HOME > 共に育ちあえる強い会社づくり > 2-責任 >

怒らない経営‥‥ではまだ不十分だ

ぶらっと本屋さんに寄ったら
大藪崇っていう若い社長の書いた
「怒らない経営」

目に留まりました。
出たばっかりの新刊なんですね。
怒らない経営‥‥ね、
それならわたしも常日ごろから実践を心がけているド真ん中の課題だったので、
タイトルだけで買ってしまいました。
さぞかし気の短いイケイケの社長が、
怒りっぽい性格のために幹部と何度も衝突し、
組織はバラバラで崩壊寸前の危機を迎えるが、
その後、
怒りをコントロールする術を身につけて、
いまは業績も奇跡のV字回復‥‥
みたいなストーリーかな、

思っていたら、
ぜんぜんちがいました(-“”-;)
この人、
子どものころからほとんど怒ることがなかったそうなんですね。
で、
うまくいかないことがあっても
頭に血が上ってカッとすることもなく、
いまでも怒らないと。
なんやねんそれ‥‥
怒るでしかし!
‥‥っていうのは冗談として、
どうすれば怒らずにいられるか
とか
怒ることがどれだけ人生にマイナスか
みたいなことは
書いてないんですね。
そういう意味では予想とちがってたし、
別にこんなタイトルでなくてもよかったやんかと思いますが、
もちろん響いた部分もあります。
>すべて自分の責任
ていう姿勢が、
すごく強調されてるんですね。
すべて自己責任
だから
何があっても人のせいにしない
ので
社員に対しても感情的にならない

怒ることもない
っていう
筋立てになってます。
とってつけたような編集者の意図が透けて見えますけど、
でもこのことは大切。
1500円(+税)以上の価値はある。
>すべて自分の責任
──そんな理屈はわかってても、
しつこくどうしようもなく湧いてくるのが怒りなんで、
生まれつき短気で怒りん坊なみなさんは、
引っ込みがつかない気分になってるでしょうけども。
いい機会じゃないですか。
あらためて自分に問いかけてみましょうよ。
>すべて自分の責任
と、
ほんとうに言い切れるあなたかどうか。
本の冒頭で、
著者はこう書いてます。
 うまくいくときも、そうでないときもすべて自分の責任だ。
 私はこれまでずっとそう意識してきた。結果が出なければ、何も残らないのだから、すべてを自分の責任としていかないとやり切れない。自分の責任という考えが体のすみずみまで染み込んでいる。そして、これまで取り組んできたすべてのことのベースになっている。大藪崇「怒らない経営」より

ですて。
どうです?
生まれつき短気だったかどうかは別として、
自分の責任に関して、
あなたはそこまで言い切れますか。
ちなみに
大藪崇さんっていうのは1979年生まれ。
てことは35歳。
愛媛でエイトワンっていう会社を経営されてます。
このへんから下の若い経営者は、
怒らない人が珍しくなくなりましたよね。
クールでスマートじゃなきゃ格好よくないし、
社員がついていかない。
感情的な人は時代に弾き飛ばされてしまうんですね。
平和な世の中でよかったってことでしょう。
だからこの本のタイトルの「怒らない」ってとこよりも、
学生時代はパチンコ三昧で1000万円プラス、
そのうち350万円を貯金にまわした話

とか、
ニートの時代に株式投資をはじめてから4年半で
35万円の資金を15億円に増やした話


反応して買ってしまう若者のほうが多いことでしょう。
余談かもしれませんが、
「怒らない経営」
っていうタイトルの本が、
これとは別にもう1冊あります。
「銀のさら」ブランドでおなじみ、
株式会社ライドオン・エクスプレスの社長、
江見朗さんって方が書かれました。
ライドオン・エクスプレスの
企業理念──
ビジネスを通じ、相手の幸せが
自らの喜びと感ずる境地を目指す

経営指針──
感謝の気持ちに基づき衆知を集め、
すべてを容認し、自他共に正しく導く

──と。
これ、
いいですよね。
江見朗社長は1960年の生まれで歳も近いし、
天風哲学にもどっぷり浸られた方ですから、
感性としてはこちらのほうがフィットします。
あいにくご本人にお会いしたことはありませんし、
「銀のさら」のお寿司も実は食べたことないので、
それ以上のことが語れなくて残念ですけども‥‥。
自己責任に話を戻しましょう。
わたし自身、
全責任は自分っていう姿勢を
あらためて徹底することにします。
社員の仕事ぶりに対して不満があったり、
ミスや失敗で不愉快な気分になったりしているうちは、
まだ自己責任を取ってないんだと思いますね。
社員がそれぞれのゆっくりしたペースで快適に歩いてても、
会社としては利益が出るからだいじょうぶ。
と、
そんなしくみをつくるのが経営者の仕事です。
そこに責任がある。
たとえば
社員がだらだら仕事してるのが目に入ったとしても、
ぼんやり手を止めてサボっていたとしても、
怒らない。
不機嫌にすらならない。
社員のほうの事情がどうであっても、
じゅうぶん利益の出る「しくみ」をつくるのが経営者の責任。

そこまで徹底したい。
社員さんだっていつもサボっているわけじゃないし、
なんか事情があるにちがいないんだから、
マイペースで働いてくれていい。
手抜きぶりが目に余るとしても、
それは、
経営理念を浸透させられなかった経営者の責任。
誰のせいでもなく、
すべてはわたしの責任。
そこで感情的になるってことは、
社員のほうへ意識が向いてしまっているってこと。
つまり、
経営者がつくるべき「しくみ」のほうへは意識が向いていない。
意識を社員のほうへ向けて不機嫌になっているってことは、
自分の責任を脇へ置いているわけで、
肝心の「しくみ」が磨かれない。
悪いのは社員のほうだ

