですけど。
内定辞退を想定して「内々定」で多めにキープしとく、
みたいな、
姑息は手段はわたしはやりませんし。
てなわけで本日、
>息子さんをボクにください。
的なごあいさつを、
滞りなく済ませてきたのでございます。
なんべんやっても、
訪問前はそわそわして落ちつきません。
かしこまったシチュエーション全般が、
どうにも苦手なんですなぁ。
実はわたし、
結婚したときでさえ両親には事後報告でして、
相手の両親と顔を合わせたのも、
籍を入れてから3か月後でした。
結納とかそういう面倒な手続き?はぜーんぶスッ飛ばして、
市役所に書類だけポン

披露宴もなし。
結婚式だけはきちんと最寄りの神社で済ませましたけど、
宮司さんとわたしたち夫婦の3人きりで20分ほどでチャカっと。
式典とかそういう、
かしこまったものはことごとくですね、
夫婦そろって体質的に受けつけないというのかどういうのか‥‥
ケーキもドレスもなしなしなし。
で、
総コスト2万円。
そのくらいむちゃくちゃなめんどくさがり屋なもんですから、
5年前の新卒内定で初めてごあいさつに行ったときはもう、
人生最高レベルに
といっても大げさじゃないくらい、
ものすごく疲れました。
正座も長かったし‥‥(◎_◎;)
なので2回め以降は
>すぐに帰るから茶菓子は出すなって伝えといてね(*^_^*)
って感じで、
正座もしないことにして、
とっとと逃げるように出てきてしまうんですけども、
わたしの決死の覚悟だけは伝わってるんじゃないかと思ってます。
(◎_◎;)
でもまあそうやって、
いっぺんでも家庭訪問して親の顔を見とくと、
事あるごとに妙に合点がいくもんです。
何を考えてるかわからない大馬鹿者に出くわしたとき、
>親の顔が見たい(-“”-;)
って
よく言うじゃないですか。
大学を出たばっかりの若ゾウに実像なんてないのがふつうでしょ。
自立が早いとか遅いとかも含め、
親の価値観や育て方がモロに投影してる。
だからこうやって顔を合わせておくことには、
少なからず意味があるなと思うわけなんです。
が、
それにしても‥‥
訪問するたびに、
お父さんの年齢がわたしと同じくらいか、
お母さんはたいてい年下だっていうところにかなりの衝撃を覚えます。
うちの子は2人ともまだ小学生ですから、
子育てではあっちが大先輩なわけでして、
親の顔が見たいどころの騒ぎじゃないわけでして。
このたびの内定者にいたっては
平成6年生まれw(゚o゚)w
ってことですから、
なのにお父さんはわたしと同い年だっていうんですから、
そこのタイムトラベル感にいちばんびっくりしてしまいます。
自分の娘の就職が決まる10年後ぐらいに、
わたしみたいな社長が
あいさつだっつって家にあがりこんでくるとしたら‥‥
llllll(-_-;)llllll
llllll(-_-;)llllll
llllll(-_-;)llllll
わたしはかなり
イヤですけどね。
ようこそわが社へ(。・・。)

怒らない経営‥‥ではまだ不十分だ

ぶらっと本屋さんに寄ったら
大藪崇っていう若い社長の書いた
「怒らない経営」

目に留まりました。
出たばっかりの新刊なんですね。
怒らない経営‥‥ね、
それならわたしも常日ごろから実践を心がけているド真ん中の課題だったので、
タイトルだけで買ってしまいました。
さぞかし気の短いイケイケの社長が、
怒りっぽい性格のために幹部と何度も衝突し、
組織はバラバラで崩壊寸前の危機を迎えるが、
その後、
怒りをコントロールする術を身につけて、
いまは業績も奇跡のV字回復‥‥
みたいなストーリーかな、

思っていたら、
ぜんぜんちがいました(-“”-;)
この人、
子どものころからほとんど怒ることがなかったそうなんですね。
で、
うまくいかないことがあっても
頭に血が上ってカッとすることもなく、
いまでも怒らないと。
なんやねんそれ‥‥
怒るでしかし!
‥‥っていうのは冗談として、
どうすれば怒らずにいられるか
とか
怒ることがどれだけ人生にマイナスか
みたいなことは
書いてないんですね。
そういう意味では予想とちがってたし、
別にこんなタイトルでなくてもよかったやんかと思いますが、
もちろん響いた部分もあります。
>すべて自分の責任
ていう姿勢が、
すごく強調されてるんですね。
すべて自己責任
だから
何があっても人のせいにしない
ので
社員に対しても感情的にならない

怒ることもない
っていう
筋立てになってます。
とってつけたような編集者の意図が透けて見えますけど、
でもこのことは大切。
1500円(+税)以上の価値はある。
>すべて自分の責任
──そんな理屈はわかってても、
しつこくどうしようもなく湧いてくるのが怒りなんで、
生まれつき短気で怒りん坊なみなさんは、
引っ込みがつかない気分になってるでしょうけども。
いい機会じゃないですか。
あらためて自分に問いかけてみましょうよ。
>すべて自分の責任
と、
ほんとうに言い切れるあなたかどうか。
本の冒頭で、
著者はこう書いてます。
 うまくいくときも、そうでないときもすべて自分の責任だ。
 私はこれまでずっとそう意識してきた。結果が出なければ、何も残らないのだから、すべてを自分の責任としていかないとやり切れない。自分の責任という考えが体のすみずみまで染み込んでいる。そして、これまで取り組んできたすべてのことのベースになっている。大藪崇「怒らない経営」より

ですて。
どうです?
生まれつき短気だったかどうかは別として、
自分の責任に関して、
あなたはそこまで言い切れますか。
ちなみに
大藪崇さんっていうのは1979年生まれ。
てことは35歳。
愛媛でエイトワンっていう会社を経営されてます。
このへんから下の若い経営者は、
怒らない人が珍しくなくなりましたよね。
クールでスマートじゃなきゃ格好よくないし、
社員がついていかない。
感情的な人は時代に弾き飛ばされてしまうんですね。
平和な世の中でよかったってことでしょう。
だからこの本のタイトルの「怒らない」ってとこよりも、
学生時代はパチンコ三昧で1000万円プラス、
そのうち350万円を貯金にまわした話

とか、
ニートの時代に株式投資をはじめてから4年半で
35万円の資金を15億円に増やした話


反応して買ってしまう若者のほうが多いことでしょう。
余談かもしれませんが、
「怒らない経営」
っていうタイトルの本が、
これとは別にもう1冊あります。
「銀のさら」ブランドでおなじみ、
株式会社ライドオン・エクスプレスの社長、
江見朗さんって方が書かれました。
ライドオン・エクスプレスの
企業理念──
ビジネスを通じ、相手の幸せが
自らの喜びと感ずる境地を目指す

経営指針──
感謝の気持ちに基づき衆知を集め、
すべてを容認し、自他共に正しく導く

──と。
これ、
いいですよね。
江見朗社長は1960年の生まれで歳も近いし、
天風哲学にもどっぷり浸られた方ですから、
感性としてはこちらのほうがフィットします。
あいにくご本人にお会いしたことはありませんし、
「銀のさら」のお寿司も実は食べたことないので、
それ以上のことが語れなくて残念ですけども‥‥。
自己責任に話を戻しましょう。
わたし自身、
全責任は自分っていう姿勢を
あらためて徹底することにします。
社員の仕事ぶりに対して不満があったり、
ミスや失敗で不愉快な気分になったりしているうちは、
まだ自己責任を取ってないんだと思いますね。
社員がそれぞれのゆっくりしたペースで快適に歩いてても、
会社としては利益が出るからだいじょうぶ。
と、
そんなしくみをつくるのが経営者の仕事です。
そこに責任がある。
たとえば
社員がだらだら仕事してるのが目に入ったとしても、
ぼんやり手を止めてサボっていたとしても、
怒らない。
不機嫌にすらならない。
社員のほうの事情がどうであっても、
じゅうぶん利益の出る「しくみ」をつくるのが経営者の責任。

そこまで徹底したい。
社員さんだっていつもサボっているわけじゃないし、
なんか事情があるにちがいないんだから、
マイペースで働いてくれていい。
手抜きぶりが目に余るとしても、
それは、
経営理念を浸透させられなかった経営者の責任。
誰のせいでもなく、
すべてはわたしの責任。
そこで感情的になるってことは、
社員のほうへ意識が向いてしまっているってこと。
つまり、
経営者がつくるべき「しくみ」のほうへは意識が向いていない。
意識を社員のほうへ向けて不機嫌になっているってことは、
自分の責任を脇へ置いているわけで、
肝心の「しくみ」が磨かれない。
悪いのは社員のほうだ

あからさまに考えているつもりはなくっても、
価値観の根っこに染みついてしまっているから不機嫌になる。
それでは本質的な問題解決が遅れる。
社員は社員のほうで、
それぞれベストを尽くして楽しくやってくれていると信じましょう。
好きなようにやってくれたらいいじゃないですか。
社員に対して、
ああしろこうしろ、
どういうふうでなければダメだ、
といった感覚をもつのはやめにしたい。
怒るなんて問題外。
不機嫌になることすら許容範囲外。
怒ってるつもりじゃなければ許されるなんていうのも甘すぎます。
ごきげんずくめの経営
を、
さっそく
たったいまから実践です。

共同求人活動の序盤4年と今後の採用

え~、
本日(12月15日)付で、ようやく、ようやく、
来春入社の内定者を1名、
決めることができました。
これにて、ようやく、ようやく、
2015年度新卒の採用活動終結です。
長かった~~(◎_◎;)
もうひとり採るぞ!
ほしいぞ!
ひとりでいい!
採るぞ!
ほしいぞ!

‥‥と、
1年近く想いつづけ、
出られるだけの企業説明会に出て、
採用コンサルタントの先生にもお願いし、
斡旋業者にも頼り、
やっとこさの内定です。
高いか安いかはさておき、
100万円以上の費用がかかりました。
>ひとりあたり100万円かけないとだめだよ。
っていうのは聞いてたとおりで、
相場観としては標準的なのかもしれませんが、
ここは、
「かけた」というようり「かかった」というほうが実態に合ってます。
中小企業家同友会さんがやってくれている
共同求人活動
だけで採用できてたら、
こんなにかけずに済むはずでした。
たとえば2012年度新卒の採用コストは25万円くらいで済みました。
ほんとうは今回も、
そうなってほしかったんですから。
頼りにして期待もしてたのに、
これで2期連続、
共同求人活動は空振りで、
他の手を使わざるをえませんでした。
つまり、
ツーストライク・ノーボール──
追いつめられとるやんけ!!!!
・゚゚・(×_×)・゚゚・。
中小企業家同友会の共同求人活動ってもんに
いっぺん出てみようか

と、
思い立ったのは4年まえのいまごろ(2010年12月)でした。
きっかけは‥‥
それを話し出すと長くなりそうなのでやめときます。
ただ、
それ以前から新卒採用の大切さは、
会の先輩方から何べんも聞いてましたから、
ずっと頭の中には置いてあったんでしょう。
ところがなぜか、
ウチには縁のない話、
まだ早いわ、
と、
無意識に拒否っていたフシがあります。
合同企業説明会への参加を最初に申し込んだときの印象は
え?なに?
いま申し込んだら?
新卒の学生が入社してくるのは
次の次の4月なのね?

って感じでした。
12月に申し込んだとしたら、
社員が入ってくるのは
それから16か月近く先なんです。
出産より長い(ё_ё)
これが求人情報誌とかで中途採用だったらどうでしょう?
1~2か月でなんとかならなきゃイライラしません?
頭で計算するのと
実感がずいぶんちがいますよ、これは。
それでなくても根が短気ですからな、
わたしは。
げ、
そんなに待たなあかんのかい??
待ってるあいだ、
どーすんじゃい?

