HOME > 共に育ちあえる強い会社づくり > 3-コミュニケーション >

感情的にならずに感情を伝える

この、
感情的にならずに感情を伝える
っていう
めちゃめちゃすばらしい心がけ

御社のグランドルールにも加えられてはいかがでしょうか。
‥‥
はい?
グランドルールがそもそも設定されてません?
え?
グランドルールって何かってことをご存じない?
はいはい。
わたしも去年まで知りませんでしたので、
ぜんぜん気にしなくていいですよ。
たぶんね(ё_ё)
えーっと、
グランドルールっていうのは、
会議やミーティングを開く際に設定するルールのことで、
参加する全員で共有して守るものですね。
ルールなんてもん、
そもそも好きじゃないわたしが、
自社のミーティングにあえてグランドルールを設定しているのは、
コミュニケーションが下手くそすぎる!
っていう自戒をこめてのことです。
世の9割以上の社長が、
社員の話に耳を傾けていないという説もありますが、
わたしは
社員から日々ボロカスに叱られているくらいなので、
ぜんぜん話を聞けておりません。
I am totally guilty
──全面的に罪を認めます。
さすがにこれじゃあマズかろうってことで、
社員のほうから項目を出してもらうかたちで、
グランドルールを決めました。
人の発言は最後まで聞く
とか、
否定語は使わない
など、
耳の痛い項目が並んでおります。
他にも、
言い訳はしない
とか、
人のせいにしない
など、
なかなか立派な心がけを、
社員みずからがグランドルール化して実践してくれています。
実効性が上がって成果が出ていますので、
大いにマネしてください。
会議やミーティングには、
職場のコミュニケーションパターンが凝縮されていますよね。
この組織は
いつも
こんなやり方で意見をまとめていく
っていう、
クセっていうか、
型っていうか、
流儀みたいなもの。
つまり習慣
会議で自由にものが言えない組織っていうのは、
飲みに行こうがBBQパーティを開こうが、
やっぱり風通しはよくない。
自由にものが言える
ってえのはどういう感じなのか、
とっくの昔に忘れてしまって思い出せない。
そんな具合なので、
ミーティングの進め方にあらわれる
コミュニケーションパターンこそが、
社風の中核にあるもので、
企業文化を形成する土台だといっていいでしょうね。
いやまったく、
子どもじゃあるまいし、
いやですよ、
ルール
なんて
押しつけがましくて。
でもこれは、
そこまでしてでも組織の習慣にしたいんだという
わたし(=社長)の強い意思表示です。
これを、
わが社の経営習慣にしたかったんです。
中でもとりわけ
感情的にならずに感情を伝える
は、
部長が出してきたものなのですが、
実にすばらしいと思います。
わたし個人としても
感情のコントロール

きわめて価値の高い習慣と位置づけていますから、
そういうところが社員と共有できるってことは、
ほんとうに喜ばしいことです。
まず大前提として、
感情は抑えないほうがよい
と考えています。
ネガティブな想いを心に
しまいこんでしまうのがいちばんよくないんです。
一時的には波風が立たなくて場が丸く収まるかもしれませんが、
しまいこんだ本人のメンタルがダメージを受ける。
出さないよりは出したほうがよいはずです。
だから出し方が大切。
「出し方」とはすなわち感情表現です。
汚い出し方でも出さないよりはいいんですが、
できることなら綺麗に出したい。
きちんと感情がコントロールされた状態で、
ニュートラルな言葉に置き換わって出てくるのがいい。
マネーロンダリングならぬ
感情表現のロンダリング
みたいなことを
やるんですよ。
たとえば‥‥
>なんでそんな言い方するんですか!
って、
ある女性社員──A子さんとしましょう──が
男性で上司のあなたにブチ切れたとします。
8割以上の確率で、
あなたの脳は
>そんな言い方ってどんな言い方だよ?
>何がどういけなかったっていうんだよ?

って、
ぜんぜん意味わかってない状態になってます。
しかし
そこの理解できない部分はそのままにして、
>おい、ちょっと待てよ。
>アホかこの女は。
>上司に逆ギレするなんて考えられんぜ。
>これだから女は使えないっていうんだ。
>まったく!
>組織をなめてんじゃねえよ。

となる。
はい、
アホはあんたです。
(わたしもですけど。)
アホな男の上司に、
そういうキレ方をしたら、
こういう展開になるとわかってて、
やっぱりキレたA子さんもちょっとアホ。
要は
どいつもこいつも全員アホでおめでたいんですけど、
こんなことからみんな少しずつ学んで、
同じ衝突はくりかえさないようにしましょうね
っていうのがグランドルールの趣旨。
じゃあA子さんは
どう言えばよかったのか。
感情的にならずに感情を伝える
──その心がけでがんばってみてたらどうなったか。
>いまの言い方、
>おかしくないですか。
>なんかカチンと来ましたけど。

くらいにしとけばどうだろう。
それなら男性脳にもわかりやすく入るし、
ちょっと反省してみようかなっていう猶予もある。
>え、そうなの?
>悪かったね。
>じゃ、どう言えばよかったか、
>ちょっと考えてから言い直してみるわ。

と、
そんな流れになればひとまず衝突回避。
時計の針を戻し、
そこから真剣に言葉を選び直していく作業が始まります。
しかし、
このとき謝罪したつもりの「悪かったね」っていう言葉は、
A子さんの耳にはちっとも反省しているようには聞こえてないので、
さらに火に油を注ぐ展開となり、
部下による上司の躾(調教?)がエンドレスに続く
‥‥みたいなことが
わが社ではわりと日常茶飯事だったりします。
──がんばっとるんだよ、
コミュニケーション。
(ё_ё)
職場に一歩足を踏み入れたら、
なごやかなムードかどうかわかりますね。
だいたいの人間模様が伝わる。
表面的には衝突がなく静かであっても、
抑えられているだけかもしれません。
みんなが自分の感情を
少しずつ抑えている。
そんなのがなんとなく気配で知れる。
>え?
>でも、それってあたりまえじゃないの?