あからさまに考えているつもりはなくっても、
価値観の根っこに染みついてしまっているから不機嫌になる。
それでは本質的な問題解決が遅れる。
社員は社員のほうで、
それぞれベストを尽くして楽しくやってくれていると信じましょう。
好きなようにやってくれたらいいじゃないですか。
社員に対して、
ああしろこうしろ、
どういうふうでなければダメだ、
といった感覚をもつのはやめにしたい。
怒るなんて問題外。
不機嫌になることすら許容範囲外。
怒ってるつもりじゃなければ許されるなんていうのも甘すぎます。
ごきげんずくめの経営
を、
さっそく
たったいまから実践です。

覚悟と本気

>おまえは経営者としての覚悟ができてない!
って、
叱られた経験のある社長はたくさんいるでしょう。
特に二代目さん。
いくつになっても親に子ども扱いされて、
お気の毒さま。
>覚悟ができてるかって言われてもなぁ‥‥
>できてるかできてないかなんて、
>自分じゃわからんし。
>‥‥っていうか待てよ、
>覚悟ってそもそもなんやねん?

って感じですよね。
ま、
たしかにね。
>覚悟しろよ。
なんて、
日常会話ではあまり使わないセリフですもんね。
覚悟って、
どういう意味なんでしょうね。
経営者の覚悟と、
そうじゃない人の覚悟はどうちがうんでしょうか。
(;・_・)・_・)?
覚悟するっていうのは平たくいうと
心の準備を整えること
です。
心だけのことですから、
お金もかからないし、
身体も使わない。
なんだかわからないけどこの先、
困難なことや苦しいこと、
危ないこと、
場合によっちゃ命にかかわるような恐ろしいこと

起こるかもしれませんよっていう状況で、
それに対して心構えをすること。
反対に、
覚悟ができてないっていうのは、
心の準備ができてないってことでして、
なにか事が起こったときに慌てます。
おたおたします。
>まさかこのタイミングで、
>こんなことになるなんて、
>思わなかったもんですから‥‥

なんて、
見苦しい言い訳をします。
こんなふうに「まさか」が多い人っていうのは、
まちがいなく覚悟が足りてません。
そうかと思えば、
なにか事が起こるまえから、
ああなったらどうしよう、
こんなときはどうしたらいいのか、
と、
わちゃわちゃビクビクしている人も多いですよね。
まあ‥‥ね、
なさけない話ですけど、
ふつうはみんなだいたいそんなもんですから、
その程度でもやっていけるんでしょう。
大きく成功するつもりならいけませんよ。
事業を大きく成長させるつもりなら、
いちいちビビってられません。
想定外のことがいろいろ起こるんですからね。
じゃあいま、
覚悟ができてないあなたやわたしが、
どうすれば心の準備を整えることができるか。
準備っていっても、
いったい何に対して準備しろというのか。
セミナーに参加中の社長さんたちにきいてみました。
>そりゃあ倒産でしょ。
>社長は会社をつぶさないことが第一の仕事。
>そして従業員に給料を払うこと。

──はぁ‥‥、
わかりやすくていいんですけどぉ、
なんかちがいますよね。
倒産に備えるっていうのは最低の責務っていうか、
あたりまえすぎて浅い感じがしますよね。
いろいろある覚悟のうちのひとつに過ぎないというか‥‥。
>とにかく最悪の事態を想定して、
>それに備えればいいんですね。

──いや、それもちがうでしょう。
弾はどこから飛んでくるかわかりませんからね、
最悪の事態に備えていたつもりでも、
ほんの些細なほころびからボロが出て、
「まさかこっちが‥‥」ってことはじゅうぶんある。
>じゃあ‥‥
>危機管理全般を怠らなければいいんじゃないですか。
>自分や役員が死亡するとか、
>得意先が倒産するとか、
>融資が止められるとか大赤字を出すとか。

──クールな言い方をするとそうかもしれませんよね。
全方位的に対策が取られているのでなければ、
じゅうぶんだとはいえませんもんね。
しかし、
中小企業で万全な危機管理なんて可能なんでしょうか。
メンタルな意味と物質的な意味がごちゃごちゃになってませんかね。
>何があろうと、
>従業員とその家族のしあわせを守るっていうことに対して、
>本気かどうかっていうことでしょ。

──なるほど。
ここで「本気」っていう言葉が出てきましたか。
よく使われるわりにはわかりにくい言葉です。
自分が本気かどうかどうやって確かめますか?
本気になってたら覚悟ができてると言い切れるんでしょうか。
>責任を取れるか取れないか、
>どこまでの責任を自分が取るつもりか、
>突きつめるとそういうことじゃないでしょうか。