と、
正直なところ驚いた。
(いまとなっては恥ずかしいことですけど。)
やっぱり無理、
ムリ、ムリムリ‥‥って、
また思いそうになったし、
同じようにムリムリって思う会社は他にもたくさんあるんだと思います。
でもそのときは、
やっぱりやってみようっていう気持ちになれた。
しんどかったからです。
そのころわたしは、
心がナイフでメッタ刺しにされたような絶不調
痛くて辛い精神状態だったんです。
そういうときっていうのは、
このままじゃヤバイっていうムードに追いつめられて、
いままでやったことのないことをやってみよう
って、
妙な出来心が湧いてきます。
だから逆に、
自分に欠落している、
やたらと気の長い
計画性
ってもんが、
とても意義のあることに見えた。
事実、
わたしの尊敬する諸先輩方の会社は、
どこも新卒採用に取り組んでおられた。
共同求人活動に参画されているかどうかは別としても、
とにかく新卒採用には取り組まれていた。
計画的定期的新卒採用
です。
だから自分もやってみようと、
まあそんな感じ。
折しも、
世界的金融危機リーマンショックで景気は後退、
就活市況は氷河期に入りつつありました。
そこへさらに
東日本大震災
ほんとうだったら入れたはずの大企業に入れなかった気持ちの学生たちが、
泡を食って中小企業になだれこんできた。
合同企業説明会はすごい活気だったし、
ものすごい数の学生が当社にも面接に来てくれた。
えっ?
もしかしてウチって人気企業なん?

って、
どえらい勘ちがいなんですけど、
まあとにかく
なにからなにまで初体験で、
アドレナリン全開
でした。
採用試験問題を自前で作成するのも初めてなら、
リクルートのSPI3といった適性検査の実施も初めてです。
いまはもう慣れましたが、
面接のアポを連絡もなしにすっぽかす学生がたくさんいるのには、
かなり驚いたし、
不愉快になりました。
採用枠ひとりに対して面接したのは50人以上。
一次面接を5人くらいまとめて片づけた日もありました。
共同求人以外は何もやってないしお金もかけてませんから、
コストパフォーマンスは抜群です。
めでたく女子1名の採用に至りました。
が、
この新卒採用の第1号は、
1年2か月であえなく退職という
めでたくない末路をたどります。
地元で有数の進学校を経て、
県下では偏差値トップの国立大学を卒業した勉学エリートですから
たいへんなミスマッチ、
合うはずないんです。
おかげさまで
共同求人活動本気スイッチが入りました。
成長の足がかりはここにしかない!
というくらいの猛インプリンティング
決めこみ
ってやつ。
そのためには、
共同求人委員会さんにがんばってもらわなあかんのですが‥‥
このたびの採用活動は、
猛烈な逆風が吹き荒れました。
これがあたりまえだったのかもしれません。
ちなみに今年4月に入社した新卒採用第2号は、
偏差値が高くない?のが幸いして??か、
いまのところ抜群の適応力を発揮してくれてます。
共同求人活動が空振りしたので、
かれこれ80万円くらいかかりましたけど。
おそらく来年からも、
さらに厳しくなるでしょう。
大企業が採用を増やしているから?
‥‥というよりも、
ここ何年か抑制気味だったんでしょう。
そこを補充する勢いで本気度を上げてくる気配があります。
仁義なき争奪戦

覚悟しておかねばなりますまい。
自社の魅力は何か?
いっしょに働くとどんないいことがあるのか?

ますます本気で突きつめて、
それが学生にバシッと伝わるようにしないといけません。
(中味)も大事だけれども(伝え方)ももろに大事。
学生が相手の企業説明会ほど、
表現力が問われる場は他にありますまい。
ようやく、ようやく内定を出したばかりだというのに、
2016年度の採用活動はもうすでに始まっています。
なんなんでしょうかこの時間軸の交錯感覚は。
こんどはわたし自身、
共同求人委員会の副委員長として
活動を盛り立てていく役をいただきました。
他の人に何かをやってもらおうという甘えた気持ちは
もうありません。
全国の中小企業家同友会の中で、
共同求人活動がいちばん充実しているのは、
広島らしいです。
ということで先日、
広島県中小企業家同友会さんを訪問して、
お話をうかがってこようっていう機会が設けられました。
やっぱり中小企業家同友会ってええとこやなぁ~
と、
再確認できました。
行ってよかったぞ広島県。
10億、50億、100億と会社がぐんぐん大きくなっても、
自分が育ててもらった古巣との絆を大切にする人が、
わたしは好きだな。
v(≧∇≦)v
では最後に、
わたしが共同求人活動に関わった序盤の4年間で、
多くのことを学ばせていただいた中から、
ひとつご紹介しておきましょう。
それは
>採用は補充でやるもんじゃない
という教え。
補充なんていう言葉はもう
概念ごと忘れちゃっていい。
人生の骨格建設には、
すべからく想念が先行するってことはすでにみなさんご承知のとおり。
だったらやっぱり人財もそう。
足りないから採る
っていう順序だと、
ビジョン実現のステップがちがってきますわね。
どんな会社にしたいか
とか、
なんのための経営か
っていう、
自己の理想に照らしあわせ、
そこに近づくなら採用したい。
人財の充実を先行させたい。
定期的な新卒採用のリズムと、
経営指針書の作成がかみあってこそ、
人財育成の回路が活きてきて会社が良くなる。
人件費の「費」は費用を意味してますけど、
本来は投資のはず。
だって人財は企業にとって最大の資産。
なのに損金算入できるってえのはめちゃめちゃお得なこっちゃねえか?
単なる人採りではないんだ
っていう
共同求人活動の姿勢、
ほんとうの学びはまだまだこれからですが、
深いです。

感情的にならずに感情を伝える

この、
感情的にならずに感情を伝える
っていう
めちゃめちゃすばらしい心がけ

御社のグランドルールにも加えられてはいかがでしょうか。
‥‥
はい?
グランドルールがそもそも設定されてません?
え?
グランドルールって何かってことをご存じない?
はいはい。
わたしも去年まで知りませんでしたので、
ぜんぜん気にしなくていいですよ。
たぶんね(ё_ё)
えーっと、
グランドルールっていうのは、
会議やミーティングを開く際に設定するルールのことで、
参加する全員で共有して守るものですね。
ルールなんてもん、
そもそも好きじゃないわたしが、
自社のミーティングにあえてグランドルールを設定しているのは、
コミュニケーションが下手くそすぎる!
っていう自戒をこめてのことです。
世の9割以上の社長が、
社員の話に耳を傾けていないという説もありますが、
わたしは
社員から日々ボロカスに叱られているくらいなので、
ぜんぜん話を聞けておりません。
I am totally guilty
──全面的に罪を認めます。
さすがにこれじゃあマズかろうってことで、
社員のほうから項目を出してもらうかたちで、
グランドルールを決めました。
人の発言は最後まで聞く
とか、
否定語は使わない
など、
耳の痛い項目が並んでおります。
他にも、
言い訳はしない
とか、
人のせいにしない
など、
なかなか立派な心がけを、
社員みずからがグランドルール化して実践してくれています。
実効性が上がって成果が出ていますので、
大いにマネしてください。
会議やミーティングには、
職場のコミュニケーションパターンが凝縮されていますよね。
この組織は
いつも
こんなやり方で意見をまとめていく
っていう、
クセっていうか、
型っていうか、
流儀みたいなもの。
つまり習慣
会議で自由にものが言えない組織っていうのは、
飲みに行こうがBBQパーティを開こうが、
やっぱり風通しはよくない。
自由にものが言える
ってえのはどういう感じなのか、
とっくの昔に忘れてしまって思い出せない。
そんな具合なので、
ミーティングの進め方にあらわれる
コミュニケーションパターンこそが、
社風の中核にあるもので、
企業文化を形成する土台だといっていいでしょうね。
いやまったく、
子どもじゃあるまいし、
いやですよ、
ルール
なんて
押しつけがましくて。
でもこれは、
そこまでしてでも組織の習慣にしたいんだという
わたし(=社長)の強い意思表示です。
これを、
わが社の経営習慣にしたかったんです。
中でもとりわけ
感情的にならずに感情を伝える
は、
部長が出してきたものなのですが、
実にすばらしいと思います。
わたし個人としても
感情のコントロール

きわめて価値の高い習慣と位置づけていますから、
そういうところが社員と共有できるってことは、
ほんとうに喜ばしいことです。
まず大前提として、
感情は抑えないほうがよい
と考えています。
ネガティブな想いを心に
しまいこんでしまうのがいちばんよくないんです。
一時的には波風が立たなくて場が丸く収まるかもしれませんが、
しまいこんだ本人のメンタルがダメージを受ける。
出さないよりは出したほうがよいはずです。
だから出し方が大切。
「出し方」とはすなわち感情表現です。
汚い出し方でも出さないよりはいいんですが、
できることなら綺麗に出したい。
きちんと感情がコントロールされた状態で、
ニュートラルな言葉に置き換わって出てくるのがいい。
マネーロンダリングならぬ
感情表現のロンダリング
みたいなことを
やるんですよ。
たとえば‥‥
>なんでそんな言い方するんですか!
って、
ある女性社員──A子さんとしましょう──が
男性で上司のあなたにブチ切れたとします。
8割以上の確率で、
あなたの脳は
>そんな言い方ってどんな言い方だよ?
>何がどういけなかったっていうんだよ?

って、
ぜんぜん意味わかってない状態になってます。
しかし
そこの理解できない部分はそのままにして、
>おい、ちょっと待てよ。
>アホかこの女は。
>上司に逆ギレするなんて考えられんぜ。
>これだから女は使えないっていうんだ。
>まったく!
>組織をなめてんじゃねえよ。

となる。
はい、
アホはあんたです。
(わたしもですけど。)
アホな男の上司に、
そういうキレ方をしたら、
こういう展開になるとわかってて、
やっぱりキレたA子さんもちょっとアホ。
要は
どいつもこいつも全員アホでおめでたいんですけど、
こんなことからみんな少しずつ学んで、
同じ衝突はくりかえさないようにしましょうね
っていうのがグランドルールの趣旨。
じゃあA子さんは
どう言えばよかったのか。
感情的にならずに感情を伝える
──その心がけでがんばってみてたらどうなったか。
>いまの言い方、
>おかしくないですか。
>なんかカチンと来ましたけど。

くらいにしとけばどうだろう。
それなら男性脳にもわかりやすく入るし、
ちょっと反省してみようかなっていう猶予もある。
>え、そうなの?
>悪かったね。
>じゃ、どう言えばよかったか、
>ちょっと考えてから言い直してみるわ。

と、
そんな流れになればひとまず衝突回避。
時計の針を戻し、
そこから真剣に言葉を選び直していく作業が始まります。
しかし、
このとき謝罪したつもりの「悪かったね」っていう言葉は、
A子さんの耳にはちっとも反省しているようには聞こえてないので、
さらに火に油を注ぐ展開となり、
部下による上司の躾(調教?)がエンドレスに続く
‥‥みたいなことが
わが社ではわりと日常茶飯事だったりします。
──がんばっとるんだよ、
コミュニケーション。
(ё_ё)
職場に一歩足を踏み入れたら、
なごやかなムードかどうかわかりますね。
だいたいの人間模様が伝わる。
表面的には衝突がなく静かであっても、
抑えられているだけかもしれません。
みんなが自分の感情を
少しずつ抑えている。
そんなのがなんとなく気配で知れる。
>え?
>でも、それってあたりまえじゃないの?