と、
思われる方も多いはず。
個人の感情をいちいち浄化するのに手間ヒマかけてたら、
組織活動が成り立たないわ、
と。
わたしもしょっちゅうそう思います。
コミュニケーションコスト
っていう概念が
頭に何度も去来します。
しかしそこで
個人の感情を組織のために抑える必然の結果として
うつ病やらなんやらでメンタルヘルスが損なわれ、
貴重な人財が第一線から抜け落ちてしまうとしたらどうですか?
耐えられなくないですか、
そういうの。
もっとも信頼する最良のパートナーである社員が、
心で苦しんでいると思うとそれだけでつらい。
社長は
会社の中では最高の権力者です。
それはつまり、
社員を抑うつに追いこむことができる絶好のポジションでもあるわけで‥‥
恐ろしいことです。
経営者は経営のエキスパートであると同時に、
心のエキスパートたるべしと思います。
1年や2年ですぐ辞めるやつのことは、
ま、
大目に見てもらいましょっか。
だめ?
だってそういう人材は、
どこへ行ってもやっぱり続かないんですから。
まだまだ修行半ばで二流経営者にもなりきれないわれわれが、
そこまで気にしてたら組織がもたないでしょ?
だめ?
少なくとも3年以上がんばってくれてる人だけでもね、
その苦労に報いたい。
三流経営者のダメダメな舵取りに、
辛抱強く耐えてくれている人たちです。
まじめにがんばって会社の中軸に成長しようとしている。
だからこそ、
メンタルなクラッシュは一気に来る。
積もりに積もったものの重みで、
つぶれるときはあっという間。
それだけは絶対に
避けたいじゃないですか。
ね?
部下の話に耳を傾けることに、
じゅうぶんな時間を取ろうではないですか。
口にチャック。
死語かもしれませんが‥‥
耳はダンボに。
どれだけ責められてもなじられても誠心誠意、
感情移入に努めましょう。
努力に裏切られることはありませんから。
ちがいをちがいとして認めることができる企業文化

徹底されてくれば、
意見が真っ向から対立していてもなごやかに話せます。
お互いがお互いに
銃口を向けあいながらでも、
なごやかに
笑顔で話せる。
テレビや映画で
そういうシーンを観たことないですか?
かっこいいでしょ。
はらわたが煮えくりかえるくらいの修羅場でさえね、
感情表現をコントロールできるっていうのは、
かっこいいことの象徴なんですね。
実社会でもそれをやるんですよ。
やれなきゃおかしい。
だって、
わたしとあなた、
あなたと彼女、
ちがうのがあたりまえ。
>撃ち殺してやりたいほどムカついてまーすb(⌒o⌒)d
って、
クールに言いましょう。
感情表現のコントロールが感情のコントロールに直結してますんで。
ぎゃあぎゃあ大きな声出さない。
取り乱さない。
カチンッ
ときたその刹那に
表現の変換アダプタが機能するかどうか。
そこに、
オトナとコドモの境界線があると思います。
感情コントロールのベストな手段として、
わたしが選んだのは安定打坐
そして心身統一法の体系をつかんで実践していくことが、
感情的にならずに感情を伝えるためのベストな方策であると考えます。
入社した者全員に「成功の実現」を贈るのは、
かっこいい会社にしたいから。
誰かが感情的に取り乱してしまったときは、
その場ですべての業務を止めて、
10分間の瞑想がはじまります。
かなり特異な経営習慣ですが‥(ё_ё)

笑顔は苦痛か

笑顔は苦痛ですか?
あいさつは苦痛ですか?
トイレ掃除は苦痛ですか?

──いやまったく、
わたしが言うのもなんなんですけど、
いろんな人がいてるもんです。
今回は、
職場で笑顔のない社員をどうするか?
っていう難問に
取り組んでみましょう。
>そんな愛想の悪いやつ、
>はじめから採用しなきゃいいじゃないか。

っていう答はナシってことで、
もう雇っちゃったってことにしてください。
仕事をさせてみてしばらくたってから、
事の重大さに気づいたっていう場面設定です。
会社から見て「笑わない」ってことは、
本人にとってみれば「笑えない」っていう、
双方にとって深刻なテーマです。
そういえば、
「スマイル」をメニューに載せて、
0円で販売してたのは日本マクドナルド。
なかなかウィットの利いたシャレで、
けっこう有名ですが、
昨年(2012)なぜかこの「0円のスマイル」がメニューから消えました。
マクドナルド側は、
>常にスマイルを提供しているため
>あえて「スマイル¥0」のメニューはなくしました

とコメントしたとか。
ほんとうは笑顔のできる若い子が減ってしまったために、
恥ずかしくってやってられなくなったんじゃあ‥‥

勘ぐりたくもなりますがね。
ところがまた先月、
そのメニューが突然復活したようです。
なんだかブレてますね、あの会社。
ま、それはさておき、
接客業やサービス業では、
笑顔は欠かせません。
いちばん大事な素養のひとつです。
ほんとうは職種に関係なく大切なものなのですが、
人と接するコミュニケーションの場においては、
特に、特に、特に、大切とされています。
だから、ややこしい。
人の心をハッピーにするはずの笑顔が、
実は反対に、
多くの人にとってすごく大きな心の負担になっている。
いつも朗らかで人気者でモテモテなあなたにとってみれば、
信じられないことかもしれませんが、
正直に微笑むことができない人が7割以上いるのです。
電車とかバスに乗ってまわりを見渡してみれば一目瞭然ですが、
ふだんからあたりまえにニコニコしている人っていうのは
100人にひとり
か、
まぁせいぜいふたり。
そんな確率です。
あとの人は、
スイッチを入れるみたいにして必要に応じて笑顔になるか、
そのスイッチの入れ方がわからないから笑顔が苦手になるか。
中には確信犯的に、
「ここじゃ笑いたくないから笑わない」っていうタイプもいます。
本人いわく
>楽しいときはちゃんと笑える。
>わたしが笑えないのはこの職場の雰囲気のせい。