──うん、まぁそうかもしれませんね。
責任の大きさと覚悟の大きさは比例するのかもしれません。
それじゃあ経営者の責任ってなんなんでしょうね。
それを考え直す必要が出てきますよね。
‥‥てなぐあいで、
いろんな意見が出てくるんですけど、
イマイチ絞りきれません。
けっきょく、
経営者としての覚悟ってどういうことか。
倒産とか役員の死亡とか大赤字とか、
そんな特定の事象に備えるって意味じゃないでしょうね。
何が起こるかわからないことが前提で、
事象を選んでられないのは確か。
どんなことに対しても
心が振りまわされないようにしておく必要がある。
あらゆる出来事に対して不動心ができてるっていうか、
あっちはいいけどこっちはダメなんてことは言わず、
何があってもいちいちビビらない
危機管理ができてるかどうかっていう切り口もあるでしょうが、
現実的に対策が立ててあるかっていう問題と、
覚悟ができてるかどうかは別物です。
あなたはこれまで危機に向きあうとき、
心に心配事が浮かんできて、
その不安に突き動かされていただけではなかったでしょうか。
こんなことになってしまったらたいへんだから、
なんか対策しとかないといけないぞ‥‥っていうように。
これはやめていただきたい。
危機管理のセンスはもちろん不可欠なんですが、
不安に従うという順序だけは何事においてもいけません。
それだけは止めてください。
取り越し苦労は厳禁です。
危機管理──リスクマネジメント──っていうのは、
不安に負けてやるものではありません。
愛する者たちを守るんだ
っていう、
強い動機でやるもんです。
不安はますます大きな不安に。
愛はますます大きな愛になるっていう、
かなり大切な原則がいたってシンプルにはたらきますから、
そこは注意してください。
そんなふうに考えていくと、
覚悟ができてるっていうのは、
心が強いってことに他ならないとわかりますね。
何があっても何もなくても、
どこまで虚心平気でいられるか。
むかしの言い方を借りれば
肝が据わってる
ってやつ。
あなたの会社が突如、
長年の得意先から取引の打ち切りを宣告された‥‥としよう。
あろうことか、
ライバル会社に乗り換えられるという最悪の屈辱。
自社の売上高は一気に20%以上ダウン。
そこであなたは「まさか」とうめくのか。
「クソッ」と小声で舌打ちするか。
顔面蒼白で心臓はバクバクと脈打ち、
小刻みに震える指先まで冷たくなっているのに気づくか。
これは不可抗力だと、
そんなことまで自分の責任に含まれていないとでも言いたいか。
──こういうとき、
覚悟のほどが知れる。
自分の知らない自分の弱さに向きあうことになる。
覚悟のできてない経営者には責任能力がありません。
じゃあ覚悟ができてたら責任が取れるのかっていうと、
それも微妙にズレる。
責任のほうは気持ちだけでは済みませんから。
それと、
覚悟にはもうひとつ、
あきらめる
っていうニュアンスの意味もある。
責任が取れないことがわかっているので辞めさせられる覚悟ができている
‥‥っていうのは政治家によくある変な話です。
中小企業家ならこんな変な覚悟はやめましょう。
覚悟ができて、
責任も取れる人間になりましょう。
心が強ければ、
起きてくることのすべてが自分の責任だと受け入れられる。
覚悟が決まれば本気のスイッチが入ります。
本気かどうかっていうのと、
覚悟ができてるかっていうのは同じ意味でしょうか。
どちらも心の定まり方だけが問われますよね。
心に混じり気がなく、
迷いもブレも恐れもなく、
どれだけ純粋な動機で事に当たれるか。
私利私欲っていうエンジンは、
アテにできませんよね。
ひとつの欲が満たされたらまた次の欲。
一貫性がありません。
信念100%
──それが本気。
でも、
それってどんなんなんでしょう。
>あなたは本気で経営やってますか?
ってきかれたら、
こたえはYesですかNoですか。
即答できる人はしあわせですね。
自分が本気かどうかなんて、
なかなか自分でわかりませんもんね。
ただひとついえるのは、
他人の評価が気になるうちはまだ本気じゃないってこと。
あなたが本気で物事に取り組むとき、
なにも恐れるものがなくなり、
責任を取ることが快感になります。
誰もかれもが無条件に味方だと感じられるでしょう。
え?
えーっと、
わたしですか?
わたしはまだ、
本気じゃないです。
オレの本気って、
きっとこんなもんじゃないよなって気がしてます。
もっとずっとまえに、
本気になったことが何度かあって、
その感触を覚えてる。
いまだかつていっぺんも本気になったことがない人には申し訳ないですが、
それはそれはものすごーくいい気分でした。
自分のことなんかそっちのけ、
無我夢中でおらが村のために立ち上がった。
私利私欲なんかこれっぽっちもなく純粋にご奉仕するってことが、
あんなに気持ち晴ればれ爽やかなことだとは、
何年もたってからしみじみ気づいた。
いまはそれとちょっとちがう。
ま、
あのときのひたむきさを思い出しながら、
だんだん本気になりつつある途中かなって感じ。
本気を出してないときは、
結果を受け入れることに素直になれない。
つまり覚悟もできてない。
本気になることと覚悟ができることは、
やっぱり関係がありそうだ。
いま死ねと言われても、
それはいや。
とても往生際が悪いと思う。
わたしが36歳で起業したとき、
社員はいなかったし、
まだ独身で家族もなかった。
守るべきものなんて何ひとつなかったと言っていい。
それがいまじゃ、
息子も娘もいて、社員もいて、
お客さんとの結びつきも強いし、
家のローンも残っているし、
後継者づくりは手つかずだ。
まだ死ねないな。
ぜんぜん準備できてませんから。
でもどっか矛盾しているんだけど、
若いころの夢はぜんぶ実現してしまってて、
とってもとーってもしあわせで、
ずっと一生懸命やってきたのもほんとうで、
いま死んだとしても後悔はない。
ハングリーじゃなくなって牙が抜けたか。
ぬるま湯に浸かりすぎてふやけてきたか。
なんだろうか、この、
間合いをはかっている感じは‥‥。
と、
それがわかってるなら、
さっさと本気スイッチ入れりゃあいいのに‥‥と思う。
え?
あなたも同じですか。
そうですか。
じゃあ、
さっさとスイッチ入れましょうよ(≧m≦)