と、
思われる方も多いはず。
個人の感情をいちいち浄化するのに手間ヒマかけてたら、
組織活動が成り立たないわ、
と。
わたしもしょっちゅうそう思います。
コミュニケーションコスト
っていう概念が
頭に何度も去来します。
しかしそこで
個人の感情を組織のために抑える必然の結果として
うつ病やらなんやらでメンタルヘルスが損なわれ、
貴重な人財が第一線から抜け落ちてしまうとしたらどうですか?
耐えられなくないですか、
そういうの。
もっとも信頼する最良のパートナーである社員が、
心で苦しんでいると思うとそれだけでつらい。
社長は
会社の中では最高の権力者です。
それはつまり、
社員を抑うつに追いこむことができる絶好のポジションでもあるわけで‥‥
恐ろしいことです。
経営者は経営のエキスパートであると同時に、
心のエキスパートたるべしと思います。
1年や2年ですぐ辞めるやつのことは、
ま、
大目に見てもらいましょっか。
だめ?
だってそういう人材は、
どこへ行ってもやっぱり続かないんですから。
まだまだ修行半ばで二流経営者にもなりきれないわれわれが、
そこまで気にしてたら組織がもたないでしょ?
だめ?
少なくとも3年以上がんばってくれてる人だけでもね、
その苦労に報いたい。
三流経営者のダメダメな舵取りに、
辛抱強く耐えてくれている人たちです。
まじめにがんばって会社の中軸に成長しようとしている。
だからこそ、
メンタルなクラッシュは一気に来る。
積もりに積もったものの重みで、
つぶれるときはあっという間。
それだけは絶対に
避けたいじゃないですか。
ね?
部下の話に耳を傾けることに、
じゅうぶんな時間を取ろうではないですか。
口にチャック。
死語かもしれませんが‥‥
耳はダンボに。
どれだけ責められてもなじられても誠心誠意、
感情移入に努めましょう。
努力に裏切られることはありませんから。
ちがいをちがいとして認めることができる企業文化

徹底されてくれば、
意見が真っ向から対立していてもなごやかに話せます。
お互いがお互いに
銃口を向けあいながらでも、
なごやかに
笑顔で話せる。
テレビや映画で
そういうシーンを観たことないですか?
かっこいいでしょ。
はらわたが煮えくりかえるくらいの修羅場でさえね、
感情表現をコントロールできるっていうのは、
かっこいいことの象徴なんですね。
実社会でもそれをやるんですよ。
やれなきゃおかしい。
だって、
わたしとあなた、
あなたと彼女、
ちがうのがあたりまえ。
>撃ち殺してやりたいほどムカついてまーすb(⌒o⌒)d
って、
クールに言いましょう。
感情表現のコントロールが感情のコントロールに直結してますんで。
ぎゃあぎゃあ大きな声出さない。
取り乱さない。
カチンッ
ときたその刹那に
表現の変換アダプタが機能するかどうか。
そこに、
オトナとコドモの境界線があると思います。
感情コントロールのベストな手段として、
わたしが選んだのは安定打坐
そして心身統一法の体系をつかんで実践していくことが、
感情的にならずに感情を伝えるためのベストな方策であると考えます。
入社した者全員に「成功の実現」を贈るのは、
かっこいい会社にしたいから。
誰かが感情的に取り乱してしまったときは、
その場ですべての業務を止めて、
10分間の瞑想がはじまります。
かなり特異な経営習慣ですが‥(ё_ё)

覚悟と本気

>おまえは経営者としての覚悟ができてない!
って、
叱られた経験のある社長はたくさんいるでしょう。
特に二代目さん。
いくつになっても親に子ども扱いされて、
お気の毒さま。
>覚悟ができてるかって言われてもなぁ‥‥
>できてるかできてないかなんて、
>自分じゃわからんし。
>‥‥っていうか待てよ、
>覚悟ってそもそもなんやねん?

って感じですよね。
ま、
たしかにね。
>覚悟しろよ。
なんて、
日常会話ではあまり使わないセリフですもんね。
覚悟って、
どういう意味なんでしょうね。
経営者の覚悟と、
そうじゃない人の覚悟はどうちがうんでしょうか。
(;・_・)・_・)?
覚悟するっていうのは平たくいうと
心の準備を整えること
です。
心だけのことですから、
お金もかからないし、
身体も使わない。
なんだかわからないけどこの先、
困難なことや苦しいこと、
危ないこと、
場合によっちゃ命にかかわるような恐ろしいこと

起こるかもしれませんよっていう状況で、
それに対して心構えをすること。
反対に、
覚悟ができてないっていうのは、
心の準備ができてないってことでして、
なにか事が起こったときに慌てます。
おたおたします。
>まさかこのタイミングで、
>こんなことになるなんて、
>思わなかったもんですから‥‥

なんて、
見苦しい言い訳をします。
こんなふうに「まさか」が多い人っていうのは、
まちがいなく覚悟が足りてません。
そうかと思えば、
なにか事が起こるまえから、
ああなったらどうしよう、
こんなときはどうしたらいいのか、
と、
わちゃわちゃビクビクしている人も多いですよね。
まあ‥‥ね、
なさけない話ですけど、
ふつうはみんなだいたいそんなもんですから、
その程度でもやっていけるんでしょう。
大きく成功するつもりならいけませんよ。
事業を大きく成長させるつもりなら、
いちいちビビってられません。
想定外のことがいろいろ起こるんですからね。
じゃあいま、
覚悟ができてないあなたやわたしが、
どうすれば心の準備を整えることができるか。
準備っていっても、
いったい何に対して準備しろというのか。
セミナーに参加中の社長さんたちにきいてみました。
>そりゃあ倒産でしょ。
>社長は会社をつぶさないことが第一の仕事。
>そして従業員に給料を払うこと。

──はぁ‥‥、
わかりやすくていいんですけどぉ、
なんかちがいますよね。
倒産に備えるっていうのは最低の責務っていうか、
あたりまえすぎて浅い感じがしますよね。
いろいろある覚悟のうちのひとつに過ぎないというか‥‥。
>とにかく最悪の事態を想定して、
>それに備えればいいんですね。

──いや、それもちがうでしょう。
弾はどこから飛んでくるかわかりませんからね、
最悪の事態に備えていたつもりでも、
ほんの些細なほころびからボロが出て、
「まさかこっちが‥‥」ってことはじゅうぶんある。
>じゃあ‥‥
>危機管理全般を怠らなければいいんじゃないですか。
>自分や役員が死亡するとか、
>得意先が倒産するとか、
>融資が止められるとか大赤字を出すとか。

──クールな言い方をするとそうかもしれませんよね。
全方位的に対策が取られているのでなければ、
じゅうぶんだとはいえませんもんね。
しかし、
中小企業で万全な危機管理なんて可能なんでしょうか。
メンタルな意味と物質的な意味がごちゃごちゃになってませんかね。
>何があろうと、
>従業員とその家族のしあわせを守るっていうことに対して、
>本気かどうかっていうことでしょ。

──なるほど。
ここで「本気」っていう言葉が出てきましたか。
よく使われるわりにはわかりにくい言葉です。
自分が本気かどうかどうやって確かめますか?
本気になってたら覚悟ができてると言い切れるんでしょうか。
>責任を取れるか取れないか、
>どこまでの責任を自分が取るつもりか、
>突きつめるとそういうことじゃないでしょうか。

──うん、まぁそうかもしれませんね。
責任の大きさと覚悟の大きさは比例するのかもしれません。
それじゃあ経営者の責任ってなんなんでしょうね。
それを考え直す必要が出てきますよね。
‥‥てなぐあいで、
いろんな意見が出てくるんですけど、
イマイチ絞りきれません。
けっきょく、
経営者としての覚悟ってどういうことか。
倒産とか役員の死亡とか大赤字とか、
そんな特定の事象に備えるって意味じゃないでしょうね。
何が起こるかわからないことが前提で、
事象を選んでられないのは確か。
どんなことに対しても
心が振りまわされないようにしておく必要がある。
あらゆる出来事に対して不動心ができてるっていうか、
あっちはいいけどこっちはダメなんてことは言わず、
何があってもいちいちビビらない
危機管理ができてるかどうかっていう切り口もあるでしょうが、
現実的に対策が立ててあるかっていう問題と、
覚悟ができてるかどうかは別物です。
あなたはこれまで危機に向きあうとき、
心に心配事が浮かんできて、
その不安に突き動かされていただけではなかったでしょうか。
こんなことになってしまったらたいへんだから、
なんか対策しとかないといけないぞ‥‥っていうように。
これはやめていただきたい。
危機管理のセンスはもちろん不可欠なんですが、
不安に従うという順序だけは何事においてもいけません。
それだけは止めてください。
取り越し苦労は厳禁です。
危機管理──リスクマネジメント──っていうのは、
不安に負けてやるものではありません。
愛する者たちを守るんだ
っていう、
強い動機でやるもんです。
不安はますます大きな不安に。
愛はますます大きな愛になるっていう、
かなり大切な原則がいたってシンプルにはたらきますから、
そこは注意してください。
そんなふうに考えていくと、
覚悟ができてるっていうのは、
心が強いってことに他ならないとわかりますね。
何があっても何もなくても、
どこまで虚心平気でいられるか。
むかしの言い方を借りれば
肝が据わってる
ってやつ。
あなたの会社が突如、
長年の得意先から取引の打ち切りを宣告された‥‥としよう。
あろうことか、
ライバル会社に乗り換えられるという最悪の屈辱。
自社の売上高は一気に20%以上ダウン。
そこであなたは「まさか」とうめくのか。
「クソッ」と小声で舌打ちするか。
顔面蒼白で心臓はバクバクと脈打ち、
小刻みに震える指先まで冷たくなっているのに気づくか。
これは不可抗力だと、
そんなことまで自分の責任に含まれていないとでも言いたいか。
──こういうとき、
覚悟のほどが知れる。
自分の知らない自分の弱さに向きあうことになる。
覚悟のできてない経営者には責任能力がありません。
じゃあ覚悟ができてたら責任が取れるのかっていうと、
それも微妙にズレる。
責任のほうは気持ちだけでは済みませんから。
それと、
覚悟にはもうひとつ、
あきらめる
っていうニュアンスの意味もある。
責任が取れないことがわかっているので辞めさせられる覚悟ができている
‥‥っていうのは政治家によくある変な話です。
中小企業家ならこんな変な覚悟はやめましょう。
覚悟ができて、
責任も取れる人間になりましょう。
心が強ければ、
起きてくることのすべてが自分の責任だと受け入れられる。
覚悟が決まれば本気のスイッチが入ります。
本気かどうかっていうのと、
覚悟ができてるかっていうのは同じ意味でしょうか。
どちらも心の定まり方だけが問われますよね。
心に混じり気がなく、
迷いもブレも恐れもなく、
どれだけ純粋な動機で事に当たれるか。
私利私欲っていうエンジンは、
アテにできませんよね。
ひとつの欲が満たされたらまた次の欲。
一貫性がありません。
信念100%
──それが本気。
でも、
それってどんなんなんでしょう。
>あなたは本気で経営やってますか?
ってきかれたら、
こたえはYesですかNoですか。
即答できる人はしあわせですね。
自分が本気かどうかなんて、
なかなか自分でわかりませんもんね。
ただひとついえるのは、
他人の評価が気になるうちはまだ本気じゃないってこと。
あなたが本気で物事に取り組むとき、
なにも恐れるものがなくなり、
責任を取ることが快感になります。
誰もかれもが無条件に味方だと感じられるでしょう。
え?
えーっと、
わたしですか?
わたしはまだ、
本気じゃないです。
オレの本気って、
きっとこんなもんじゃないよなって気がしてます。
もっとずっとまえに、
本気になったことが何度かあって、
その感触を覚えてる。
いまだかつていっぺんも本気になったことがない人には申し訳ないですが、
それはそれはものすごーくいい気分でした。
自分のことなんかそっちのけ、
無我夢中でおらが村のために立ち上がった。
私利私欲なんかこれっぽっちもなく純粋にご奉仕するってことが、
あんなに気持ち晴ればれ爽やかなことだとは、
何年もたってからしみじみ気づいた。
いまはそれとちょっとちがう。
ま、
あのときのひたむきさを思い出しながら、
だんだん本気になりつつある途中かなって感じ。
本気を出してないときは、
結果を受け入れることに素直になれない。
つまり覚悟もできてない。
本気になることと覚悟ができることは、
やっぱり関係がありそうだ。
いま死ねと言われても、
それはいや。
とても往生際が悪いと思う。
わたしが36歳で起業したとき、
社員はいなかったし、
まだ独身で家族もなかった。
守るべきものなんて何ひとつなかったと言っていい。
それがいまじゃ、
息子も娘もいて、社員もいて、
お客さんとの結びつきも強いし、
家のローンも残っているし、
後継者づくりは手つかずだ。
まだ死ねないな。
ぜんぜん準備できてませんから。
でもどっか矛盾しているんだけど、
若いころの夢はぜんぶ実現してしまってて、
とってもとーってもしあわせで、
ずっと一生懸命やってきたのもほんとうで、
いま死んだとしても後悔はない。
ハングリーじゃなくなって牙が抜けたか。
ぬるま湯に浸かりすぎてふやけてきたか。
なんだろうか、この、
間合いをはかっている感じは‥‥。
と、
それがわかってるなら、
さっさと本気スイッチ入れりゃあいいのに‥‥と思う。
え?
あなたも同じですか。
そうですか。
じゃあ、
さっさとスイッチ入れましょうよ(≧m≦)