ってことらしいんですけど。
組織としてはこういうのがいちばん厄介です。
辞めてもらうのが本人のためにもいちばんいいかもです。
表情っていうのは心の状態があらわれます。
情が表れるから表情っていうんですもんね。
心が未成熟でしんどい人は、
やっぱり表情もしんどくなる。
心がおもしろくなければ顔もおもしろくない。
求人/採用/神戸 >笑顔しろ!
って命令してそいつが笑顔になるくらいなら、
なんの苦労もありません。
ただ口角を上げるだけの簡単なことができないんです。
10秒と持続できない。
口は横に開いたとしても目つきがどんより苦しそう‥‥とか。
これは、
わたし自身も経験してますからよーくわかります。
むかしサラリーマンだったとき、
営業部では笑顔は絶対でしたもんね。
さからえない強制命令でしたし、
ここぞとばかり徹底的にシゴかれました。
素直じゃなかったわたしにはスマイルはちっとも身につかず、
辞表を書いた理由のひとつになりました。
>笑顔って
>とっても大切なんだよ(≡^∇^≡)

なんて
能天気にホザいているヤツを見ると、
ウザい、気持ち悪い、アホくさい、仲良くしたくない‥‥
と、
40歳をすぎてもまだ本気で思ってました。
(そんなわたしがいまじゃ部下に笑顔を注意している‥‥
ってのは宇宙の七不思議ですなあ。)

自分の心の向きとちがうことをやらされるのは苦痛です。
屈辱的と言えるほど大きな苦痛です。

しかも、
笑顔のないその社員は、
過去にも同じような注意を受け、
すでにトラウマ(心的外傷)を負っている可能性が高い。
本人はいたって「ふつう」な気分で「ふつう」な顔をしているつもりなのに、
まわりから見たら不機嫌そうに見えるってことで、
不機嫌な顔をするなと叱られる。
生意気だといっていじめられることもある。
こういう注意をね、
若いころからもう何百回、何千回とやられますとね、
ひねくれるなっていうほうが無理なくらい。
心はかなり深刻にへこたれてしまいます。
注意を与える側は2度や3度のことなので無責任なもんなんですけど、
いろんな人から同じことをくりかえし注意されるもんですから、
受けるほうは何百回、何千回と積もってきます。
このストレスは小さくありません。
何にも自信のもてない萎縮した人格ができあがってしまうでしょう。
ゆがんだ笑顔

クセになったりします。
あなたはだいじょうぶですか?
世の中ね、
いろんな人相がありますよ。
目尻が垂れ下がって丸顔の人──笑福亭鶴瓶さんとか──のように、
「ふつう」にしているだけで機嫌がよさそうに見えるタイプもある。
ヤクザみたいな顔つきの人は、
銭湯でシャンプーしてても怖い。
笑顔じゃないことを責められすぎる苦痛を味わっている人は、
実は世間で認識されているよりはるかに多い。
愛想がよくないことを気に病んでいる人は驚くほど多いです。
>自分は、
>いっしょにいて感じのいい人間じゃない

と、
あるときガツンと自覚してしまったその人たちは、
ある種のまずい行動パターンを取りがちです。
好かれるためにウソの笑顔をつくる
といったパターンです。
ふつうの自分には魅力がない。
ふつうにしてたら好かれない。

と、
こんな恐怖に従って取る行動パターンは、
かなり大切な原則にもとづいて、
たいてい悲劇的な結果を生んでしまいます。
その人は追いつめられてどんどん自分の魅力を過小評価し、
ますます好かれないことになるでしょう。
心のスタンバイができていない相手に、
笑顔を強制していると逆に性格に歪みが生じます。
>心が泣いているときでも顔ではニコニコしてろよ。
──なんていうのは
心が成熟した大人に対してだけ言ってもいいアドバイスです。
相手がプロならこれは当然のこととして注意していい。
しかし、
自分の気のもちようには責任がある
っていう言葉の意味もわからんガキんちょに、
笑顔なんて求めてはいけません。
強制したところで何も身につかない。
ガキんちょはガキんちょでも、
逆ギレするガキはまだ幸運。
居直ることで本人は救われますから。
>オレがどんな顔で街を歩こうがオレの勝手やろうが。
>いちいちエラそうにケチつけてんじゃねぇよ。
>しんどいときにしんどそうな顔して何が悪いんや?
>これがオレなんや。
>オレはこういう人間なんや。
>なんか文句あんのか?
>オッ?

──な~んて
厚かましく見栄が切れるってヤツは、
ある意味マシなんです。
居直ってしまえば、
あるていどは楽になれる。
もっとも
別の試練が別の場所で待っているのは確実ですが‥‥ね。
さあいずれにせよ、
こんな社員が笑顔を取り戻すまで、
あなたの会社は面倒みてあげられるんですか?
>そういう愛想の悪いやつは、
>笑顔のいらない部署にまわしときゃいい。
>1日じゅう削るだけとか運ぶだけ調べるだけとか、
>誰とも話す必要もないし笑顔なんか関係ない、
>そういう仕事をさせときゃいい。