責任は快感

重い責任を背負うと心が軽くなる
という、
パラドックスっぽい話をしましょう。
責任と聞くと、
なんだか重っ苦しい気がして、
まわれ右して逃げ出そうとする人が
少なからずいてるでしょうね?
パトカーを見ると、
ギクッとして、
別に今日は何も悪いことしてないのに
まわれ右‥‥っていうのと似てます(?)ねぇ。
責任と聞いたらまず義務っぽいものを浮かべていませんか?
社員をしあわせにせなあかん
会社を維持発展させなあかん
利益を出さなあかん
あれせなあかん、これせなあかん‥‥
せなあかんことばっかし
‥‥ですか?
なんか、しんどそうですよね。
そこ、 ちょっと見直してみませんか?
実は、責任って、
とってもオイシイもんなんですよ
ってことに気づいていただくのが、
今回の目的です。
オレは経営者だ。
会社で起きることには全責任を取っている。

という勇ましいあなた、
じゃあ会社の外ではどうですか?
それは下請が勝手にやったことだから‥‥とか、
部下が個人的に起こした問題までは‥‥とか、
なんだかんだで、
責任を少ないほう、軽いほう、へ、もっていってません?
責任ってもんが無意識に、
罰を受けることとむすびついて、
やっかい者のように扱われているということはありませんか?
だとすると‥‥
どうなるか?
あなたはあらゆる意思決定の場面で、
ちょっとずつ責任に限定条件を加えていっていることになります。
>そりゃあ責任は取るよ。
>取るんだけれども、な、
>できれば無難に手に負える範囲で‥‥だよ。

って。
あるいは、
「自分は責任感が強い」と自認するあなたはむしろ、
無責任なことはできないという想いから、
「そこまで責任は取れない」と判断することがあるかもしれません。
これは、
「責任を避ける」とは見なされないかもしれませんが、
責任の幅を小さくしていることにはちがいないので、
この投稿を読み終わったあと、
じっくり検討していただきたい。
とにかく責任ってもんを
>なんかしんどいな
って感じでもって受けとめているとすると‥‥

あなたがリーダーをやっている組織は成長しない
‥‥という予言です。
あなたの会社は
あなたが期待するほどには大きくなりますまい

‥‥と、
この予言は当たります。
>責任‥‥?
>う~ん、なんかちょっと重い言葉やなぁ~。
>なんか‥‥いややわ。

と、
たったそれだけの想念で、
知らず知らずのうちにあなたは責任を遠ざけています
責任を取っていたとしても、
本来あなたが背負えるはずの責任よりも少ない責任
しか引き受けていないはずです。
もったいない。
責任と聞いたら、
ウキウキして興奮するくらいになってください。
それをわざわざつかみに行くくらいなものにしてほしいわけなんです。
無意識にでもです。
あなたがサラリーマンなら、
上司から否応なく責任を与えられ、
与えられた以上は一生懸命やってたら、
知らないあいだに全うして達成感を味わって、
結果的に任せてもらえてよかった‥‥
ってことがたくさんあるでしょう。
でも自分が経営者なら自分で自分の責任範囲を決めるのがあたりまえ。
責任は決して与えられるものではありません。
さ、どうでしょう。
責任と聞いたらまず自由っぽいものを浮かべほしいんです。
あれも自分で決めていい、これも自分で決められる、
すべてあなたの選択権です。
わたしは他人にあれこれ指図されるのがいやで、
いわば
自分で自分の選択権を取り戻したくて独立しました。
あなたが背負わなかった責任を、
別の人が引き受けたとしましょう。
するとその人は、
責任と同時にあるすばらしいものを持っていきます。
それは例えば、
選ぶことであり決めることです。
彼があなたに代わって意思決定する立場を選び、
そしてその資格を行使します。
あなたは彼の命令に従う立場となるでしょう。
彼は義務ではなく自由を手に入れた、

考えることはできないでしょうか。
自由裁量を手に入れたんです。
自信と勇気があれば、
これは気分いいでしょうね。
L(・o・)」
たとえば
たいして好きでもないのに、
親が結婚しろという相手といっしょになる‥‥
というのは、
その結婚の責任を親に委ねてしまうことを意味します。
それって気分いいですか?
親の猛反対を押し切って、
めちゃくちゃに惚れた相手といっしょになるっていうとき、
責任を自分で取ることになるわけですが、
そこで義務を感じますか?
L(・o・)」
いやもしかして、
これは「責任が伴わない自由」の例になってしまったかもしれないが、
とにかく、
全責任を取る覚悟さえあれば、
そこには自由という喜びがあるんだと言いたいわけなんです。
L(・o・)」
自分に自信がないときは、
ちょっと他に責任を肩代わりしてくれる人がいたりなんかすると、
ついつい甘えてしまいがちなもんです。
それはそれで学べることはたくさんありますので、
ぜんぜんかまわないんですけれども、
責任には義務がついてくると逃げ腰になって、
ちょっとずつ小さい責任を選ぶのと、
責任には自由がついてくるとわかって、
どんどん大きめの責任を選んでいくのとでは、
長い人生、
心の成長に雲泥の差がついてくるでしょう。
責任を取るのはたいへんだ。
厳しいことだ。
なんでもかんでもっていうわけにはいくもんか。
だからこそそこが経営者の宿命なんだ
‥‥みないな重い波動をですね、
格好つけて出してるリーダーは、
実際のところたいして格好いいわけじゃない。
自分のサイズより、
ひとまわりふたまわり上の責任を背負いましょう。
そのとき、
涼しい顔して背負うってとこがミソですよ。
自己責任の国
では、
責任は非常に価値の高い快感として認識されているんですから。
競って自分が背負いたがるのがあたりまえ。
「責任追及」なんて意味わからん。
>これは誰の責任だ!
なんて言ってるまえに、
>あー、この件ね、
>うん、まちがいない、
>これ、
ぜんぶわたしの責任ですワ。
>もうしわけないっ(≡^∇^≡)