愛のムチは正当化できない

部下にそっぽを向かれた日の夜は、
帰路につく足取りも重く、
やるせなく、
心にヒビが入ったみたいな感じです。
わかりますよ、
感情がぐちゃぐちゃに入り混じって息苦しい状態。
約束を守らないヤツ、無責任なヤツ、
言い訳ばっかりするヤツ、
まったくどいつもこいつも‥‥
ですよね。
日ごろあなたは、
部下に対するねぎらいを忘れず、
感謝の気持ちも人一倍。
だからよけいつらいのかもしれませんね。
厳しさが受け入れられにくい世相です。
あなたが思っているように、
逆境が人を育てる
っていう側面があるのもまた事実。
弱っちいヤツを見ると、
厳しく指導して強くしてやろう
っていう方法論が頭に浮かんでくるわけだ。
だからつい
いつもの勢いで、
ガツーンとやってしまうこともある。
人財育成の基本は愛情

心に誓ったその舌の根も乾かないうちに、
ブチッ!ブチブチッ!
出てくる言葉は、否定、否定、否定。
これじゃ何も変わってないよと自己嫌悪。
>言いすぎですよ。
と、
同僚にたしなめられて、
なおさら傷口が広がってしまいましたか。
あなたは何時まででも残業するつもりだった。
必死で遅れを取り戻そうとしてた。
でも、
部下はそんなあなたの無計画ぶりに反発した。
許せない気持ちはわかります。
でも、
あの言い方はよくなかった。
あなたは執着の深みにはまって悪循環、
カッカして頭に血が上っていた。
でも冷静になって振り返ってみればわかりますよね。
社員の言い分のほうが正しいんです。
ほんとうは何も遅れてなんかなかったってこと。
あなたが急ぎたかっただけなんです。
納期までまだかなり余裕がある。
あしたでもいいことを、
なんとなくキリのいいところまであなた個人が進めたかっただけ。
こんなときあなたはいつも、
帰宅するなり部屋に逃げこんで雑音をシャットアウト。
自分を責めたい気持ちが強烈に高まります。
でもそこは、
わたしのアドバイスどおりにやってください。
出来事の中味はこの際どうでもいいいんですよ。
あれがああだっタラとかあいつがこうしていレバとか、
いわゆるタラレバ思考は無意味です。
あなたが現在どう感じているかだけに意識を向けてください。
表面的に自分や相手を責めるんじゃなくて、
感じ尽くすことに努めてください。
感じ尽くすとは‥‥
もしいまあなたを怒りが包んでいるなら、
とりあえず怒って怒って怒り狂うこと。
誰も見てませんから遠慮なくどうぞ。
悔しいなら悔しがってください。
泣いてしまうほど。
なにがそんなに悔しいんだかわからなくてもけっこう。
何年も何年も、
ずーっと積もり積もったものがあるんでしょう。
出し切ってください。
未熟な──と自分で感じている──リーダーのみなさんへ、
津留晃一さんの本の中から
わたしの大好きな言葉を贈ります。
 「私はもう人を裁かない」。自分自身を洗脳させるために、根気よくこの言葉を繰り返し唱え続けてみてください。「また咎めてしまった」などと咎めることなく。
 <咎める想い>これだけがマイナスであることを悟ってください。
 これこそが、我々を今のこの心の位置に釘付けにしている元凶です。この想いがすべての犯人です。
 人から咎められることによってストレスを感じているとしたら、そのとき、間違いなくあなたはその人を咎めているはずです。どうぞ勇気を持ってこのことに気づいてください。
 それが簡単なことだとは言いませんが、自分を救う道はそこにしかないからです。
 この<咎めない>という真理を自分自身にだけ向け、他人を裁く道具にだけは使わないでください。
 「うまくいっていない」と感じているとき、きっとあなたは何かを咎め、批判しています。それを探してください。
 咎める心が、批判する心が、今あなたの外側に投影されているだけなのですから。
 「ああすればいいのに」という想いが湧いたら、それが批判する心です。「こうしたほうがいいのに」と思った瞬間、それは裁く心の現れだと気づいてください。
 「何でそんなことをするの」──これは正しくないというジャッジ(判断)です。
 「でも、こうしたほうがうまくいくのに」と、多分そう思われることでしょう。きっと、そんな<うまくいくこと>は無数にあるはずです。
 ですが、そんな<うまくやる>生き方から少し離れてみてほしいのです。
 「そんなことをしたら、みすみす失敗するじゃないか」と反論が起きるでしょうが、「必ずしも失敗するわけじゃない」ということを是非、身をもって体験してほしいのです。
 「良いからする、良くないからしない」。そういった習慣は、基本的に<恐れ>からつくられました。
 <恐れ>から始まったことは、すべてあまりうまくいきません。
 <良いから>とか<良くないから>といった判断から行動するのではなく、すべてを委ねて瞬間を生きてみませんか。今したいことを自分に許す生き方です。後のことなど考えずに。津留晃一「多くの人が、この本で変わった。」より

毒抜きを、
いま、
やっておきましょう。
心のデトックスですね。
抜いておかないと、
また出てしまいますから。
知らないあいだにたまってしまうのが


やっかいなとこなんです。
感じ尽くす
というプロセスを経て、
心の中がポッカリ空っぽになったら、
そこを愛で埋めていくんですよね。
罰を与える
なんていう動機は、
まったく正当化されません。
あなたの心の中に制裁は不要です。
いったんニュートラルな立ち位置に戻って、
部下たちを眺めてみてください。
まだちょっと腹立ってます?
そうですか。
では毒抜きのやり直し。
ルールによって裁かれるのはしかたがないとしても、
あなたの心の中に咎める想いは不要です。
「ほめる」「励ます」「聴く」

3つしか、
コミュニケーションの手段が自分にはないんだ

割り切ってしまってください。
他の表現方法は神さまに没収されたんだと、
ま、
そんなふうに考えてみましょう。
>いや、でも、
>躾(しつけ)はどうなるんですか。
>悪いことは悪いと注意してやらないと、
>本人はいつまでたっても気がつかないし、
>組織全体の仕事の質が少しずつ下がっていくじゃないか。

と、
すぐ反論したくなりますか?
じゃあここで、
「叱る」「ほめる」のおもしろい関係をお教えしましょう。
あなたが、
ほとんどいつも叱る上司だったとします。
部下は自分のやり方について、
叱られたときには「ダメなんだ」とわかります。
わかるけど気持ちが凹むので次ががんばれないんです。
叱られなかったときにはホッとしますが、
なにがどのくらいよかったのか、
ほんとうによかったのか確信がもてません。
逆にあなたが、
ほとんどいつもほめる上司だったとします。
部下は自分のやり方について、
ほめれたときには「よかったんだ」とわかります。
うれしいので次もがんばるでしょう。
ほめられなかったとき、それも実はわかるんです。
「あ、なんかちがうんだな」と、そこはわかる。
なにがちがったのかな、と、自分で考える。
乱暴すぎるほど簡略化して説明しましたが、
これがキモです。
あなたが愛100%になれば、
自主的な社員が育つ
メカニズムがこれなんです。
否定をやめるという方向性だけでは
どこへも進めないこともわかりますよね。
わたしたちに人を育てることなどできません。
そんな厚かましいことを考える必要もない。
できるのは、
人が育つ場をつくること。
愛は無添加100%を目指しましょう。
100%であることが肝心です。
たったいちどでも毒針が使われると、
そのマイナス波動が何年も残ってしまう。
相手もしんどいんし、
あなた自身もしんどい。
ゴキブリは1匹見かけたらそのあたりに20匹いると思え
って言いますでしょ。
否定語がひとつでも出たってことは、
心のそのあたり一面が黒く濁ってるってことですから、
きっと他にもいろいろ否定してるんです。
心の掃除っていうのは、
習慣にしてしまえばどうってことはないんですが、
はじめのうちはたいへんです。
お風呂に入るとか、
歯磨きするのと同じようなもんで、
毎日のリズムが大切です。
1週間分をまとめやって、
あとの6日はお休みっていうのはできません。
心のチリやホコリは、
少しずつたまってくるもの。
だから、
習慣をつくるっていう意思がすごく大切。
心の掃除

習慣にしてしまうしかないんですね。
「アホ」とか「ボケ」とか、
そういう汚い言葉を、
特に関西人はよく使いますがね。
わたしもそうなんですが、
なにしろボキャブラリーが吉本新喜劇なもんで。
>アホか!
っていうのはもう、
日常の慣用句みたいになっちゃってますよね。
なのでこれを言葉の暴力だとかパワハラ
なんて決めつけられると、
あしたからしゃべれない。
女の子の肩をポンとたたくだけで、
セクハラだと騒がれて変態ジジイ扱いされるよりまだキツい。
しかしまあ、
どうやらそんな時代なんです。
守られるのが当然の時代。
でも逆にね、
これをいい機会だととらえてね、
こういう心の軽犯罪から取り締まっていったらいいんですよ。
「アホ」っていう単語をNGワードにすることで、
ネガティブ傾向全般に対する意識が高まるならけっこうなことです。
わたしたち自身がやっていることですからね、
心の中を精査したらだいたいのことはわかるでしょう。
怒りや憎しみでやったことなのか、
スケベ心が湧いたのか、
幼稚ないじわるなのか愛なのか。
たいした考えもなくただ感情的に振る舞うのが習慣になっているだけなのか。
現実にはどちらかが100%なんてことはほとんどなくて、
入り混じっているんでしょうけどね。
>傷つけるつもりじゃなかったんだ。
だなんて、
虫のいい逃げ口上ですよ。
幼児虐待のニュースを思い出してください。
2歳、3歳のわが子を、
裸でベランダに放り出したり、
縛りつけたり吊り下げたりする悪魔的な親たちの言い草──
>これはしつけだ。
>殺すつもりなんかなかった。

──本人たちにとっては、
それが正真正銘の愛であり、
親の責任を果たしたまでのことなんでしょうよ。
ストーカーも同じ。
>ぼくは彼女を愛してた。
>彼女もぼくのことを愛してくれてた。
>そんなぼくたちのじゃまをするやつが許せなかった。

って、
彼氏のほうを殺しちゃったりするわけなんですが、
とにかく正義は我れにあり
そんなんといっしょじゃないって、
あなたは言い切れますか。
>従業員教育の一貫としてやっていることです。
>わが社の指導方法です。

なんて言ったって、
通らない時代になってきています。
もう何年もまえのことになりますが、
わたしが子ども(うちの息子)にゲンコツしたら、
それは絶対にダメだとこっぴどく叱られました。
暴力なんですってね、
ゲンコツも。
線引きができないんです。
それを許すとあれもこれも許さなければならなくなるっていうこと。
ゲンコツ食らったうちの子がよその子どもを殴ったとき、
オヤジのゲンコツがセーフで子どものパンチがアウトだという説明が成り立たない。
愛情から出たものであろうと、
憎しみから出たものであろうと、
文字で書いたら同じ。
>アホか!
って言うときの感情もいろいろでしょ。
好きな人に向かって言うことだってあるし嫌いなヤツにももちろん言う。
冗談で言っても本気で言っても文字に書いたら同じ。
だから現代の職場では、
「アホ」「ボケ」「バカヤロー」も、
パワハラ用語として取り締まりの対象です。
あなたがどういうつもりで言ったかは関係ない。
言われたほうがどう感じたかが問題だ。
ナイフを振りまわしているのと同じなんだと、
そう考えるようにしましょう。
体罰なんてもう論外。
一発退場です。
だからですね、
やっぱり今日の言い方はマズかったんですよ。
あした、
あやまりましょうか。
>悪かった。
>わたしが言いすぎた。

と、
たった2秒で終わります。
>いや、しかし、
>あれくらい厳しくしないと、
>甘い態度で接していては、
>ただでさえ自覚が足りないのに、
>あいつが伸びなくなるんじゃ‥‥

とかなんとか、
まだそんなふうに思うとしたら、
これはかなり低級な心の反応だとわかりますね。
厳しくするってなんですかそれ?
感情をブチまけることですか?
あなた、
ほんとうはめんどくさいだけじゃないんですか。

じゃあ最後に、
否定すること(咎める、裁く、責める‥‥)より恐ろしい、
心の凶器について述べておきましょう。
部下の心があなたから離れていったのは、
もしかしたらこれのせいかもしれません。
その恐ろしい凶器とは──
無関心
ですよね。
意図的に無視するんじゃないんです。
はじめっから関心がないのともちがう。
他のことに気を取られ、
部下の仕事ぶりや生活についての関心を
一時的に失った状態


怖いんです。
>この件はキミに任せただろ。
>わたしにはわからないよ。

とか
>いまさらそんなこと言われても困るんだよね、
>なんでそうなったか聞いてないし、
>詳しいことは知らないんだからさ。

みたいな言い方、
身に覚えがありませんか。
叱るとかほめるとかの次元ではなく、
あなたはときどき、
部下に対する関心を失っているのではないですか。
知らない、わからない、聞いてない、
と、
無自覚によく口にする上司

は、
自分の忙しさにかまけて、
部下に払うべき必要最低限の敬意を忘れているんです。
ま、
これからはそんなんも
モラハラっていう罪状

取り締まられることになります。
要するに、
どんなかたちでも他人に不快感を与えたら罪人。
罪人にされるまえに気づきましょう。
ボイスレコーダで会話を録音されたりして、
証拠固めされるまえに直しましょう。
彼、彼女が、
どんな気持ちで、
がんばってくれていたか、
いま、
思い出してあげてください。
あなたから、
どんな声をかけてほしかったか。
たった一声でいい、
どんなふうに言ってもらいたかったのか。
それをいま、ここで、
目を閉じて、
じっと。
あやまるより簡単じゃないですか。

笑顔は苦痛か

笑顔は苦痛ですか?
あいさつは苦痛ですか?
トイレ掃除は苦痛ですか?