‥‥っていう対処は、
ま、
それができる組織ならそれでいいかもしれません。
要は会社の育成方針として、
そこらへんが整理してありますかってことなんです。
与えた仕事をとりあえずこなしてくれたらそれでいい
ってことなのかどうか。
人は変わらない
という前提に立つのかどうか。
変わるという前提で育てるなら、
どんな制度でどのくらいの期間かけて育てるのか。
期待どおりの結果が出なければどうするのか。
真理からいえば、
どんな無愛想な人間でも、
ニコニコした仏さんみたいな人格に生まれ変わることはできます。
しかし経営者は心理セラピストではありません。
笑顔を忘れた人間に、
それを取り戻すまでカウンセリングを続けるわけにはいきません。
何年かかるかわからない話ですから。
人財育成をどう考えるのか。
どっちつかずの方針では、
お互いが傷つくことになりかねません。
結論としてはやはり──
どんな会社にしたいのか?
っていう問いかけへあなたが戻っていくことです。
それに尽きます。
こんな会社にしたい。
だからこんな人財が、
こんなふうに育ってほしい。
だからこういう評価制度を設けてうんぬんかんぬん‥‥
っていう順序でいくしかないんじゃないでしょうか。
わたしたちの会社ではそこのところ、
もう妥協しないことに決めました。
笑顔のない人には辞表を書いてもらいます。
ガキんちょが大人になるまで、
寛容に見守ってあげるだけの包容力が、
まだウチにはないと判断したからです。
笑顔のない人が、
どうしたら笑顔になれるか‥‥っていうテーマは、
また別のところで取りあげることにします。
「会社に来たら、絶対ニコニコしていろ」って、私はいつも言っています。
うちはブスーっとしているだけでクビなんです。
「私は何にもしていないのにクビになった」と言っても、しているんですよ。ブスっと。
ブスっとしているだけで、まわり近所は気分が悪くなるんです。
会社へ来たらニコニコとしているものなんです。
ここで飯食ってもいいけど、ここでウンコをしちゃいけないんだよ。
ウンコするんだったら、便所に行け。
それと同じことなんだよ。
「ウンコみたいなブスっとした顔するなら、便所から出てくるなよ」って、つね日頃から言っていなきゃ駄目なの。
これってね、大切なの。
うちの会社はこういう会社だって、つね日頃から言っていれば、みんなもそうだと思うのです。
これってね、大切なの。
そのお陰で、うちの会社はブスっとしててクビになった奴はひとりもいないんだよ。
ブスっとする前に言う、これが大切なんだ。
   ***
商人は笑顔しかないんだよ。
怒った顔もなければ、泣いた顔もない。
役者なんて、いろんな役やらなければならないんだよ。
商人はワンパターンでいいのに、なぜできないんだよって。役者だと思ってみろよって。
役者なら、どんな役だってやるんだよって。
商人は、笑顔しかないんだよ。
葬儀屋じゃないんだから、毎日ニコニコしていればいいんだよ。
こんな楽な仕事はないのです。
「なぜ、できないんだよ。それで、笑顔のつもりかよ」って。
「もっと笑って見えなければ駄目なんだよ。鏡見て研究しなよ」って。
「おまえのハーイ!はハーイ!になってないんだよ」って。
お客さんが来たとき、うれしそうな返事じゃなきゃ駄目なんだよ。
追求して追求して追求するから楽しいんだよ。
なんでもそうなんだよ。
斎藤一人「人生が全部うまくいく話」より

もっと聞き上手になるには

刺激と反応の間にはスペースがあり、
そのスペースをどう生かすかが、
私たちの成長と幸福の鍵を握っている。
スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣」より

「7つの習慣」は、
うちの社員に借りて読みました。
いい本だ、いい本だと、
彼女がしきりに話題にするもんですから、
何社かで集まって勉強会を開いたこともあります。
さすがベストセラーのビジネス書だけあって、
いいことが盛りだくさんすぎて、
人によって印象深いポイントや仕事への活かし方がばらばらでしたけど、
わたしはとにかく上記の一文に激しく食いついてしまったんです。
元の出典は、
ヴィクトール・E・フランクルっていう、
オーストリアの精神科医の言葉でした。
Between stimulus and response there is a space. In that space lies our power to choose our response. In our response lies our growth and our freedom.

第二次世界大戦中、
ナチスによってアウシュヴィッツに送られ、
強制収容所に囚われた極限の体験記録、
「夜の霧」の著者です。
わたしはこの言葉から、
もう30年近くまえに読んだジョージウエインバーグの本を思い出しました。
Self Creationのことは
このサイトのかなり大切な原則でも触れたことがありますが、
同じ著者が書いた
The Action Approach(邦訳書は絶版「自己発見の行動」
っていう古い本の一節です。
 Two characteristics apart from the strength of the impulse may make an activity difficult to stop. The first is insignificance. Habits difficult to identify may be surprisingly hard to break. When it is easy for us to smuggle our indulgences past the censor of consciousness, we have less control over an activity than when we can identify it easily. There are cigarette smokers, even inveterate ones, for whom it would be harder to stop a habit like gesticulating or bitting a lip than to stop smoking. With smoking lighting a match to a cigarette, which is conscious act, provides a cue that can be used as a reminder; and certainly, buying a pack of cigarettes is an act that gives us time to reflect on whether we’ll smoke. With gesticulating or bitting lip, we have no such reminders. from “The Action Approach” by Dr. George Weinberg

以下に、わたしなりの意訳を試みました。
それをする自分がいやで、止めたい癖があるにもかかわらず、
なかなか止められない状況
を思い浮かべてください。
<<
 したくてたまらないという衝動的な欲求を別とすれば、変えたい習慣があるのにどうしても変えられない理由には2つの側面があります。
 そのひとつは、どうでもいいことだという感じです。こまかすぎて確認しにくい癖は、驚くほど変えにくいのです。意識のセンサーを簡単にかいくぐる行動は、自覚しやすい行動に比べてコントロールが効きません。ヘビースモーカーがタバコをやめるのはたいへんですが、それよりも、話すときに手を動かしたり唇をかんでしまう癖を止めるほうがもっとたいへんだというのです。
 なぜなら、タバコを吸うときには、タバコに火をつけるという意識的な動作が、止めたい習癖の存在を思い出させてくれます。もっといえば、タバコを買うという行為が、タバコを吸うのを思いとどまるチャンスを与えてくれます。ところが、話すときに手を動かすとか唇をかむことの場合、思い出させてくれるきっかけがないのです。
>>
「7つの習慣」「夜と霧」の趣意とはぜんぜんちがうんですけど、
とにかくわたしの脳裏にはこれが浮かんできた。
長くて難解な引用になりましたが、
この中で着目してほしい語句は、
censor of consciousness
(意識のセンサー)
であり
reminder
(思い出させてくれるきっかけ)
です。
刺激と反応のあいだのspace(スペース)

狭すぎて、
意志の力
では
どうすることもできない
っていうポイントと向きあいたいんです。
別のたとえをすれば、
体重を20キロ落とすより、
貧乏ゆすりを止めるほうがむずかしい

みたいな話をしたいのです。
わたしたちが自分の行動を変えようとする場合、
意志の力

たいていものは変えられます。
ところが、
反射的にやってしまうこと
つまり、
刺激を受けたときに、
意識のスピードよりも速く外に出てしまう反応は、
どうにもこうにもコントロールできない。
この悔しさ、忌々しさを、
いったい何年引きずったことでしょうか。
今回わたしは、
聞き上手
っていうテーマを取りあげたいわけなんですが、
ここまでの長い引用のいったいどこが、
人の話を聞く
っていうことと関係しているのか?
猛烈にまわりくどい順序になってしまいましたが、
これからきちんと説明しますね。
キーワードは
space(スペース)
です。
当社の経営指針書では、
最重要の経営課題として、
つねに、
社内のコミュニケーション問題が取り上げられております。
ところがわたしはといえば、
人の話を最後まで聞かないことを
社員にしょっちゅう注意されてます。
>あ、また、
>途中で止めましたよ。
>どうして最後まで聞いてやらないんですか?