てな感じで、
じゃんじゃん引き受けてしまう。
「責任転嫁」なんて言葉は存在すらしない。
せっかく自分のものになりかけた責任を、
他人に譲ってしまうなんて、
そんなもったいないことは誰もしない。
みんな自由が大好き
三度のメシより自由が好き。
きっとあなたも好き。
だから
責任を取ることで少々不自由になることがあったとしても、
それも厭わない。
必ず喜びにつながることを知っているから。
自由には責任が伴うことも知っている。
ただぼんやりと楽な人生を送りたいと思っている人はたいてい、
 責任が重い = 苦労が多い
という価値観を握りしめ、
責任から逃れる習性が身に染みてしまっています。
しんどいから、できるかぎり責任を回避する。
いちど引き受けた責任でも、
どうにかして他人に転嫁しようとする。
もしあなたがそういうタイプで、
無意識に責任から逃げたがっているとしたら、
すごく恐ろしい落とし穴がひとつあります。
それは、
たとえばあなたが自分のミスを注意されたときなどに、
とっさにウソをついてしまう
こと。
逃げなくちゃっていう本能がはたらきますからね、
反射的にウソが出てしまう恐れが大きい。
もちろんあなたはふだんウソつきじゃない。
けど、
とっさに口をついて出てしまうんですよね、
つじつまあわせのでたらめが。
そこから人生が狂いはじめた人が、
まわりにうようよいるんですよ。
本人は気づいてなくても、ね。
責任を取るのがいやだから自分の生き方を自分で決めないってことは、
つまり自分の生き方を他人に左右されるってことですが、
なんでわざわざそんな不安な道を選ぶ必要がありましょうや。
自分の生き方は自分で決める。
これを無責任にやってるのはただ自己中心的なだけですよ。
わがままとちょっと似てますから
ごっちゃにしないように注意してくださいよ。
それに実は、
「無責任な自由」のほうがよっぽどむずかしい。
敵は増えるし障害物は増えるしで、
やがてにっちもさっちもいかなくなります。
それがわかれば喜んで全責任を自分で引き受けたくなりませんか。
「汚れ役」と世間が呼ぼうがなんやろうが、
責任と名のつくものなら集めてまわるくらいの勢いです。
全責任を取る = なんでも自由に決められる
= 外部環境に影響される不安がない

これ、
キクゾウのおすすめする価値観です。

経営者の責任

経営者である以上、
いかに環境がきびしくとも、
時代の変化に対応して、
経営を維持し発展させる責任があります。
「労使見解」より

はい、
この文章、
問答無用で暗記してください。
>なんやそんなもん、
>あったたりまえのことやないか。

って、
かる~く通りすぎてしまいそうな方もおられるかもしれませんけどね、
いやいや‥‥
それがなかなかどうして、
噛めば噛むほど味が出る、
スルメのような一文なんです。
労使見解の最初のページに載っている文章なんですけど、
この労使見解っていうものが、
中小企業家同友会でいかに大切にされているかはすでに述べました。
というか、
数多ある経営者の寄り集まりの中で、
中小企業家同友会が中小企業家同友会たる所以は、
労使見解だと言っても過言ではありません。
中小企業家同友会存立の礎(いしずえ)ともなっている
歴史的な名文なのです。
実際、
>「労使見解」こそが自分の経営バイブルだ。

言い切っておられる経営者が、
わたしのまわりに何人もいてます。
中小企業家同友会で経営を学ぶ仲間にとって、
労使見解はそれほど大事な大事な大事なものなんですね。
その大事な大事な大事な労使見解の中でも、
ことさらに大事なのが、
8つあるチャプターのうちの第1章「経営者の責任」であります。
どれだけ大事かっていうが伝わりましたでしょうか?
「労使見解」第1章「経営者の責任」こそが、
われわれ経営者の square one
拠って立つべきところの一丁目一番地。
中小企業家同友会の古い会員さんなら、
「労使見解」のページのそこらじゅうに
赤ペンやら青ペンやら黄色のマーカーやらで傍線やら枠囲みやらを引きたくり、
文字が読めなくなるくらい書き込みだらけになっていることが珍しくありません。
そのくらい大事な大事な大事な「労使見解」の中の、
大事な大事な「経営者の責任」の章の中で、
これまた最上級に大事とされているのが、
冒頭で紹介した「経営者である以上‥‥」の文章なんですね。
あまりに大事なので、
くりかえしコピペっときましょう。
経営者である以上、
いかに環境がきびしくとも、
時代の変化に対応して、
経営を維持し発展させる責任があります。