──いやまったく、
わたしが言うのもなんなんですけど、
いろんな人がいてるもんです。
今回は、
職場で笑顔のない社員をどうするか?
っていう難問に
取り組んでみましょう。
>そんな愛想の悪いやつ、
>はじめから採用しなきゃいいじゃないか。

っていう答はナシってことで、
もう雇っちゃったってことにしてください。
仕事をさせてみてしばらくたってから、
事の重大さに気づいたっていう場面設定です。
会社から見て「笑わない」ってことは、
本人にとってみれば「笑えない」っていう、
双方にとって深刻なテーマです。
そういえば、
「スマイル」をメニューに載せて、
0円で販売してたのは日本マクドナルド。
なかなかウィットの利いたシャレで、
けっこう有名ですが、
昨年(2012)なぜかこの「0円のスマイル」がメニューから消えました。
マクドナルド側は、
>常にスマイルを提供しているため
>あえて「スマイル¥0」のメニューはなくしました

とコメントしたとか。
ほんとうは笑顔のできる若い子が減ってしまったために、
恥ずかしくってやってられなくなったんじゃあ‥‥

勘ぐりたくもなりますがね。
ところがまた先月、
そのメニューが突然復活したようです。
なんだかブレてますね、あの会社。
ま、それはさておき、
接客業やサービス業では、
笑顔は欠かせません。
いちばん大事な素養のひとつです。
ほんとうは職種に関係なく大切なものなのですが、
人と接するコミュニケーションの場においては、
特に、特に、特に、大切とされています。
だから、ややこしい。
人の心をハッピーにするはずの笑顔が、
実は反対に、
多くの人にとってすごく大きな心の負担になっている。
いつも朗らかで人気者でモテモテなあなたにとってみれば、
信じられないことかもしれませんが、
正直に微笑むことができない人が7割以上いるのです。
電車とかバスに乗ってまわりを見渡してみれば一目瞭然ですが、
ふだんからあたりまえにニコニコしている人っていうのは
100人にひとり
か、
まぁせいぜいふたり。
そんな確率です。
あとの人は、
スイッチを入れるみたいにして必要に応じて笑顔になるか、
そのスイッチの入れ方がわからないから笑顔が苦手になるか。
中には確信犯的に、
「ここじゃ笑いたくないから笑わない」っていうタイプもいます。
本人いわく
>楽しいときはちゃんと笑える。
>わたしが笑えないのはこの職場の雰囲気のせい。

ってことらしいんですけど。
組織としてはこういうのがいちばん厄介です。
辞めてもらうのが本人のためにもいちばんいいかもです。
表情っていうのは心の状態があらわれます。
情が表れるから表情っていうんですもんね。
心が未成熟でしんどい人は、
やっぱり表情もしんどくなる。
心がおもしろくなければ顔もおもしろくない。
求人/採用/神戸 >笑顔しろ!
って命令してそいつが笑顔になるくらいなら、
なんの苦労もありません。
ただ口角を上げるだけの簡単なことができないんです。
10秒と持続できない。
口は横に開いたとしても目つきがどんより苦しそう‥‥とか。
これは、
わたし自身も経験してますからよーくわかります。
むかしサラリーマンだったとき、
営業部では笑顔は絶対でしたもんね。
さからえない強制命令でしたし、
ここぞとばかり徹底的にシゴかれました。
素直じゃなかったわたしにはスマイルはちっとも身につかず、
辞表を書いた理由のひとつになりました。
>笑顔って
>とっても大切なんだよ(≡^∇^≡)

なんて
能天気にホザいているヤツを見ると、
ウザい、気持ち悪い、アホくさい、仲良くしたくない‥‥
と、
40歳をすぎてもまだ本気で思ってました。
(そんなわたしがいまじゃ部下に笑顔を注意している‥‥
ってのは宇宙の七不思議ですなあ。)

自分の心の向きとちがうことをやらされるのは苦痛です。
屈辱的と言えるほど大きな苦痛です。

しかも、
笑顔のないその社員は、
過去にも同じような注意を受け、
すでにトラウマ(心的外傷)を負っている可能性が高い。
本人はいたって「ふつう」な気分で「ふつう」な顔をしているつもりなのに、
まわりから見たら不機嫌そうに見えるってことで、
不機嫌な顔をするなと叱られる。
生意気だといっていじめられることもある。
こういう注意をね、
若いころからもう何百回、何千回とやられますとね、
ひねくれるなっていうほうが無理なくらい。
心はかなり深刻にへこたれてしまいます。
注意を与える側は2度や3度のことなので無責任なもんなんですけど、
いろんな人から同じことをくりかえし注意されるもんですから、
受けるほうは何百回、何千回と積もってきます。
このストレスは小さくありません。
何にも自信のもてない萎縮した人格ができあがってしまうでしょう。
ゆがんだ笑顔

クセになったりします。
あなたはだいじょうぶですか?
世の中ね、
いろんな人相がありますよ。
目尻が垂れ下がって丸顔の人──笑福亭鶴瓶さんとか──のように、
「ふつう」にしているだけで機嫌がよさそうに見えるタイプもある。
ヤクザみたいな顔つきの人は、
銭湯でシャンプーしてても怖い。
笑顔じゃないことを責められすぎる苦痛を味わっている人は、
実は世間で認識されているよりはるかに多い。
愛想がよくないことを気に病んでいる人は驚くほど多いです。
>自分は、
>いっしょにいて感じのいい人間じゃない

と、
あるときガツンと自覚してしまったその人たちは、
ある種のまずい行動パターンを取りがちです。
好かれるためにウソの笑顔をつくる
といったパターンです。
ふつうの自分には魅力がない。
ふつうにしてたら好かれない。

と、
こんな恐怖に従って取る行動パターンは、
かなり大切な原則にもとづいて、
たいてい悲劇的な結果を生んでしまいます。
その人は追いつめられてどんどん自分の魅力を過小評価し、
ますます好かれないことになるでしょう。
心のスタンバイができていない相手に、
笑顔を強制していると逆に性格に歪みが生じます。
>心が泣いているときでも顔ではニコニコしてろよ。
──なんていうのは
心が成熟した大人に対してだけ言ってもいいアドバイスです。
相手がプロならこれは当然のこととして注意していい。
しかし、
自分の気のもちようには責任がある
っていう言葉の意味もわからんガキんちょに、
笑顔なんて求めてはいけません。
強制したところで何も身につかない。
ガキんちょはガキんちょでも、
逆ギレするガキはまだ幸運。
居直ることで本人は救われますから。
>オレがどんな顔で街を歩こうがオレの勝手やろうが。
>いちいちエラそうにケチつけてんじゃねぇよ。
>しんどいときにしんどそうな顔して何が悪いんや?
>これがオレなんや。
>オレはこういう人間なんや。
>なんか文句あんのか?
>オッ?

──な~んて
厚かましく見栄が切れるってヤツは、
ある意味マシなんです。
居直ってしまえば、
あるていどは楽になれる。
もっとも
別の試練が別の場所で待っているのは確実ですが‥‥ね。
さあいずれにせよ、
こんな社員が笑顔を取り戻すまで、
あなたの会社は面倒みてあげられるんですか?
>そういう愛想の悪いやつは、
>笑顔のいらない部署にまわしときゃいい。
>1日じゅう削るだけとか運ぶだけ調べるだけとか、
>誰とも話す必要もないし笑顔なんか関係ない、
>そういう仕事をさせときゃいい。

‥‥っていう対処は、
ま、
それができる組織ならそれでいいかもしれません。
要は会社の育成方針として、
そこらへんが整理してありますかってことなんです。
与えた仕事をとりあえずこなしてくれたらそれでいい
ってことなのかどうか。
人は変わらない
という前提に立つのかどうか。
変わるという前提で育てるなら、
どんな制度でどのくらいの期間かけて育てるのか。
期待どおりの結果が出なければどうするのか。
真理からいえば、
どんな無愛想な人間でも、
ニコニコした仏さんみたいな人格に生まれ変わることはできます。
しかし経営者は心理セラピストではありません。
笑顔を忘れた人間に、
それを取り戻すまでカウンセリングを続けるわけにはいきません。
何年かかるかわからない話ですから。
人財育成をどう考えるのか。
どっちつかずの方針では、
お互いが傷つくことになりかねません。
結論としてはやはり──
どんな会社にしたいのか?
っていう問いかけへあなたが戻っていくことです。
それに尽きます。
こんな会社にしたい。
だからこんな人財が、
こんなふうに育ってほしい。
だからこういう評価制度を設けてうんぬんかんぬん‥‥
っていう順序でいくしかないんじゃないでしょうか。
わたしたちの会社ではそこのところ、
もう妥協しないことに決めました。
笑顔のない人には辞表を書いてもらいます。
ガキんちょが大人になるまで、
寛容に見守ってあげるだけの包容力が、
まだウチにはないと判断したからです。
笑顔のない人が、
どうしたら笑顔になれるか‥‥っていうテーマは、
また別のところで取りあげることにします。
「会社に来たら、絶対ニコニコしていろ」って、私はいつも言っています。
うちはブスーっとしているだけでクビなんです。
「私は何にもしていないのにクビになった」と言っても、しているんですよ。ブスっと。
ブスっとしているだけで、まわり近所は気分が悪くなるんです。
会社へ来たらニコニコとしているものなんです。
ここで飯食ってもいいけど、ここでウンコをしちゃいけないんだよ。
ウンコするんだったら、便所に行け。
それと同じことなんだよ。
「ウンコみたいなブスっとした顔するなら、便所から出てくるなよ」って、つね日頃から言っていなきゃ駄目なの。
これってね、大切なの。
うちの会社はこういう会社だって、つね日頃から言っていれば、みんなもそうだと思うのです。
これってね、大切なの。
そのお陰で、うちの会社はブスっとしててクビになった奴はひとりもいないんだよ。
ブスっとする前に言う、これが大切なんだ。
   ***
商人は笑顔しかないんだよ。
怒った顔もなければ、泣いた顔もない。
役者なんて、いろんな役やらなければならないんだよ。
商人はワンパターンでいいのに、なぜできないんだよって。役者だと思ってみろよって。
役者なら、どんな役だってやるんだよって。
商人は、笑顔しかないんだよ。
葬儀屋じゃないんだから、毎日ニコニコしていればいいんだよ。
こんな楽な仕事はないのです。
「なぜ、できないんだよ。それで、笑顔のつもりかよ」って。
「もっと笑って見えなければ駄目なんだよ。鏡見て研究しなよ」って。
「おまえのハーイ!はハーイ!になってないんだよ」って。
お客さんが来たとき、うれしそうな返事じゃなきゃ駄目なんだよ。
追求して追求して追求するから楽しいんだよ。
なんでもそうなんだよ。
斎藤一人「人生が全部うまくいく話」より

社員はもっとも信頼できるパートナー?