とか、
>いまのその言い方、
>相手の発言を否定したことになりますよ。
>気がつかないんですか?

って。
何回もキツく叱られるんですけど、
見捨てず根気よく指摘してくれる社員がいてくれて、
ほんとうにありがたいことです。
すごく感謝してますが、
それにしてもこれほど何回も何回も、
くりかえし同じことばっかり注意されていて、
しかも当の本人(つまりわたし)も、
気をつけて直そうと真剣に努力しているのに、
なかなか改まらないのはなぜか。
どれだけ苦しんでも、
なかなか変われない。
できなさすぎて悔しい‥‥。
スペース‥‥
刺激と反応のあいだの
スペース

狭いんですね、
あまりにも。
みなさんには
こんな心当たりはありませんか?
>人の話を聞くっていうのはとっても大切なことなんだからな、
>しっかり聞いてあげよう!!

なんて力んでみても、
ふと気がつけば口を差しはさんでいる。
求められてもいない「答」
示さないといけないかのような錯覚に陥って、
>それはつまり、
>こういうことでしょ。

などと、
勝手にまとめてしまっている。
パッと浮かんだことがもう
即座にポロッと口から出てしまうから
コントロールのしようがない。
>いや、でもね、
とか、
>それよりもね、
って、
まばたきするよりすばしこい信号が頭に
パッ
で、
よけいなひとことが口から
ポロッ
と。
落ちついている気分のときですらそうですから、
ちょっとイライラしてしまうともう収拾がつきませんよね。
>あなたそう言うけどさ、
>それ、
>期限までにホントに実行できんの?

>ちょっとは採算のこと考えたん?
って。
これで社員さんたちの自由な発想がバッサリ閉ざされます。
ペシャッと萎えてしまう。
悲しいことですよ、
これは。
社員さんたちに意見を出してほしくって
ミーティングやってるのに。
上司がみずからその道を閉ざす。
あなたの発言はたったひとこと、
ほんの一瞬。
でもそれで閉ざされた部下の可能性は、
永久にとはいわないまでも、
何年も思い鉄のフタをかぶせられて陽が当たらない。
悲しすぎません?
活発に議論したいし、
アイデアも多いほうがいい。
だから口先ではね、
>積極的になんでもどんどん言ってくれよ。
>ふだん感じていることとか気づいたこと、
>いっぱいあるよね。
>みんなで出し合って、
>ほらほら、
>検証しあおうよ!

なんて明るくね、
引きだそう引きだそうとしてるはずなのに、
現実には
場を仕切っているリーダーのあなた自身がつぶしてる。
llllll(-_-;)llllll
ちょうどそれは、
まさにこんな感じじゃないでしょうか。

話をしているとき、
ほとんどの人は理解しようとして聞いているのではなく、
答えようとして聞いているのだ。
話しているか、
話す準備をしているか、二つにひとつである。
聞いている話をすべて、
自分のパラダイムというフィルターを通して、
自分の自叙伝を相手に映し出しているだけである。
例えば、
「そうだ、そうだ、気持ちはよく分かるよ」とか、
「私も同じ経験をしたんだよ。それはね‥‥」といった具合である。
このような人々は、
常に自分のホームビデオをほかの人の生活に映写している。
接するすべての人々に、
自分がかけている眼鏡をかけさせようとする。
   ***
どちらもお互いに理解されたいと思っている。
しかし、
会話は独り言を言っている者同士で展開し、
相手の中で何が起きているのか、
最後まで本当に理解することができない。
スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣」より

どうです?
心に刺さるものがありませんか?
「7つの習慣」のうちの第五の習慣「理解してから理解される」にある文章です。
llllll(-_-;)llllll
こういう悲しい現実に無頓着で、
反省も努力もしてないのは
問題外
でしょうね。
たったひとこと

重みや怖さを顧みようとせず、
コミュニケーションをナメてるとしたら、
その時点でリーダー失格。
いや‥‥
まあ、もしかしたら
大物なのかもしれませんけどね。
>結果さえ出しゃあ文句ねえだろ!
じゃ
ねえだろ。
わたしがここで訴えたいのは、
わかっちゃいるけど変えられない
っていう、
苦悩のレイヤだ。
唇をかむクセを止めるのは、
タバコを止めるよりむずかしい。

この事象の意味についてだ。
日々、
相手の話にちゃんと耳を傾けよう

と、
今日こそは
話の腰を折らないでおこう

と、
そう自分に言いきかせても、
ついうっかり、
というか
半ば無意識に‥‥
>あのねぇ

口から出てしまう。
信号が頭に
パッ
で、
口から言葉が
ポロッ
と、
出てしまう。
パッ‥‥
ポロッ‥‥
──この反応は反射的なんだ
っていうところが、
きわめて重要。
思い出させてくれるきっかけ
なく、
意識のセンサー
いとも簡単にすり抜けられる。
刺激から反応までのスペースが、
ないに等しいんです。
だからこの手の発言は、
なかなか止められない。
┐(-。-;)┌
が、
それでも方法はあるんだ
と、
わたしは申しあげたい。
たったひとつ、
刺激と反応のあいだの
スペース