はい、
もう1回 (//・ω・//)
経営者である以上、
いかに環境がきびしくとも、
時代の変化に対応して、
経営を維持し発展させる責任があります。

(//・ω・//)
‥‥なんべんコピペしてもおんなじことですがね(ё_ё)
(//・ω・//)
経営の学びを、
この言葉からはじめることにしましょう。
経営者である以上、
いかに環境がきびしくとも、
時代の変化に対応して、
経営を維持し発展させる責任があります。

暗記しましたね?” “(/*^^*)/

責任

大きなキーワードであります。
生きていくことすべてにおける
最重要キーワードのひとつであります。
責任を負っているかいないか、
それが大人と子どもを分ける基準でもありましょう。
経営者なら経営の全責任を取るのはあたりまえ。
しかし、
ほんとうにそのことが信念になっている経営者が、
さて何割いるでしょう。
労使見解を学んでいる中小企業家同友会の中でさえ
100人にひとりもいないんじゃないでしょうか。
業績が悪いのは‥‥
>景気の回復が遅れているから
>社員がやる気にならないから
>得意先が倒産したから
>政治家がアホだから
>銀行が金を貸してくれないから

‥‥エトセトラ。
あのとき誰がどうで、こうで、
あそこがああなっていれば、どうで‥‥
みたいに、
頭の中がタラレバでいっぱいになってませんか。
責任は経営者たる自分にあると、
わかっていても言い訳が止まらないタイプの社長も多いです。
全責任は自分
──会社のことだけでなく、
さらに極めて、
この宇宙で起こっていることのすべての責任は自分にある
と、
そこまで腹をくくってみてください。
そうすれば、
おのれがこの現実の創造者なのだ
っていう
次の学びへのステップになるでしょう。
全責任は自分にあると頭ではわかっていても、
どうすればほんとうに責任を取っていることになるかわからない方に、
責任感強化プランのヒント。
なにかのせいにしようとする心の姿勢から出る言葉を止めること
からはじめましょうか。
代表的なのが、
>‥‥のせい
>‥‥が悪い

という言い方ですね。
見苦しいというか聞き苦しいというか、
これ、
明々白々な責任回避ですから大いに警戒しましょう。
>○○○が○○○した(言った)からだ。
型の言いまわしも要警戒。
このときの「‥‥したからだ」
「‥‥したせいだ」と同じ意味ですからね。
タラレバ言葉はすべて要注意。
>あんなことさえ起こらなきゃあ(こんなことにはならなかったのに)
は、
(こんなことになってしまったのは)あんなことが起こったせいだ。

同じ意味ですから
責任回避用語になるんですね。
まぁこんな具合に、
いくつかの言いまわしを封印するだけでも、
起こってしまったことに正面から向きあう第一歩になります。
すべては自分からです。
じゃあなんでも「自分が悪かった」
「オレのせいだ」
という態度はどうか。
というと、
これも責任を取ることととはちがいます。
昔っから「ごめんで済んだら警察はいらん」と俗に言いますが、
たとえばあなたが歩道を歩いているところにバイクが突っこんできて
大ケガをさせられたとしましょう。
>オレが悪かったんです。
>バカだったんです。
>ぜんぶオレのせいなんです。
>はい、認めます。
>ほんとうにバカでした。
>オレって最悪ですよね。

って、
相手がさんざん自分を責め立てて平謝りで泣いたとして、
あなたはどんな気分ですか?
そんなことよりちゃんと誠意もって謝罪しろよ
って思いません?
治療費はどうしてくれるんだとか、
ケガして働けないあいだの収入とか、
お金の問題も大いに気になりますよね。
こんなことからもおわかりでしょうけど、
「自分が悪い」「自分のせいだ」と自分で自分を責めることに大した意味はない。
まして「あいつが悪い」などと他人を責めるのはまったくのスジちがい。
>反省だけなら猿でもする。
って言葉もありますが、
反省と責任とは次元がちがいます。
自分も含めて、
誰も、何も悪くないという前提に立つことです。
責めない、咎めない。
誰かが、あるいは何かが「悪い」と感じるから、
責めたり咎めたりしたくなるわけですもんね。
全責任が自分にあるなら、
なにかを咎めたり否定したりする言葉は一切出てこないはず
なんです。
>あいつさえこういうことをしでかさなければ‥‥
みたいな心の姿勢が自分にあるなと気づいたら、
きっとそれが言葉に出てしまっているはずですから、
その習慣を止めることが責任感を強化することにつながります。
習癖を止める方法のツボについては、
かなり大切な原則の補足説明を参考にしていただければと。
くりかえしになりますが、
誰も、何も、悪くない。
そもそも良いも悪いもない。

この前提に立ってすべてを見直すことです。
全責任は自分が負うんですから、
目のまえで起こっている現実は、
ぜんぶ自分が起こしているという前提を受け入れること。
電信柱が高いのも、
郵便ポストが赤いのも社長の責任である。
「社長が知らないうちに起ったこと」でも
すべて社長の責任なのだ。
一倉定「一倉定の経営心得」から

‥‥ていう名言もありますでしょ。
>ほなナニか?
>地球の温暖化までワシの責任かぁ?