>うちの会社は、
>従業員の権利や、やる気や能力、人間としての価値を、
>じゅうぶん認めてくれる。
>だから、
>仕事を通じて自分が成長していると実感できる。
>いい会社だ。

──あなたの会社の社員さんは、
こんなウレしいことを言ってくれるでしょうか?
もし答が「イエス」なら、
すばらしいことです。
全員がそうではないにしても、
せめて幹部社員にはこのくらいのことは言うてほしいですよね。
社員が不平不満ばかり口にして、
経営陣を非難しながら次々と辞めていく会社と、
どこがどうちがうんでしょうか。
給料が高いとか、
休みが多いという待遇面だけでは、
こんなふうにはなりません。
今回のテーマは人間尊重
わ~重たっε=( ̄。 ̄;)
経営指針づくり勉強会のたびに、
賛否が激しく分かれるところであります。
労使見解の第2章「対等な労使関係」のところ、
どうしても理解できないという人が必ず何人かいるんです。
経営者と社員は対等な関係にある
って言われても、
どうもすっきりせず、
違和感を覚える経営者が大半です。
ただしこれは、
正しいとか間違っているということではありません。
中小企業家同友会ではこういう経営を推進してますよ、
こんな考え方もあるんじゃないですか、
っていう話です。
 企業内においては、労働者は一定の契約にもとづいて経営者に労働力を提供するわけですが、労働者の全人格を束縛するわけではありません。
 契約は双方対等の立場で取り交わされることがたてまえですから、労働者が契約内容に不満をもち、改訂を求めることは、むしろ当然のことと割り切って考えなければなりません。その意味で労使は相互に独立した人格と権利をもった対等な関係にあるといえます。中小企業家同友会全国協議会「中小企業における労使関係の見解」(1975)より

──あたりまえのことがあたりまえに書いてあるだけじゃないか‥‥
って気もするんですけど、
ここに出てくる「対等」の解釈しだいでは、
どうもやっぱり引っかかるらしいんです。
>そんなバカな話がありますか。
>対等なんてただのきれいごとですよ。
>こっちは給料を払っているんだから、
>そのぶんだけ働いて返すのは社員の義務。
>理想として掲げるのは勝手でしょうけど、
>うちではそんなこと口が裂けても言えません。

──と
セミナーの途中に激高して、
机を蹴って出て行ってしまった会員さんもいたという話が
まことしやかに伝えられているくらいです。
(残念ながら、
そのあと早々に退会されたとか。)
 ここもずいぶんと議論が百出しました。労使は果たして対等か、という点ではかなり異論が出ました。
 経営者は資本も生産設備も一切を提供しており、全財産を投げ出している。自宅も担保に入れてすべて保証している。労働者は体一つで働いている。これはいったい対等なのか。かなり深刻な議論がありました。「人を生かす経営」より(田山謙堂「人を生かす経営とは」)

──労使見解ができた当時から、
やっぱりいろいろモメてたところのようでして、
そんなに簡単に理解できるものでもなさそうです。
雇う側と雇われる側では、
まず、
責任の重さがぜんぜんちがいますね。
そのかわりといっちゃなんですが、
もらうお金の額もちがう。
権利義務もまったくちがう。
え?
話しあうときの態度がぜんぜんちがう?
ああ、
それもそうですね。
とにかく、
ちがうことばっかりだっていうのに‥‥
対等な関係
を、
どう解釈すればいいのか?
>こう考えないとうまくいかないんだから、
>とにかくこんなふうに思え。
>これがわからない経営者はダメだ。

‥‥と、
頭ごなしの教え方をしてる人もいますけど、
そう思えと言われてそのとおりに思えるほど、
人の心は便利にできてない。
理屈ではわかったとしても、
ホンネのところで心持ちがついていかない。
だからこそ、
そこで経営者としての器の大きさってもんに差がついて、
まとまれる会社とばらばらな会社の差になるんでしょうけども。
ちょっとでも対等っていう心持ちに近づきたいってことで、
中小企業家同友会に入会してまもなく10年のわたしが、
今日までに学んだところの解釈を述べますと──
立場のちがいを受け入れ、
お互いの存在を認めあい、
人間として尊重しあおうという、
その気持ちの姿勢において

対等なんだという解釈です。
夫婦関係にたとえてみても、
これは同じことが言えます。
妻が専業主婦という家庭の例で説明しましょう。
>オレが働いて稼いできたカネなんだから、
>どう使おうとオレの勝手だ。
>おまえはオレが養ってやってるんだから、
>この家のことを決める権利はオレにあるんだ。


夫が主張したとするとどうでしょう?
夫はこれを当然の権利だと思いこんでいますから、
妻が少なくとも半分の使い道を決める権利が自分にあると言い出しても、
まったく聞き入れないでしょう。
相手がいてくれてこその自分だ
という感覚がごっそり欠如していますよね。
ジジイのみなさんには申し訳ないが、
時代が古いほどこの傾向は強いです。
わたしも含め、
年寄りはみな胸襟を正さねばなりますまい。
対等な関係はこれとは反対です。
自分は外で働いて収入を得るという役割、
妻は妻として、
家事をこなし子どもを育てるという役割、
それぞれの役割を果たす
という意味において、
どちらが優れているとか劣っているとかなしに、
お互いによくやっている。

──そんなふうに認めあうことにおいて対等なのです。
もっと正確には、
お互いに認めあおうと努力する意思において対等
平たく言えば、
愛しあう気持ちが対等
ε=( ̄。 ̄;)
社長には社長の役割、
社員には社員の役割があります。
しかたがなしに押しつけられた役割ならともかく、
あなたはその役割を自分で選んだのではないのですか?
>じゃあ‥‥
>対等だとしても平等じゃないだろう


反論する人も必ず出てきますが、
ま、
そこまではわたしもよくわかりません。
ただ、
それぞれがそれぞれの役割を誠実に果たす使命を与えられている
という点では、
人はみな平等だというふうにも思えます。
>うん、よし、そこまではわかった。
>じゃあ、よしんば対等で平等だとしても、
>公平ではないだろう?


そこまで食い下がってきた人はいませんが、
さあ‥‥どうでしょう?
不公平なこと、
ありすぎるように見えてますからねぇ、
この三次元社会ではねぇ‥‥。
不公平なことがあったとしても、
それを乗り越える心の力を平等に与えられている

という点では、
やっぱり公平なんじゃないかとも考えられませんかねぇ?
生かされてさえいれば‥‥
という条件はつくでしょうけど。
ε=( ̄。 ̄;)
あ、いささか脱線しました。
対等
っていうところ、
ちょっとはすっきりしてきましたでしょうか?
そこまでわかってもまだ、
あなたのことを認めないアホな社員がいるんですよね。
せっかくつくった経営理念をあざ笑うかのように、
ボケーッとした態度でミスばかりくりかえすんですよね。
こっちは相手のことを認めようと必死で努力してるのに、
相手は自分のことしか考えてない。
と、あなたの目には映る。
──それ、わかります。
10人のうち2~3人は信頼できるパートナーっぽいとしても、
残りの連中はどうでしょう?
あなたの目には、
どう見ても給料のために来てるだけなんですよね。
決められたことを決められたままに最低限こなしているだけと映る。
がっくりするし腹も立つ。
経営者はたいへんです。
でもね、
途方に暮れるほど遠い道のりだからこそ、
そこで差がつくってことなんでしょうよ。
>ウチの会社は自分を認めてくれる。
って
社員が思ってくれるかくれないか。
何年か後に差がつくのはそこだってことですよ。
相手を認めるという努力を、
やりきるリーダーと投げ出すリーダーの差なんです。
オレの言うことがきけないなら会社を辞めろ

怒鳴りたくなる気持ち、
よくわかります。
わかりますが、
そういうタイプの経営者は生き残れません。
絶滅危惧種といってもいい。
なんだかしりませんけど
ちかごろの若ぇもんはワンピース世代っちゅうのか、
みんな仲間
っていう意識がたくましい。
だから、
対等な労使関係ってもんに対しても、
ジジイみたいな拒絶反応がない。
「労」とか「使」とかに分かれた
対立構造が存在していること自体が
そもそも理解できないくらいらしく‥‥、
なので若い経営者ほどここのところの飲み込みは早いです。
田山謙堂さんもびっくらこくでおますかなぁε=( ̄。 ̄;)
「強制する」とか「義務づける」っていう手法そのものが、
もう受け入れられない時代なんですから、
人間尊重を基本にした「人を生かす経営」の重要性が
今後ますます高まっていくことでしょう。
対等で平等で公平‥‥なんて、
経営者を苦しめるための十字架じゃないのか、
学べば学ぶほどよけい苦しいじゃないか。
アホらしすぎてやってられん‥‥

と、
そんなんもよくわかります。
そうであってもどうであっても、
愛だろ、愛。

あなたが育ててきたもののほうを見てみましょう。
なにもしてこなかったわけじゃないですって。

リーダー対談──わがままな二代目

このごろちょっと、
気持ちが行き詰まってる感じなんですわ。

こんどはなんです?

どうもしんどいんですよ、
専務っていう肩書きになってから。

重荷なんですか、
肩書きが。

ああ、
まぁそんな感じかもわかりませんわ。
いままで好き勝手やってきたのに、
息子っていうだけで専務にさせられてしもたんやから。

「させられた」っていう言い方はちがうでしょ。
ゆくゆくは社長になるわけやし。

まだ準備がでけてへんってことですやろ。
覚悟っちゅうか、ね。
そんなもんが足りてません。
それは認めますわ。

社員さんとなんかあったんですね。
あぁ‥‥
また誰か辞めましたか。

実はそうなんですわ、
吉岡がね。

吉岡さんですか‥‥。
こう次から次と幹部に辞められるとキツいですね。

ぼくの不徳の致すところです。

本気でそう思てますか?

え、えぇ‥‥

思てないようですね。

いやぁ~ぼくはねぇ、
部下に対してはねぇ、
水瓶(みずがめ)のような存在でありたいと思ってるんですが‥‥

はぁ‥‥?
水瓶ですか。

社員のね、
わがままや過ちや悩みや痛みをね、
丸ごと受け入れることのできる器の大きい人間のイメージですわ。

立派な話ですやん。

いまのぼくとは正反対やって思ってるでしょ。

‥‥たしかに、
意外な感じはしますわな。

ええですよ、どう思われても。
でもね、
そういう人間がぼくの理想でしたんや。

ないものねだりですね。

‥‥。
あいかわらずキツですねぇ~先生は。

ま、冗談ですけどね、
理想っていうくらいなら、
もちろんそこに向かって努力してたんでしょうな。

いや、それが、
あいかわらず忙しくてそれどころじゃなくて‥‥

やっぱりね。

仕事に熱すぎるんですかね。

そういう問題じゃないでしょう。

じゃあどういう問題ですか。

あなたはなんでも自分が最優先だから難しいんですよ。
自分が腹いっぱいになってからでないと、
社員に分けてやろうとしないところがある。
いや、
たとえ自分が腹いっぱいでも冷蔵庫にしまいこむタイプかな。

誰でもそんなもんじゃないっすか。

そこまで乾いちゃいないでしょうね、
世の中は。

あのね、先生、
いまの連中はね、ぬるいんですよ。
ゆとりだかなんだか知りませんがね、
ぼくらは根性の世代でしょ。
闘ってナンボじゃないですか。
ぼくが飢えているときには誰も恵んでくれたりしませんでしたよ。

それはあなたにかわいげがないからですよ。

そんなこと言われなくったってわかってますよ。
だから、
かわいげのないやつは自分でガツガツしないとダメなんでしょ。

また屁理屈ですか。
わたしと屁理屈でやりあうんですか。

あ、すいません。
でも、
だってそうでしょ。

だったらつまらん理想なんて掲げてないで、
死ぬまでガツガツしてたらどうですか。

いや‥‥それがね、
近ごろスケベ欲が衰えてきました。

それはおめでとう。
性欲の減退は人格者への第一歩ですから。

そうなんですか?
だったらうれしいなあ。

ほんとうならね‥‥

けっきょくぼくはどんな人間になりたいんでしょう?

それは知りませんが、
あなたは自分がどんな人間であるかということよりも、
何を手に入れたかを問題にするタイプです
よね。

なるほど。
今はそうかもしれません。
でも、
マズローっていう人が言ったように、
最後は自己実現欲求に行き着くと思うんですよ。

行き着きますかね。

どういう意味です?

欲望の大きさに比例して足りないものが増えていく。

え?