広げていく
という道があるんだ
と。
じゃあ、
それはいったいどうやって?
(ё_ё)?
わたしは、
そのスペースは広げられるものだと思っているし、
訓練の方法も知っているつもりです。
神経反射調節できるもの
なんですからな。
この点については、
また別のところで解説させていただくとして、
意識のセンサー

すりぬけたアクションを
神経
止める。
痛快でしょ。
わたし自身がまだ未熟で、
この訓練の途上ですからな、
>わたしはこれで、
>人の話がちゃんと聞ける人間になりました。

なんて、
そんな大それたことを言うつもりは毛頭ありません。
それどころか、
聞き上手
っていうのは、
一生かかってもそのコツすらつかめるかどうかわからない、
尊い特質だと思っています。
ただ、
ひとつ確実にお伝えしたいのは、
日々着実に自分が向上している実感
です。
訓練の成果は、
日々あらわれているんです。
参考までに、
「7つの習慣」によると、
感情移入のスキルは次の4段階──
1‥話の中味を繰り返す
2‥話の中身を自分の言葉に置き換える
3‥相手の感情を反映する(※右脳を活用し始める)
4‥内容を自分の言葉で言い、同時に感情を反映する(※第2と第3の段階を合わせる)

──ってことで、
文字にするとカンタンなんですね、
やっぱりね。
聞き上手になるためのスキルみたいなもんを、
技巧というニュアンスのテクニックとして身につけようとしても、
きっと失敗します。
技巧の手前に
スペース

あります。
そのもっと手前に
こころ

あります。
「7つの習慣」にも、
ちゃんとそこのことは書いてあります。
感情移入のスキルを紹介したのは、
スキルがすべての習慣の大切な一要素だからである。
スキル自体は持たなければならない。
しかし、繰り返し言いたいのは、
スキルは誠心誠意理解したいという気持ちに基づいていなければ効果を上げない、
ということである。

だから、
聞き上手への訓練は、
必ず
心のお手入れとむすびつけながらやりましょう。
耳に入ってくる刺激に対して、
愛のない姿勢で迎え撃てば、
その反応はいちいち否定的なものになりますから、
けして聞き上手にはなれません。
不器用でもいいから愛はもっとこうよ
ってことなんです。
聞き上手になるためには、
あなたがあなたの自叙伝を離れるエゴの解体が必要で、
つまり
人格改造級のヘビーな取り組みが必要なんだよ
ってことは聞き上手になるにはのページで述べました。
この訓練は、
聞き方のようで話し方のようでもあり、
でもやっぱり
こころの姿勢の問題なんです。
旅に出ましょう。
執着解脱の旅

ひとつの答があります。
マインドフルネス──「いま、ここ」に。

聞き上手になるには

中小零細の経営者なんていう人種はだいたいが、
人の話が聞けないようになってますね。
いちいち聞いてたら身がもたないとでも言いたげに、
人の話は聞きません。
聞こうともしない。
日々刻々、
山積する問題解決に追いまくられていますから、
脳がそんなふうに習慣づいている。
聞く耳もたず。
ご多分にもれずこのわたしも、
人の話は耳に入らないタイプ。
自分のことを棚に上げたりはしません。
だからしょっちゅう社員から
冷たい視線でにらまれる。
衝突が起こる。
なにか課題を示されると、
それはこうしたらいいじゃないか
とか、
あれを試してみようよ
とか、
いろいろ出てくるんですが、
具体策を考えることはできても話は聞けない。
できそこないのロジカルシンキングなんですね。

気持ちの問題はロジックでは解決できない‥‥
ってことは重々承知しております。
典型的なのは、
社員が会社を去るときですね。
>辞めさせてください‥‥
と、
これを言い出すときの社員の話は、
ロジックで理解できてもどうにもなりません。
中小零細にとって社員の退職は、
マテリアル(=物質的)ダメージより、
メンタル(=精神的)傷のほうが深い。
手遅れにしないためには、
部長も課長も、
リーダーと呼ばれる立場の人が皆
聞き上手でなければなりません。
相手の気持ちを受け止められるか。
ロジカル(=論理的)理解ではなく、
エモーショナル(=情緒的)共感が肝心。
ハートアタマ
に、
もし変えられたら、
会社の雰囲気は一変し、
あらゆる問題が一気に氷解‥‥なんてこともありえます。
そんな力を、
人徳

呼ぶんでしょうけども。
そんなもんがそなわってない(=器が小さい)から、
いつまでたっても会社が伸びないんでしょうけども。
社員の不満の根っこには、
たいがい──
>自分は認められてない
って感覚があります。
理解されていないとか、評価が低いとか、
表現はいろいろ変わっても、
けっきょくのところ、
自分の言い分を聞いてもらえてないことに端を発しているんです。
>給料が安すぎる
っていう不満を、
文字どおり金銭的な話と受け取るのは早計ですよね。
>ほんとうは給料なんて問題じゃない。
>高いの安いのと言ったって2000円、3000円のこと。
>そんなのどうだっていい。
>やっている仕事がしんどい‥‥

──うん、
お金の問題じゃないんですね、
やっぱりね。
>いや、
>ほんとうは仕事がしんどいっていうのもちがう。
>からだはぜんぜん疲れてない。
>帰る時間が遅いとか、現場が暑いとか、立ちっぱなしとか、
>そういうのはぜんぜん平気だ。

──ほう、
仕事がしんどいわけでもないと。
>耐えられないのは上司の態度だ。
>何も考えずにだらだら働いてる。
「こんなふうにやりましょうよ」って言っても、
「ああ」とか「ほう」とか生返事ばっかりで、
>ちっとも相手にしてくれない。
>だからこんな給料じゃやってられないって気になるんだ!