とか、
そういうこと言わない言わない。
目のまえのこの現実を呼び寄せたのは自分なんだ、
それどころか、
この全宇宙を創造したのは自分なんだという、
そんな心の前提が強化されればされるほど、
うれしいことばっかり起こってくるようになります。
日々の人生が喜びだらけになる。
だから、
もういちど言います。
なにかのせいにしようとする心の姿勢から出る言葉を止めること
からはじめましょう。
それを経営習慣にしてください。
ちなみに、
さっき引用した一倉定さんの名言には実は元歌があるそうな。
古典落語に出てくる都々逸のひとつに
>空があんなに青いのも、
>電信柱が高いのも、
>郵便ポストが赤いのも、
>みんなあたしが悪いのよ。

っていうのがあるんだそうな。
さすが都々逸、
あつかましいくらい悲観的です。
こんなこと言ってる人に、
>誰も何も悪くないんだよ
って教えてあげても通じないんでしょうね。
あなたもわたしもときどきこんなふうになってないかどうか、
気をつけましょう。

コミュニケーションをよくする責任

労使のコミュニケーションをよくすることは経営者の責任です。
「当社の労働者は、ものわかりが悪い」
といくら愚痴をこぼしても問題は一歩も前進しません。中小企業家同友会全国協議会中小企業における労使関係の見解より

さて‥‥
あなたは社員の声に耳を傾けていますか?
そして
社員の想いをくみとることができていますか?
──中小企業家同友会例会のバズセッションでもしばしば取りあげられる
おなじみのテーマですよね。
業績好調の会社なら、
社長は自信家であることが多いので、
>まえは社員の話なんて聞く気にもなりませんでしたけどね、
>いまは社員のほうからなんでも話してくれるようになりましたヨ。
>ハハハッ!
>というのもね、
>社員全員と個人面談の時間を取るようにしましてね。
>それも会社の中じゃなしに外でね、
>食事しながら楽しくやるんですヨ~。
>ハッハッハッ!

‥‥みたいな感じ。
儲かってる会社の社長が言うんだったらそんなもんかな
って思うので、
それ以上は誰も突っこみませんが、
これが事実である確率はせいぜい10%でしょう。
あとでこっそり社員さんのほうに聞いてみると、
不平、不満、愚痴、経営批判‥‥

テンコ盛りw(゚o゚)w

な~んてことがザラにあるんですから。
幹部社員が突然辞表を出してきて
社長は寝耳に水っていうケースは、
こういう自信家の──つまり勘ちがいの大きい──社長の会社に多発します。
こんな勘ちがい社長にかぎって業績不振を社員のせいにします。
業績が下がると態度が一変するんですね。
ε=( ̄。 ̄;)
対照的に‥‥
>「言いたいことがあるなら言うんだぞ」って、
>社員にはいつも言うんですけどねぇ。
>「どんな小さな意見や感想でも、
>なんでもいいから言ってくれよ。
>オレはちゃんと聞くからな」ってね。
>でもやっぱりなかなか言うてくれませんね。
>聞いてるつもりが聞けてない証拠ですね。

‥‥みたいな謙虚な社長のほうが信用できます。
なかなか社員は自分の本心を打ち明けない。
社員にかぎらず、
心になにか否定的な感情──不満でも憎しみでも──を抱いている人は、
その対象となる相手にはむしろ心を隠そうとするでしょう。
知られたくない悩みに苦しんだ経験は
あなたにだってあるはずです。
さいわい人間関係が良好で心を開く準備ができていたとしても、
悩んでいる本人は
自分がどう思っているか自分自身でわかっていないことがほとんどです。
本人が自覚できないストレスだって、
どれほどあるかわからないわけで、
むしろそっちのほうが怖いわけですし。
上司が「すごくコミュニケーションとれてる」と吹聴しているところは、
部下が上司の聞きたそうなことを並べてるだけ‥‥
っていう
うわべだけのケースが多いので要注意なんですね。
コミュニケーションはままならぬものなんです。
部下が抱えているストレスに上司が敏感になってやらないと
組織のベストが引き出せないわけですが、
そのためには
上司が心のスペシャリストである必要があります。
わたしの友人で、
コーチングの理論とスキルを深く身につけた優れたコンサルタントがいます。
会社訪問をすると、
>いま、○○部の△△さん、
>ちょっとしんどい時期みたいなんで、
>こんなふうに一声かけてあげたらいいですよ。

って、
社長にアドバイスしてます。
オーラが読めるというか、
ちょっとした異変にパッと気づくタイプなんですね。
看護師として長年仕事をされた経験が生きているのでしょう。
本人が気づくより先に、
体調の変化に気づいてあげる必要のある現場ですもんね。
尊敬します。
たとえばあなたの会社に、
あした自殺すると決めている人がいたとして、
あなたはそれに気づきますか?
コミュニケーションは回数が大事‥‥
というのも確かです。
顔を合わせて声を聞く接点をつくらないことには、
感じ取れるはずのものも逃してしまいます。
だからといって、
>みんなと飲みに行く回数を増やせばいいんだな(ё_ё)
‥‥ではない。
そんな形式ばった行為に意識が向いていたのでは何にもなりません。
人は誰でも、
信号というか波動というか、
からだから何らかのメッセージを発していますから、
そこを感じ取っていくことこそが大切だと思うんです。
男女の仲でもそうですよね。
>引き出しの中の書類を片づけはじめたときは
>彼の機嫌が悪い兆候よ。
>無意識に気持ちを立て直そうとしてるのよ。

みたいなこと

知っている彼女がいます。
愛している相手なら、
本人が気づくまえに気づくこともできるのです。
夫婦や恋人でもないのに、
そのくらいの微妙な変化に気づくには、
あたかも高性能なアンテナをもった受信機のように を研ぎ澄ますしかありません。
心のお手入れをまめにやっていると、
がぐんぐん冴えてきて
そういうこともわかるようになります。
ピンとくるってやつですね。
もうひとつのIT

使いこなせるようになりましょう。
話そうとしない部下がいるんじゃなくて、
聞こうとしない上司がいるだけなんです。
ホウ・レン・ソウも同じ。
>何回注意してもあいつは
>いっつも大事な報告を忘れる!