足りないものがあるうちは、
自己実現なんて絵空事だってことですよ。

むずかしいんですけど、
そんなもんですか。

あなたの場合はそうでしょうね。
まだまだ満たされない欲望が大きくて、
心がギタギタしているでしょ。
だから、
欲しいものがあるならかたっぱしから手に入れる。
やりたいことがあったらそれもやってしまう。
話はそれからでしょうね。

いや、でもね、
スケベ欲は衰えてきたって言うてますやん。

衰えたんじゃなくて、
いまの女に飽きただけでしょ。

ちゃ、ちゃいますよ。
まじめに経営のことを考え出したんですわ。
ほんとうに水瓶のような大きな器になりたいんです。

では、
女と遊ぶ以外にしたいことがありますか。

ないですね。

‥‥(-_-;)
ハッキリしててよろしいがね、
しかし、
あなたが女に金を使うところを社員が見てるんですよ。

まさか面が割れてる?
いや、
ぼくの女は社員には誰も会わせてませんが。

そういう意味じゃなくて、
自分たちが必死で働いて稼いだ金を、
あなたがどこで何に使ってるかっていうことは、
ちゃんと社員に伝わるっていう話です。

伝わりますかね。

もちろん伝わります。
あなたには見られているつもりがなくても、
社員は見てます。

すっごい美人てわけやないけど、
なかなか気の利くええ女ですよ。
堀内敬子って女優、わかります?
そっくりなんですわ。

‥‥
水瓶の話に戻りましょうか。

あっ、はい。

わたしには、
あなたはたいへん自分本位でわがままな人に見えてます。

ジコチュウってやつでしょ、
はい、そのとおり、
ヨメにもさんざん言われてますしね、自覚してます。
社員もみんなね、
先代がいるからがんばってくれているようなもんで、
誰もわたしについてきてくれるわけじゃないことも知ってます。

でも水瓶が理想なんですね、
まちがいないですか。
そこがブレたらもう知りませんよ。

そこはホンマです。
このままじゃあかんと思ってます。
バカな二代目ですけど。

バカっていうか、
まぁ‥‥典型的っていうか、
よくあるタイプですけど、
とにかく「水瓶」っていう切り口はおもしろい。

そこはぜったいブレません。

だったらわたしの提案は、
なりたい自分のイメージとリンクした経営指針書をつくることです。
指針書の中で、
社員にもその想いを伝えたほうがよろしい。

水瓶のことを社員にしゃべるんですか。

もちろんです。
あなたが本気で取り組める数少ないテーマのひとつでしょう。

いや、まぁ、
そうですけど。

宣言して約束することで、
モチベーションが一気に高まりますよ。
環境も整います。

いや、でも、あきません。
照れくさいですわ。

照れくさいことをやることが変わるってことですよ。

はい?

変わるってことには勇気がいるんです。

はい。
それはわかります。

勇気の定義は何ですか?

え?
急に言われてもわかりませんけど‥‥
困難や危機に直面したときに、
逃げずに立ち向かうことですか。

逃げずに立ち向かったら勇気ですか。

わかりません。

困難でも危機でも、
そのとき自分がどう感じているかがポイントです。
怖いと感じたり不安を感じたりする、
そんな
向かい風の感情から逃げずに立ち向かうことが勇気ですよね。

だからなんです?

照れくさいっていうのも向かい風の感情ですから。
勇気が必要だってことですよ。
だいたいあなたはこの会社に来てから
勇気を出して行動したことがありますか。

そんなこと、
あんまり意識したことないですけど、
苦しいからといって逃げるタイプじゃないですな。

苦しいのと勇気は関係ありません。
足を引っぱる感情ではありますが、
向かってくる感情ではありませんのでね。
そのときに「怖い」と感じていたかどうか。

怖いとかそういう感じはあまり‥‥

そうですよね。
だから「勇気を出して」とか言われてもね、
どうしていいかわからないですよね、ふつう。

はあ‥‥

日常の生活でね、
勇気を出すっていうのをいちばんわかりやすく言いますとね、
「恥ずかしい」とか「照れくさい」っていうときに、
それに逆らって行動するのが勇気ですよ。

恥ずかしいとか照れくさいときに、
それに逆らって行動‥‥

そうです。
それが勇気を育てる最短距離です。
戦闘はいりません。
これ、
とっても役に立つアドバイスなんで、
社員さんともぜひ共有して経営習慣にしてください。
ああ‥‥話が脱線しましたね。

なんの話でしたっけ?

水瓶ですよ。

ああっ、そうでした。

照れくさいと思うときこそやるんですよ。
いいですか。
こんどの経営指針書に必ず
「水瓶になりたい」っていうフレーズを入れて、
それを社員の前で発表してください。

はあ‥‥
いやでもやっぱり照れくさいですわ。

水瓶が理想でしょ。
なりたいんですかなりたくないんですか、
水瓶に。

あの‥‥水瓶になりたいんちゃいますよ。
水瓶のような大きな器の人間になりたいって言うたんです。

そうでしたっけ?

新卒採用に勝る人財育成なし

出来の悪い社員を雇うほど、
会社の人財が育つ

という、
バカバカしいくらいパラドキシカルな話をしましょう。
この言葉を聞いただけでオチが読めたあなたはエラい!
かなり経営センスのある大社長だナ。
=^-^=
さて‥‥
採用に勝る教育なし
という言葉、
どういう意味だかごぞんじでしょうか。
どうもわたしは、
この言葉の意味を誤解していたようなので、
いちおう確認なんですが、
世間一般の解釈では
>人間の基本的な能力とか人格は、
>会社があれこれ苦心して教育しても
>それほど劇的に成長するものでもないんだから、
>はじめからできるヤツを採用しておくことが大事なんだ。

という趣旨のようです。
なのでこの言葉は、
採用支援や就職支援を商売にしている会社が好んで使ったりするんですな。
ところがわたしはこの言葉の意味を聞いたとき、
ぜんぜんちがうふうに解釈してしまった。
というのは──
人を採用するっていうのはほんとうにたいへんだ。
社会のしくみもまだわからん若ゾウに、
会社ってもんを教えこんでいかなきゃならない。
そこで、超未熟な若ゾウに四苦八苦しながら「仕事を教える」
というプロセスを通して、
実は教えている側の先輩のほうがものすごく育つんだ。
だから採用っていうのは、
よしんばその採用自体が失敗だったとしても、
他のどんな教育よりも人財を育てることにつながるんだ。

──っていう意味だと思った。
だからある意味、
バカな(と思える)ヤツを採れば採るほど、
それを指導する側の学びは多いってことになります。
だから
新卒採用に勝る人財育成なし
なんです。
どうです?
>新卒採用なんてとんでもない!
っていう社長さん、
たくさんいてますね。
50人とか100人とか、
けっこうな規模になっても、
新卒だけは採らないっていう方針の会社も珍しくない。
採算を合理的に計算するとそうなるんでしょうかなぁ。
年齢構成上のバランスとか、
いろいろ事情はあるでしょうけども、
即戦力のほうがありがたいんですよね、
ふつうはね。
新卒しか採らない大企業の話はぜんぜん別次元なので無視しますけど、
まぁたしかに、
右も左もわからんような社会人1年生に入ってこられてもねぇ‥‥、
なんにも使えない。
野球でいうと球拾いもろくにできない
つまり、
口のきき方も知らんから、
あいさつから教えないといけない。
人格が定まってないから、
なにをしでかすかわからないリスクも大きい。
だからそこは先行投資だと割り切るしかないのかもしれませんが、
意外とそうでもないですよ
‥‥っていう意味は、
やっぱりそこで、
雇った側の先輩のほうが、
ものすごく育てられているからなんです。
おわかりですやんね?
社長のあなた自身を含む経営幹部のほうが育てられている
ってことですやん。
ドアホな若ゾウにふりまわされてるうちにこそ、
こっちの人間力が磨かれる‥‥
っていうアイロニックな側面があるから人財はおもしろい。
四年制大学を出た者しか採用しないという大企業ではね、
味わいたくても味わえない苦労があるでしょ?
中小零細には。
>こんなクソみたいな人間、
>使えるもんなら使ってみい!

って
ブチ切れたこと、
ありますでしょ?
ならぬ堪忍するが堪忍
とかなんとか言いきかせながら、
そこを越えてきたところにいまのあなたの人間力があるはずです。
そんなドアホだった新入りが、
いまはそこそこ使いもんになっているっていうならすばらしいこと。
あなたとあなたの組織が立派に育ててきた宝物じゃないですか。
でもそれはその反対側で、
その、アホだと思っていた相手に、
あなたとあなたの組織が育ててもらった
っていう真理があるんです。
もうちょっと仕事のできる優秀なヤツが入ってくれてたら‥‥

恨み言のひとつもこぼしたくなる気持ち、
よ~くわかります。
そんな有能な社員が来てくれたら、
たしかに、
業績も伸びて利益も増えるかもしれない。
もっと楽に会社がまわせるかもわからない。
でもそのぶん学びは減るでしょうね。
しんどいってことは、
>おまえはまだ学ぶ余地がある。
っていう神の意思ですよ。
けっきょくのところ、
あなたの学びがまだ足りないので、
これほどまでにアホな(とあなたが思っている)社員しか来てくれない程度の会社に
あなた自身がしているってことですがね。
だから、
いっぺんやってみましょう新卒採用を(*^_^*)
いや、
中途採用をやめろとまでは言ってません。
もしいままで取り組まれたことがないなら、
新卒採用ってもんを一度は試みられたらどうでしょうかという意味です。
社歴や規模にもよりますが、
仕事の流れがグチャグチャになって、
組織がつぶれるかと思うくらいひどいことになることもあります。
社会のイロハを知らんクソガキは、
組織にとっては劇薬です。
そいつに払ってやってる給料はまるでドブに捨てているみたいに感じられるでしょう。
古株が寄ってたかって新入りのほうをつぶしてしまうかもしれません。
だからいいんですよ、新卒採用は。
そこにチャンスがあるんだと気づき続けられるかぎり、
あきらめない価値があるんですよ、人財育成は。

楽しいですよね(≡^∇^≡)
>だったら中途採用でも、
>使えそうにないヤツをわざわざ雇ったらええのか?

っていうバカバカしい屁理屈が浮かんでしまったあなたのために言いますが、
そこまでチャレンジングな積極性が
あなたの会社の企業文化として根づいたとしたらたいへんけっこうなことです。
否定はしませんよ。
もしかしてそういう社会貢献のために、
会社を経営してるっていう強者がいてもおかしくないわけですし。
(いるんですけど。)
それで組織がどんなことになったか、
何年かたってからまた情報交換しましょう。
ちなみに中小企業家同友会では、
「共同求人活動」という、
小さい会社が一社単独ではできない新卒採用を、
共同でやろうという実にありがたいしくみがあります。
これと「経営指針成文化」「社員教育(共育)」を合わせて
「三位一体の経営」と呼んでいるくらい、
新卒の採用を重要視しているってことなんです。
すばらしいですよネ(≡^∇^≡)

責任は快感

重い責任を背負うと心が軽くなる
という、
パラドックスっぽい話をしましょう。
責任と聞くと、
なんだか重っ苦しい気がして、
まわれ右して逃げ出そうとする人が
少なからずいてるでしょうね?
パトカーを見ると、
ギクッとして、
別に今日は何も悪いことしてないのに
まわれ右‥‥っていうのと似てます(?)ねぇ。
責任と聞いたらまず義務っぽいものを浮かべていませんか?
社員をしあわせにせなあかん
会社を維持発展させなあかん
利益を出さなあかん
あれせなあかん、これせなあかん‥‥
せなあかんことばっかし
‥‥ですか?
なんか、しんどそうですよね。
そこ、 ちょっと見直してみませんか?
実は、責任って、
とってもオイシイもんなんですよ
ってことに気づいていただくのが、
今回の目的です。
オレは経営者だ。
会社で起きることには全責任を取っている。

という勇ましいあなた、
じゃあ会社の外ではどうですか?
それは下請が勝手にやったことだから‥‥とか、
部下が個人的に起こした問題までは‥‥とか、
なんだかんだで、
責任を少ないほう、軽いほう、へ、もっていってません?
責任ってもんが無意識に、
罰を受けることとむすびついて、
やっかい者のように扱われているということはありませんか?
だとすると‥‥
どうなるか?
あなたはあらゆる意思決定の場面で、
ちょっとずつ責任に限定条件を加えていっていることになります。
>そりゃあ責任は取るよ。
>取るんだけれども、な、
>できれば無難に手に負える範囲で‥‥だよ。