──ってこと‥‥なんですね。
こういうのはアタマで聞いてるとわかりませんので、
話がおかしな方向へ行くんです。
>ふ~ん、給料が安いだと?
>何様のつもりか知らんけど、
>もっといい給料を取れるようになるためには、
>どんな仕事すればいいか考えろって伝えとけ。

──みたいな展開、
前向きなようで噛み合ってないじゃないですか。
こんなにチグハグしてちゃあ社員は救われません。
聞き上手っていうのは、
耳やアタマで聞いているんじゃないんですよね。
心で感じているかどうか、
要はハートの問題。
そんなふうに見えてなかったとしても、
認めてほしい、褒めてほしい、
励ましてほしい、期待して欲しい‥‥
自分は重要な存在だと感じたい。
>聞いてるよ、
>聞いてる聞いてる。
>おまえの言っていることの意味、
>よーくわかるよ。

‥‥なーんてね、
こんな口ぶりの上司にかぎって、
ぜんぜん聞いてない。
表面的に答えてるだけで、
やっぱり噛み合ってないんだから。
相手は自分に対して共感してくれることを求めています。
>なにそれ共感?
>それって女の部下が男の上司に対して求めるもんだろ?

──??
いやいやどうしてどうして。
うんざりしてしまってへこたれそうなとき、
むなしくて心が折れそうなとき、
男も女もいっしょです。
ソリューションなんて求めてません。
ただただ、
心が受け入れられることを望むんです。
つまり、
話を聞く側に求められるのは、
小手先の技術ではなく、
器としての心の豊かさ
全人格を懸けたものという意味で
人間力

問われるということです。
>やぶから棒に「辞めます」って言われるのいやなんで、
>きょうから聞き上手になりま~す!

みたいに、
セミナー受けて一朝一夕にいくもんじゃありませんよね。
これは、
人格改造級のヘビーなテーマ
ですよね。
ハートにはハートで、
エモーションにはエモーションで。
人の話を聞くときは、
自分の価値判断基準を棄てて、
心を空っぽにするくらいでないと。
ロジカルな相談ならロジカルに対応していいし、
テクニカルな相談ならテクニカルでいい。
しかし、
心のテンションが下がってむなしく弱っている相手なら、
あなたに求められているのは
共感
です。
そんなときに自分の頭がごちゃごちゃしてたなら、
感情移入していくなんて無理ですね。
まずは心を自分から離せるか。
アタマの活動(=思考)
止めることができるか。
入れ物を空っぽにすることができれば、
そこにスペースが生まれます。
相手の気持ちを入れてあげるためのスペースです。
人の話が聞けない人 自己中心的な人
っていう
明らかな傾向がありますね。
>おまえの言いたいことはさ、けっきょくさ、こういうことだろ。
>わかってるよ。わかってる。まえにも聞いたし。
>いや、そうじゃないでしょ。いや、だからね、わからないかな。
>そういうやり方じゃあさ、うまくいかないんだってば。
>キツいこと言うみたいだけどね、キミのためを思って言うんだよ。

‥‥みたいな言い方をしているあなた。
これ、
ぜんぜん聞けてない証ですから。
あなた、
まちがいなくジコチュウですから。
人の話が聞けない人 自己中心的な人
ってことは‥‥
聞き上手になる コミュニケーション能力を上げる
自己中心性を改める
‥‥ってことでして、
やっぱりこれは、
人格改造級のヘビーなテーマ
ってことです。
自己中心的な人は自己中心的でいることがラクだから自己中心的であり続けます。
食べたら太るとわかっていて、
それでも甘いものやら脂っこいものを食べてしまうのと根っこは同じ。
自己中心的な姿勢を改めるのが苦痛なので、
どうしても自己中心的な姿勢を改めることができなくて、
ずっと自己中心的な人間として生きてきたし、
たいていはこれからも自己中心的な人間として生きていくんです。
ジコチュウって最高!
だかんね。
しかし
本人が自覚しているかどうかは別として、
自己中心的な人は人間関係を楽しめません。
他人と良好なコミュニケーションが保てませんから、
人間関係においてもろい傾向があります。
友だちが少ないのも当然です。
そんなのいやでしょ?
不安で不安でしょうがない人
っていうのはけっきょく、
まわりの人のことを大切にしていない自分勝手な人のことです。
人間性の芯から変わる決意がないと、
コミュニケーションが真に豊かになることはありませんね。
なので、
テクニックに頼るのはやめたほうがよろしいです。
内面に目を向けましょう。
真に愛されている実感があるか、
ないか。
寂しい気分を紛らわせる材料をいくつも用意していませんか。
感情のままに振る舞うということと、
正直だってことを混同してませんか。
もう1回くりかえしますけど、
これ、
人格改造級のヘビーなテーマなんです。
エゴの解体が必要なんですから。
他人の気持ちがわからない‥‥というか、
そもそも他人の気持ちを思いやることもないという人は、
自分や自分の人生に不満があるんです。
だから自分優先でガツガツやる。
すごいエネルギー。
なんぼでもがんばる。
自分の欲望実現のためですから。
そこそこ成功します。
めちゃめちゃ成功することもある。
地位やら財産やら名誉やら、
そんなもんで塗り固めてしまうとよけい自覚ができなくなってしまいますが、
見栄でしあわせを気取っていても、
ほんとうのところでは薄っぺらいもんです。
だからいつまでも自分の利益が優先する。
古今東西、
そういう事業家が圧倒的に大多数を占めてます。
中小企業の経営者が人の話を聞かないのはむしろあたりまえなんです。
ズラーッとわがまま揃い。
しかもスジガネ入りのわがままです。
お互い気をつけましょうナ。
(ё_ё)
言葉は全人格
です。
人格を磨きましょう。
遠まわりなようでもそれしかない。
見る人が見れば、
情緒的な成熟度はすぐに知れてしまいます。
わたしですら、
2~3分もしゃべれば自己中心的な人はすぐにわかる。
情緒的に未成熟なまま歳をとるなんて、
恥ずかしいと思いません?
いつまでも自己中心的でいたいですか?
相手の話を聞くために立ち止まる習慣

いま、ここから始めません?
自己中心的な人は自己中心的でいることがラクだから自己中心的であり続けます。
自己中心的な姿勢を改めるのが苦痛であるにもかかわらず、
やっぱり変わろうとするのは、
自己中心的なままでは達成できない目的が生まれたときです。
その目的をどうしても達成したい
という気持ちが苦痛を駆逐するときです。
あなたの近くにいる人の幸せについて
あなたには責任があるのだ