じゃない。
報告しにくい雰囲気のあなたがそこにいるだけ。
よろしいか。
わたしたちの目に映っているもののすべては、
わたしたち自身の想念が創造しました。
呼び寄せたという以上のものがあります。
想いは現実化しているんです。
あなたが全宇宙の創造主なわけですから、
その出来ばえのすべてに責任を持つという気構えでいいでしょう。
ましてやあなたの会社で起こっていることなら、
なにからなにまで責任を取って当然。
>しかしね、
>すみずみまで目が届かないからこそ、
>部門のリーダーに部門のことは任せるわけでしょ。
>そこの部門がヘマをしたら、
>それは任されたリーダーに責任を取らせないと、
>無責任なリーダーばっかりになってしまうじゃないですか。


おっしゃいますか。
もちろん責任は持たせてあげてください。
>このプロジェクトに失敗したら、
>リーダーのキミに責任を取ってもらうからな。

っていう言い方もOKでしょう。
権限が大きい割に責任感がないリーダーは
組織をつぶしてしまいますしね。
ただ、
責任を持たせるということは責任転嫁とはちがいます。
よね?
>これはおまえの責任だからな。
>オレは知らんからな。

じゃない。
そういうのは自分の責任を放棄した態度です。
冷たく突き放すのは言葉のアヤ、
便宜上のことだけにしといてください。
組織の中で誰かに責任を与えたら、
それより大きな責任が与えた側に残ります。
責任を与えた責任ですよね。
任命責任、監督責任‥‥。
>なんであいつのケツまでオレが拭かなあかんねん!

完全にあなたの責任放棄です。
社員が自殺という最悪のケースは、
わたしの関与する会社では過去に1件だけですが、
うつ病になってしまったという話は数えきれません。
社員が勝手にうつ病になったんじゃないんです。
そこまで見逃していたあなたの責任です。
相応のダメージを会社が受けることになりますが、
それこそが学びなんです。
ぜんぜんいいことではありませんが、
メンタルヘルス系セミナーの大盛況が続く国、
それが日本です。
>パワハラによるうつ病が労災認定されるようになったらしいから、
>セミナーでも受けとこう‥‥

じゃ
ないんですよ。
自分のまわりにいる人みんなのしあわせについて
責任を取ろうとする意識

から
スタートしましょう。
ほんとうはしあわせなのにもかかわらず、
そのありがたさに気づかず、
わざわざ自分を不幸にしている人が多すぎます。
>アホな部下の責任までぜんぶ背負ってたら
>こっちの首が危ないワ。

じゃ
ないです。
実際には正反対のことが起こります。
いまよりずっと楽になるんです。
ほんとうに、
責任は取ろうとすればするほど自分が楽になります。
この現実は自分の想念がつくったんだ。
だから目の前のこの出来事も自分が起こしたことにちがいない。
そんなつもりじゃなかったにしても、
無意識に描いてきたことがこのタイミングでひょっこり出てきたんだな。
全責任を押しつけられるのもどうかと思うが、
たしかに責任の何割かは自分にあるかもしれない。
またあらためて想いを点検してみる必要があるな。

──と、
まぁこういう決着を習慣にしてみてください。
迷いも躊躇も屁理屈なにもなく、
すべての責任を我れが引き受けると決めるのです。
そうすると‥‥
もう他人を責める必要がなくなるじゃないですか。
これがとにかく楽なんです。
>そうは言うても、
>目の前でどんくさい仕事するマヌケな社員がいたら、
>朝から怒鳴りたくもなりまっせ!

‥‥ですよね。
でもそんな人が近くにいるという現実は、
あなたが今日まで生きてきて積み上げてきた、
あなた自身の成果でもあるわけです。
よね?
いい出会いっていうのもまた、
運とか偶然などではなく、
ふだんの想いしだい。
自分の嫁(または亭主)だとわかりやすいんですが、
気がきかんだの、稼ぎが悪いだの、浮気性だの、
いろいろ愚痴をこぼしてみたところで、
その相手を選んだのは自分自身ですし、
籍を入れると決心したのも自分なわけです。
なのに、
選んだ自分の責任はそっちのけにして、
相手の悪いところばかりを責める人っていうのはどんなもんでしょ。
いい出会い

引きよせなかった自分の想念を点検しなければ、
離婚して再婚してもまたババを引くだけです。
なまいきな口のきき方をするムカつく社員がいたとしたら、
あなたの想念が相手にそういう口のきき方をさせているんだと思うことにしましょう。
するとまもなく、
>ウチの社長は口ではえらそうなことばっかり言うくせに、
>わたしたちの話なんてちっとも聞いてくれない。


陰口を叩かれることが激減します。
(陰口だから聞こえないはずなんですが‥‥
なぜか減ったとわかるようになります。)

妙にモテたりします b(⌒o⌒)d
楽なんです。
コミュニケーション×責任
っていうテーマ、
くれずれも軽々しく扱わないようにしましょね(≡^∇^≡)