って。
あるいは、
「自分は責任感が強い」と自認するあなたはむしろ、
無責任なことはできないという想いから、
「そこまで責任は取れない」と判断することがあるかもしれません。
これは、
「責任を避ける」とは見なされないかもしれませんが、
責任の幅を小さくしていることにはちがいないので、
この投稿を読み終わったあと、
じっくり検討していただきたい。
とにかく責任ってもんを
>なんかしんどいな
って感じでもって受けとめているとすると‥‥

あなたがリーダーをやっている組織は成長しない
‥‥という予言です。
あなたの会社は
あなたが期待するほどには大きくなりますまい

‥‥と、
この予言は当たります。
>責任‥‥?
>う~ん、なんかちょっと重い言葉やなぁ~。
>なんか‥‥いややわ。

と、
たったそれだけの想念で、
知らず知らずのうちにあなたは責任を遠ざけています
責任を取っていたとしても、
本来あなたが背負えるはずの責任よりも少ない責任
しか引き受けていないはずです。
もったいない。
責任と聞いたら、
ウキウキして興奮するくらいになってください。
それをわざわざつかみに行くくらいなものにしてほしいわけなんです。
無意識にでもです。
あなたがサラリーマンなら、
上司から否応なく責任を与えられ、
与えられた以上は一生懸命やってたら、
知らないあいだに全うして達成感を味わって、
結果的に任せてもらえてよかった‥‥
ってことがたくさんあるでしょう。
でも自分が経営者なら自分で自分の責任範囲を決めるのがあたりまえ。
責任は決して与えられるものではありません。
さ、どうでしょう。
責任と聞いたらまず自由っぽいものを浮かべほしいんです。
あれも自分で決めていい、これも自分で決められる、
すべてあなたの選択権です。
わたしは他人にあれこれ指図されるのがいやで、
いわば
自分で自分の選択権を取り戻したくて独立しました。
あなたが背負わなかった責任を、
別の人が引き受けたとしましょう。
するとその人は、
責任と同時にあるすばらしいものを持っていきます。
それは例えば、
選ぶことであり決めることです。
彼があなたに代わって意思決定する立場を選び、
そしてその資格を行使します。
あなたは彼の命令に従う立場となるでしょう。
彼は義務ではなく自由を手に入れた、

考えることはできないでしょうか。
自由裁量を手に入れたんです。
自信と勇気があれば、
これは気分いいでしょうね。
L(・o・)」
たとえば
たいして好きでもないのに、
親が結婚しろという相手といっしょになる‥‥
というのは、
その結婚の責任を親に委ねてしまうことを意味します。
それって気分いいですか?
親の猛反対を押し切って、
めちゃくちゃに惚れた相手といっしょになるっていうとき、
責任を自分で取ることになるわけですが、
そこで義務を感じますか?
L(・o・)」
いやもしかして、
これは「責任が伴わない自由」の例になってしまったかもしれないが、
とにかく、
全責任を取る覚悟さえあれば、
そこには自由という喜びがあるんだと言いたいわけなんです。
L(・o・)」
自分に自信がないときは、
ちょっと他に責任を肩代わりしてくれる人がいたりなんかすると、
ついつい甘えてしまいがちなもんです。
それはそれで学べることはたくさんありますので、
ぜんぜんかまわないんですけれども、
責任には義務がついてくると逃げ腰になって、
ちょっとずつ小さい責任を選ぶのと、
責任には自由がついてくるとわかって、
どんどん大きめの責任を選んでいくのとでは、
長い人生、
心の成長に雲泥の差がついてくるでしょう。
責任を取るのはたいへんだ。
厳しいことだ。
なんでもかんでもっていうわけにはいくもんか。
だからこそそこが経営者の宿命なんだ
‥‥みないな重い波動をですね、
格好つけて出してるリーダーは、
実際のところたいして格好いいわけじゃない。
自分のサイズより、
ひとまわりふたまわり上の責任を背負いましょう。
そのとき、
涼しい顔して背負うってとこがミソですよ。
自己責任の国
では、
責任は非常に価値の高い快感として認識されているんですから。
競って自分が背負いたがるのがあたりまえ。
「責任追及」なんて意味わからん。
>これは誰の責任だ!
なんて言ってるまえに、
>あー、この件ね、
>うん、まちがいない、
>これ、
ぜんぶわたしの責任ですワ。
>もうしわけないっ(≡^∇^≡)

てな感じで、
じゃんじゃん引き受けてしまう。
「責任転嫁」なんて言葉は存在すらしない。
せっかく自分のものになりかけた責任を、
他人に譲ってしまうなんて、
そんなもったいないことは誰もしない。
みんな自由が大好き
三度のメシより自由が好き。
きっとあなたも好き。
だから
責任を取ることで少々不自由になることがあったとしても、
それも厭わない。
必ず喜びにつながることを知っているから。
自由には責任が伴うことも知っている。
ただぼんやりと楽な人生を送りたいと思っている人はたいてい、
 責任が重い = 苦労が多い
という価値観を握りしめ、
責任から逃れる習性が身に染みてしまっています。
しんどいから、できるかぎり責任を回避する。
いちど引き受けた責任でも、
どうにかして他人に転嫁しようとする。
もしあなたがそういうタイプで、
無意識に責任から逃げたがっているとしたら、
すごく恐ろしい落とし穴がひとつあります。
それは、
たとえばあなたが自分のミスを注意されたときなどに、
とっさにウソをついてしまう
こと。
逃げなくちゃっていう本能がはたらきますからね、
反射的にウソが出てしまう恐れが大きい。
もちろんあなたはふだんウソつきじゃない。
けど、
とっさに口をついて出てしまうんですよね、
つじつまあわせのでたらめが。
そこから人生が狂いはじめた人が、
まわりにうようよいるんですよ。
本人は気づいてなくても、ね。
責任を取るのがいやだから自分の生き方を自分で決めないってことは、
つまり自分の生き方を他人に左右されるってことですが、
なんでわざわざそんな不安な道を選ぶ必要がありましょうや。
自分の生き方は自分で決める。
これを無責任にやってるのはただ自己中心的なだけですよ。
わがままとちょっと似てますから
ごっちゃにしないように注意してくださいよ。
それに実は、
「無責任な自由」のほうがよっぽどむずかしい。
敵は増えるし障害物は増えるしで、
やがてにっちもさっちもいかなくなります。
それがわかれば喜んで全責任を自分で引き受けたくなりませんか。
「汚れ役」と世間が呼ぼうがなんやろうが、
責任と名のつくものなら集めてまわるくらいの勢いです。
全責任を取る = なんでも自由に決められる
= 外部環境に影響される不安がない

これ、
キクゾウのおすすめする価値観です。

「ほめ達!」という名のアドボカシー

「ほめ達!」検定というのがあるんですね。
日本ほめる達人協会」という一般社団法人があって、
そこが「ほめる達人」を認定しようという、
冗談のような本気の取り組みです。
ほめ達!
実はわたしもコソッと受験してきたりしたんですがっヾ(☆o☆):
えらい人気でして、
早く申しこまないとすぐに定員オーバーになってしまいます。
「ほめる」の定義:
ほめるとは価値を発見して伝えること
‥‥みたいなことを、
協会理事長の西村貴好さんがおもしろおかしく味わい深く教えてくれます。
軽妙なトークで愉快に笑える上にしっくり染み入りますから、
いちど聞いてみる価値はあります。
2010年にスタートした検定で
まだ歴史は浅いのですが、
時代の要請といいましょうか、
出てくるべくして出てきたコンセプトでしょう。
>いまの若者は
>ちょっと叱っただけですぐにつぶれる。
>ほめて認めてやらないと育たない!

っていう言葉を、
企業経営幹部の口からたびたび耳にしました。
現場の実感としてほんとうにそうなんです。
そのひとつの理由として、
上下関係の「上」「下」という考え方が受け入れられない社会に変わった
ってことがあるでしょうね。
いいことなんですけどね。
昔だったら「おい、これやっとけ」で済んだ。
労使関係では使用者が「上」で労働者は「下」だった。
夫婦関係では男尊女卑がまかり通っていて
男が「上」で女が「下」だった。
相手が納得してようがしてまいが
命令に従うのが当然とされた。
いまの社会はそれが通じませんから、
ちがうかたちで人を動かしていく必要性が高くなったということです。
これはいいことなんです。
ほめて認めてあげないと人が育たない
というのは昔っから変わってません。
だって真理ですもん。
しかし、
こんなふうに上下の力関係で人が動かせなくなった時代、
「ほめる」がますます大切になってきた理由は他にもあります。
物質的に貧困だった時代には、
ドツかれてもケリ入れられてもズッタズタにケナされても、
食えなきゃ死んでしまうから命のほうが大事だった。
カネやモノを所有することで心が癒された。
ところがいまはそうはいかない。
はじめからなんとなく平和でなんとなく豊か。
カネやモノでは癒されない。

じゃあ人間同士のつながりで癒されるのかというと、
そこがまたそうでもない。
上下関係が希薄になったことには弊害も多く、
先輩に人生を教わることが減ってしまった。
恋愛でさえどうも表面的で味気ない。
スマホやなんやで肌の触れあわないデジタルなコミュニケーションが増えて、
つながっているようでつながっていないのにつながりとはそんなもんだと思いこまされている。
寂しくて不安なんです。
そして年間3万人が自殺する。
こんな検定をつくって、
「ほめる」という行為の普及啓蒙活動をしないといけないほど、
ほめている人が少ないということです。
それは逆に言えば「ほめられる」ことに飢えている人が多いわけです。
アドボカシー経営のコンセプトを、
ここでまた思い出してください。
マーケティングも人財育成も、
アドボカシーを欠いてはうまくいかない。
「ほめる」というかたちのアドボカシーを
日々の経営習慣にしましょう。
経営習慣にするとは、
個々の社員のバラバラな自覚とスキルに委ねるのではなく、
全社的な運動として経営者みずからも例外なく習慣化して、
しくみとして定着を図るという意味です。
わが社で実際に経営習慣になった「ほめる」の例を挙げさせていただきますと、
これがなかなかいいんです。
朝のミーティングで社員全員が、
他の社員(上司も含む)のよかった点を探し、
それを発表する。
小学校のホームルームみたいな幼稚なことです。
内容に応じて、
「いいかも」「いいね!」「超いいね!」

3段階を作りました。
「いいね!」(関西弁では「ええやん!」
っていうのはフェイスブックでもおなじみですが、
とても使い勝手のいいほめ言葉のチャンピオンです。
(ちなみに20世紀の日本では、
「よくできました」がほめ言葉の定番で横綱だったんですが、
アメリカナイズされて「いいね!」に抜かれた
‥‥というのはわたしの勝手な見解です。)

で、
お互いに「いいね!」を見つけあって伝えてあげて、
そのポジ出しの結果を日報システムに記録する。
最近では
「いいかも」「いいね!」「超いいね!」の3段階の他に、
社員の発案で「やったやん!」というのも追加されました。
というのもはじめの3つは、
日々の仕事の中でちょっとした心がけで実践できる
「目くばり」「気くばり」「心くばり」

お互いがもっと気づいて評価しあおう
っていう趣旨だった。
でも
それだけじゃ足りない。
「目くばり」「気くばり」「心くばり」っていう範囲じゃなくても、
誰かがクレーム対応とかで遅くまで残業してがんばってくれることもある。
そういうのは別の言い方で区別して
ほめてあげようっていうことになった。
それが「やったやん!」です。
ま、
細かいことですけども、
そんなふうにたとえひとつでもふたつでもわざわざ「いいとこ探し」をやる。
習慣化して毎日続けることの効果というのはたいしたもので、
すぐに実感値として変化が出てきます。
いままで探せなかったいいところが探せるようになる。
毎日発表するってことは毎日トレーニングしているわけですからね、
はじめは見つけられずに週に2回も3回もパスしてたのが、
1日に2つも3つも出てくるようになります。
気づきのチカラがアップするんですね。
経営習慣ですから、
ひとまずは仕事の枠内で「いいね!」ってとこを探すわけなんですが、
気づきがアップすると仕事の外でもほめるのが上手になります。
「ほめ達!」に近づいてますかネ(≡^∇^≡)