気づきましょう。
えらそうに上から言って申し訳ないですが、
これはわたし自身が自分に言い聞かせてることでもあります。
自己中心のスタイルを捨てるのはラクじゃないです。
ラクじゃないけど変わるしかない。
より崇高な目的を優先するために。
心のお手入れを入念にやってですね、
感謝感謝で満ちて満ちてみちみちて、
しあわせ満タンになってください。
なりましょう (*^_^*)
全身が聞く耳になります (*^_^*)
なりましょう (*^_^*)
(ё_ё)
最後にオマケ。
人の話をよく聞くためのコツを3つ挙げます。
(請け売りですけど。)
  1. うなずき
  2. あいづち
  3. オウム返し

たったこれだけのことができたらほとんどOK。
できませんけど (*^_^*)
あなたはたったいまから
コミュニケーションの天才
で~す☆(*^o^)乂(^-^*)☆
天才ナメてますけど (*^_^*)
たったこれだけのことができると、
聞き上手ってことなんですがな。
頭ではわかっていたとしても、
なかなかできない。
不思議ですよね(。・・。)

ここのところ、
テクニックとして受け取ってるとできませんね。
コーチングかなにかの研修を受けて、
傾聴というテクニックをテクニックとして身につけると、
ちゃんとそれなりに効力はあるんですけど、
テクニックだけに偏りすぎると、
やがてどこかでボロが出る。
だからやっぱり先に心を鍛える。
心がのんびりゆったりくつろいでいることと、
聴く力は大いに関係がありますね。
自分を空っぽにすることができれば、
だんだんできるようになるはずですよ。
いっぽうで心のキャパを広げながら、
もういっぽうでテクニックを学びましょ。

エゴの衝突

あなたが「Aだ」と固く信じているところに、
>そこはBですよ。
と言われると、
>そんなばかな!

反応しますよね。
それは頭(思考)の判断ですが、
そういう判断をくだすと同時に心(感情)が動きます。
「Bですよ」と言われたときに、
「ふうん」と聞き流せる人もいます。
>自分はAだと思っていたけど、
>Bだと考える人もいるんだ。


終わりにできたら、
感情は動きません。
「Aだ」という判断だけが正しくて
他はまちがっている
という価値観を握りしめていると、
「Bですよ」という他人の言葉が苦痛になるのです。
「Aがあたりまえだ」とか「Aに決まっている」
という
決めつけた風な言い方には、
すでに正しさが含まれていることに注意してください。
正しさを手放すことができれば楽になれるんです。
が、
正しさを手放そうとすると、
あなたのエゴさんが抵抗します。
エゴさんの言い分はだいたいいつも
>そんなことをしたらたいへんなことになる!
って感じです。
だって、
食うためにはやらなければならないからです。
生きのびるための根元的な恐怖感が
>会社は利益を出さなければならない。
>従業員は給料もらっているんだから働くのが当然だ。

といった価値観をいくつも生みだしているんです。
強迫観念と呼んでもいいでしょう。
1回めは流せても、
しつこく言い続けられたり別の不愉快なメッセージが添えられたりすると
引っかかってしまいます。
たとえば、
あなたは「Aだ」と言う。
あなたの部下は
>課長はいつもBのように考えろって言われてますよね。
>なのにこの会社のときだけAだなんて、
>おかしいんじゃないですか。


あなたを非難する。
するとあなたはつい、
自分を弁護するために
>だってこの場合は、
>○○○な状況なんだからAじゃなきゃマズいだろう。


やり返すのです。
そうすると部下はますます語気を強めて
>いや、
>それはそうではなくて、
>×××っていうふうに考えるべきなんだからBじゃないですか。

となる。
これがグループ討議の場だとすると、
何人かはあなたの味方をして
>でも、
>Bにはこういう矛盾もありますよね。


援護してくれるかもしれません。
その間、
あなたの頭の中(思考)は、
猛烈なスピードで二元論に陥っているはずです。
議論における
勝ち負け

あいだで揺れまくるのです。
>結論がAに決まらないとたいへんなことになるぞ。
という思いが、
じわじわとふくらんでいくことになります。
>たいへんなことってなんなのサ?
って
誰も突っこんでくれませんから ┐(-。-;)┌
そこでBが優勢になってきたりすると、
いよいよ思考はフル回転をはじめます。
とりあえず大声を出して恫喝しておけば、
自説を貫けるという経験則に従ってしまうかもしれません。
AかBのどちらが適切かの判断を放り投げて
>おまえらはよっぽど頭が悪い。

異次元の暴論を持ち出すかもしれません。
ここまでくると思考
>あれでいくかこれでいくか、
>どうしてやろうか。


内面で分裂気味に増殖していて、
裁断のきっかけを失ってしまいます。
すべての議論が冷めたあと、
>ああ、またやってしまった‥‥

感じると、
こんどは自分を責める気持ちを止めることができません。
>自分がまちがえるはずがない。
と、
自分にもまわりにも示そうとしてドツボにはまります。
これが、
ああいえばこういう型スパイラル

恐ろしいところです。
>だってどう考えたってAでしょ。
>Bだとしたらどうするんだ。
>こんなことになる責任は誰が取るんだよ。
>誰も取らないんだからAしかないだろ。
>同じことを何度も言わせるなよ。

って、
いちいちかなり大切な原則がはたらきますんで、
思考感情も火だるまです。
あなたにも経験がおありだと思うんですけど、
はじめはそこまで固執してなかったはずなんです。
挙げたコブシの下ろしどころがわからんっつーか、
言えば言うほどだんだんそうじゃなきゃいけない気になってしまっただけ。
原則はいつもそんなふうにはたらくんです。
だからあらかじめ
思考の玉突き衝突パターンを知っておきましょう
ぶつかっても流しましょう。
できればはじめの軽い衝突から流すことが望ましいでしょうが、
大声で怒鳴ってしまってから気づくかもしれません。
そのときはそこからでも流す。
観察の対象は思考なんだと
あらかじめ知っておきましょう。
思考パターンを学習しておくこと。
そうすれば、
思考を自分そのものだと思いこまないで、
そこから離れて眺めることも容易になるはずです。